坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「優しさ」とは何か

私はよく人の気持ちがわからないと思うことがある。
「人に優しくなりたい」と言う人がいる時、その気持ちがわからない。
人に優しくしないのではない。「自分の仲に優しさがあってそれを発揮したい」という風に聞こえるからわからないのである。そういう時「はたして優しさとは存在するのか?」と思ってしまう。

ある人の話によると、男は共感性が0らしい。
なるほど、これで「優しさ」と「共感性」が取り違えられているのがわかる。どうも世間一般に言われている「優しさ」とは共感性のことらしい。
ある人が辛い思いをしている時、その辛い思いと同じ感情が沸き起こるということである。私も辛い思いをしたことがない訳ではないのに、時が経つとその時の感情を少なくともそのまま思い出せなくて、薄情にも共感できなくなる。人に優しくするのは人が「優しくされたい」と思っているからで、共感でなく理解である。それでいいと思っているが、人には共感以外に接する方法がない時がある。子供に先立たれたとかそういう時である。幸いにも私にはそういう機会がほとんどないのだが、もしそういう機会に出会えば対処に困るだろう。
もっとも共感以外に接する方法がないということは、逆にいえば実質的にできることがないということだ。
もっともこういうこともある。

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この記事にあるように、「絶対に治るから」と言われても違和感を感じられてしまうこともある。人それぞれ環境が違うのに、気持ちが絶対にわかることはないと青木さやかは言っている。実際そうだろう。
そしてどんなに相手の気持ちになったつもりで共感しても、相手に違和感を与えてしまっては意味がない。そういう人はそもそも共感を求めていない。
結局は、その人に何をしてあげればいいかにつきると思う。がんのような重い病気の人ならただ話を聴くだけでもいい。見舞いの品を持って行ったらなおいいかもしれない。しかしそれで本人が喜ぶかどうか、一時でも気持ちが楽になるかは相手による。
「優しさ」とは何かの感情ではなく、こういう人に何かしたことの積み重ねの結果である。感情が「優しさ」だと思うと共感と直結してしまう。私は自分が優しいとは思わないが、優しくないとも思う必要はないと思っている。

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