坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

個人VS集団が集団が勝つとは限らない

人を騙す方法は、たったひとつだと思っている。

それは、「その人が望む嘘を与える」である。これは「人は自分が思った通りの現実しか見ない」という、ユリウス・カエサルの言葉を言い換えたものにすぎない。

自己啓発を見ていてつくづく思うが、「人を騙すテクニック」などがあっても、結局それは「その人が望む嘘を与える」に持っていく過程のテクニックにすぎない。だから自己啓発は信用しない。

 

日本人の嘘の付き方を見ると、嘘を見破られた時実に見苦しい。

嘘が見破られるとさらに嘘をついてくる。これでもかこれでもかと嘘をついて、まるで「私はこれからあなたを騙します」と顔に描いて嘘をつきにくるようなものだ。

その嘘のつき方を見ていると、この世には騙すべき人間と騙されるべき人間の二種類の人間がいて、相手が騙されないことに腹を立てているようなものである。

人の嘘を見抜く力というのは、論理力と自分をブラさない精神、人間観察力などの総合によるものである。しかしそれがあっても騙しにくる人というのは必ず現れる。それはまるで騙す、騙されるという分類を、多数派か少数派か、またはヒエラルキーで判断しているようなものである。

嘘を見抜く力は個人固有の能力であり、集団には宿らない。むしろ集団はほとんどが何かに騙されている。

 

人間の力は個人の力と、集団を動かす、または集団に乗ることで得る力とがある。

どちらも力である点は同じである。しかし集団の力を自分の力と思い込み、個人の力を無力だと思うことは危険である。

一人だけで何かを成し遂げられることはほとんどない。しかしそれと個人が無力だということは違うのである。

集団の上に乗っかっている場合、自分の力に対する妄信は、個人としてはほとんど無力だということが多い。

窮地の時には人に頼る。それも力である。しかしそれでもうまくいかなくて人に頼り続けると、人に迷惑をかけて実績を上げられない人として信用をなくすことになる。それはその人が集団において無力になったということである。その時個人としての力がなければその人は無能である。

 

人によって、人生は坂を転げ落ちるように転落していく時というのがあるものだが、その時は這い上がろうとして、またこれ以上落ちないようにと、次々と手をかけていくが、手をかけたところから崩れていく。

そのようになるのは、集団の中にいて弾かれたことに気づいていないからで、集団に縋るという逆のことをして転落を防ごうとするために転落が止まらないことが多い。

 

日本人が嘘をついた時の態度は、交渉が下手ということでもある。日本人は信念のために死ぬ人が多いが、交渉は下手である。

 

信念のために死ぬというのは、不利な時に何を守るかを見ることでわかる。

日本人は全てを守ろうとして全てを失っていく。先の戦争がまさにそれで、守るべきものを序列化していない。その序列化できない態度は集団であることによるところが大きい。

 

集団の力を自分の圧倒的な力だと思っていると、個人の力を見逃しがちである。個人の力は何か大きなことを成す力とはならないが、それでも無力とは限らない。

結局、集団の力も個人の力も同じ力で、ぶつかりあった時にどちらが勝つとは決まっていない。

個人の力と集団の力を分けて、そして個人の力を正確に見極めないと、個人と集団がぶつかりあった時、集団が痛い目を見ることがあるのである。

 

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