坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

戦いの本質中の本質

戦いについて、みんなどういうものかわかっていないと思うのでここに一筆。

戦いとは、自分の持っているもの、あるいは持っていなくても自分が動かせるものを対象にぶつけることで、互いに相殺することであり、また相手の話を聞かないことである。

相手を理解しないのではない。相手を理解したその上で批判、否定、無理解で返すこと、これが戦いの本質である。

戦いにも色々あるというのは真実で、論戦はどちらの意見が優れているかを競うものだし、交渉はコミュニケーションとディスコミュニケーションが入り混ざったものである。つまり脅しなど、相手が求めていないものが含まれているということだが、交渉は戦いと話し合いが入り混ざったものである。交渉も戦いの一環と言えるが、戦いが話し合わないことというのは、戦いの本質中の本質である。

現在、ロシアとウクライナが戦争をしているが、しばしば停戦交渉が行われているのはご存知だろう。そしてそのたびに停戦交渉は破棄されている。この停戦交渉が破棄された状態が戦争の本質の部分である。

停戦交渉が破棄されれば、また次の停戦交渉の話を持ちかける。この状態ではまだ話し合っていないのである。

話を持ちかけた側が停戦交渉の条件を提示するが、条件が交渉するに値しないと判断すれば蹴られる。ここにコミュニケーションは成立していない。会話があったかどうかではなく、話し合いの本質において、コミュニケーションが成立していないのである。

なぜならなぜ戦いが起こるかといえば、当事者同士が相手の言葉の中に、自分が求める言葉を見つけていないからである。

よく戦争についての議論で、「話し合いは続けなければならない」というものがいるが、こんな甘い言葉はない。単なる会話ではなく、相手が求める言葉をどれだけ用意できるかである。「交渉しましょう」と言っているのは話し合いのうちに入らない。相手の求めていない言葉を一億個ばら撒いても、それはただのディスコミュニケーションで、そんな言葉で1秒だって戦いが止まることはない。

だから戦いの本質は相殺行為であり、得るものはない。

戦争で得るものがあるのは、相手国の領土を占領したり、略奪をしたり、賠償金を得たりする時である。アメリカは今でこそ世界の警察をやれないが、あれほど長く世界の警察を続けた理由は、軍事技術を民間に転用し続けたことである。それ以外では、何らかの和解がない限り戦争で得るものはない。失い続けるだけである。そして得るものがなくていいと思う者が戦うのである。

問題は、実質攻撃しかしていないのに攻撃している自覚がなく、相手が求める言葉を用意しないのに「話し合おう」とひたすら言い続ける者である。このような人間と私は何度も揉めたが、合意に達したことはない。

そしてこのような人間の特徴は、人数と権力とだけを信じており、それ以外の力を信じていないことである。こういう者は、大抵大打撃を受けた後自己正当化の論理に陥る。「自分はこれだけ話し合いの努力をしたのに相手が言うことを聞かなかった。だから相手が悪い」という風に。

戦いの本質を語るのに、善悪論を持ち出すほど不毛なことはない。善悪論を持ってくれば何か得られるというのか?そんな甘い考えならば最初からケンカなど吹っかけなければいい。

そのような者達が人数や金や権力を絶対視しているのは、それ以外の価値を認めていないからである。しかし価値を認めなくても、無力だと思うのは違う。

少数派でも金も権力もなくても、相手にダメージを与えることができる。

こういうと、「自分達にダメージを与えるのは許せない」という考えを持っている者がどうやらいるらしい。自分達にダメージを与えられないとたかをくくっておいて、ダメージを与えられると「許せない」に変化する循環論法である。

集団合意のようなよくわからない論理で、上下関係を押し付けてくる者がよくいて、私もしばしば迷惑しているのだが、こういう上下関係を押し付ける者は大抵循環論法に陥る。

私は、戦っている時ほど自由と平等を感じる時はない。よくわからない理由で目下扱いされても、目下らしい戦いなどというものはない。感じるのはただ自由で平等であること、そして相手が戦いを知っているか知らないかだけである。

私は数多くの相手と争ってきたが、常にひとつのことだけに成功してきた。それは戦った相手を目の前から排除するということである。

そしてそれでいいのである。許されないことなどないかのように振る舞う者に、許されないことがあることだけは常に教えてきたのだから。

 

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