坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

アナーキズムは危険だけど今の日本では有益

アナーキズムは国家からの自由を目的とする。

実際は自由とは国家が認め、強制力を持って与えるものである。強制力を持たず、個々人の相互の信頼によって自由を獲得することはできない。

またアナーキズムの危険性は共産主義と連動しやすいことである。

アナーキズムは西洋だけの思想ではない。

東洋にもある。老荘思想である。

「常使民無知無欲(常に民には何も知らせず、何も欲させるな)」と『老子』にはある。

また「六親不和有孝慈(父、母、叔父、伯父、叔母、伯母の六親の仲が悪い時に限って、孝行や慈悲がもてはやされる」

とも『老子』は言う。これを読んで何かを思い出さないだろうか?

そう、ポル・ポトの政治に似ているのである。知性は時に人を抑圧し、格差を生む。しかし知性も人間が自由によって獲得する者のひとつであり、老荘思想共産主義と結びつくと、恐ろしく反知性的、反人間的な体制となってしまう。

 

アナーキズム共産主義接触、融合はこれほど危険なものである。

しかしそれが必要な時があると思う。国家が自由を認めない時、自由を得るために国家を否定しなければならないという場合もあるのである。

いざとなれば国家を否定できる覚悟があればこそ育つ自由があると思う。

 

そこまで極端に考えなくとも、労働組合が企業を経営するアナルコサンディカリズムはやる価値がある。

今の日本では企業が赤字会計にして、法人税を払わないことで生き延び、終身雇用を未だが壊すことができない。前時代的なものを資本主義によって排除できないなら、企業と対立する組合だってアナルコサンディカリズムをやったっていいだろう。

そのほうが企業のためなのである。世界の潮流は、個人が組合に依らずに企業と交渉して能力で決めるのに対し、日本の企業が組合に未だに強い力を持たせて排除できないならアナルコサンディカリズムだって時代遅れじゃない。それでも企業がそうなりたくないの思えば、企業は組合の影響力を排除するように動くだろう。

私はアナルコサンディカリズムをやらないなら、労働組合は企業別でなく職業別であるべきだと思うが、アナルコサンディカリズムなら企業別労働組合のままでやれるのである。アナルコサンディカリズムという自由競争に反するものを提示することで、逆に企業に一層の競争を促すなら、やらない手はないだろう。

 

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