坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

曹操は客家に許され、関羽として崇められた

中国の中央集権国家の出現により、道家はその思想を桃源郷に追いやった - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」


で紹介した陶淵明の『桃花源記』の武陵郡(現在の湖南省北部、湖北省南部、貴州省東部、重慶市東南部、広西チワン族自治区北東部にまたがる地域)は、客家の居住地域でもある。
客家は中国の河北地方に住んでいた人々が、戦乱などにより南に移り住んだ人々である。だから桃源郷の物語は、客家の物語でもある。

客家中国南部への移動は、5つの段階がある。最初は秦(紀元前221年~紀元前206年)の始皇帝の時代、第2段階が西晋(265年~316年年)の八王の乱永嘉の乱の頃、第3段階が唐(618年~907年)末の黄巣の乱の頃、第4段階が南宋(1127年~1279年)末期の元の進攻の頃、第5段階が清(1644年~1912年)の時代である。
しかしこんなはずはない。三国時代にも客家は生じて移動しているはずである。
『桃花源記』でも、桃源郷の人々の先祖は始皇帝の死後の混乱を避けてその地に移り住んだと述べている。
客家の人々にしても、帰れるなら故郷に帰りたかっただろうが、森林の伐採により腐葉土が無くなり、耕作を続けることでしか地力を維持できない河北の黄土地帯に戻って住むことは不可能だった。

三国志』で、曹操司馬懿仲達が悪人とされるのは、彼らが実質皇帝でありながら帝位に就かなかったからである。
彼らが帝位に就いていれば、彼らの業績はむしろ称賛されたのであり、彼らが悪人とされた理由は帝位に就かなかった以外にはない。それが「忠」を重要な徳目としながら、易姓革命を内包した儒教の導き出す結論であり、曹操司馬懿を悪人としなければそれは儒教ではない。
曹操が帝位に就かなかったのは、曹操が皇帝になれば劉備の蜀が漢朝再興を唱えて魏に争いを仕掛けてくるからであり、曹操は戦争によってこれ以上農村を荒廃させ、人口減少を招くべきじゃないと判断していた。そして屯田制から均田制への道を敷いた。
曹操の問題意識を後継したのは、均田制を作った官僚達と、それとは対極の道教を形成した老荘思想家達、そして客家である。
客家は、曹操が天下を統一して、自分達が暮らしやすい世の中にしてくれることを望んでいた。しかし曹操は中国を統一できなかった。
客家儒教曹操を悪人にしていくのを見ていた。客家漢民族である以上、曹操が悪人にされていくのに抵抗はしなかった。
その代わり、三国時代客家が発生したという歴史を封印、改竄した。三国時代客家の発生について曹操に責任がないというように。客家は、このようにして悪人にされた曹操を許したのである。

中国の南北朝時代にできた『世説新語』に『魏武捉刀』という話がある。
曹操は短軀で容貌が醜いのを気にして、匈奴の使者との謁見で立派な体躯の替え玉を立て、自分はその脇で刀を取った。
匈奴の使者は謁見を終え、「魏王は実に立派です。しかしその脇で刀を取った者こそ英雄です」と言った。
曹操はそれを聞き、その使者に刺客を放って殺した。
曹操は悪人とされたが、「魏武捉刀」のように、小心なところもあるがやはり英雄であり、「魅力ある悪人」として描かれるようになる。この「魅力ある悪人」としての曹操が『三国志演義』につながっていく。
司馬仲達もまた、諸葛孔明の好敵手として知略優れた武将とされていく。二人とも悪人だが、それなりに魅力のあるキャラクターとして描かれていくのである。
そうなるには理由がある。三国時代の後司馬氏の晋が天下を統一するが、晋の時代は短く、まもなく北方遊牧民五胡十六国の時代になる。
そしてこの後の中国の歴史は、明の朱元璋が登場するまで、天下を統一した者は全て遊牧民とその子孫なのである。朱元璋以前に純粋な漢民族で中国を統一したのは、秦の始皇帝と漢の劉邦後漢光武帝劉秀しかいない。だから純粋な漢民族で、皇帝にもならず中国を統一できなかったが河北を支配した曹操と、魏の権臣として晋王朝の基礎を築いた司馬仲達は、中国でも重要な存在なのである。この二人が悪名を免れなかったのは、近代以前の中国人は儒教倫理に反抗できなかったからに過ぎない。
曹操の場合はこれだけではない。
関羽信仰というものがある。
劉備の義兄弟の関羽関帝として帝王、神の扱いであり、民衆の関羽信仰の熱狂は異常なほどである。
劉備が漢朝の子孫を名乗ったことで、儒教の発展過程で蜀正統論という、形式的で時代の実情を踏まえない空疎な理論が生まれることになる。
その劉備の義兄弟の関羽が崇拝されるというのは、表向きの理由である。本当は劉備の義兄弟でありながら曹操と親しかった関羽を崇めているのである。つまり曹操を崇める代わりに関羽を崇めているのである。

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