坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日蓮宗という在り方

日本人というのは、どうしても権威、集団に弱い。
権威や集団に逆らえない。権威や集団の要求がどんな無理難題でも甘んじて受けてしまう、そんなところがある。
そういう日本人の傾向に対抗するようにして生まれ、発展したのが日蓮宗である。

日蓮鎌倉時代の日本に生まれた。
日蓮は非常に個性的な人物である。
日蓮は戦乱や飢饉、疫病などの災害が絶えないのは、当時の仏教が誤った教えだからと考えた。
だから他の邪宗を排し、人々が法華経のみに帰依すれば日本は良くなると主張し、他の仏教を廃止するよう、時の鎌倉幕府に訴えたのである。
日蓮の主張は益々過激化し、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という四箇格言を唱え、「このままでは外国から攻められて国が滅びる」とまで言った。するとまもなく元寇が起こった。

法華経の教えというのは、「人間は全て仏になれる」という一言に尽き、その一言で済む内容を華麗なストーリーで膨らませたものである。この法華経の教えを正しいと信じる者は、刀で斬られ杖で叩かれるような法難に遭うだろうと、法華経は予言している。
法華経を信じる者が迫害を受けた→法華経の予言が当たった→やはり法華経は正しかったという循環論法が生まれ、法華経を信じる者の信念は益々固くなる。
日蓮法華経以外の仏教を捨てなければ他国が攻めてきて日本が滅びると主張したが、日本は滅びなかった。
ならば日蓮宗徒が非論理的かといえばそんなこともなく、石原莞爾のような壮大な理論家も生まれる。
日蓮宗徒は一天四海皆帰妙法(この世の全ての人が法華経に帰依すること)を目指す。そのためには他の宗派を信じる人は論破して転宗させなければならない。この説得行動のことを折伏という。

戦国時代、最も過激だったのは本願寺のように思えるかもしれないが、日蓮宗もかなり活発に活動している。
鉄砲が伝来しても、火薬の材料となる硝石は日本では入手できず、海外から輸入していた。そしてそのルートを抑えていたのが日蓮宗の本能寺だった。
天文元年(1532年)、京の日蓮宗徒が延暦寺や六角氏に攻められる天文法華の乱が起こった。この時日蓮宗側は一向宗浄土真宗)の山科本願寺を焼き討ちした。戦国時代の一向宗石山本願寺(現在の大阪城)に立て籠っているイメージがあるが、それは天文法華の乱以降のことである。
日蓮宗からは、強烈な善人と強烈な悪人が生まれるという。
強烈な悪人の代表例は斎藤道三だろう。
斎藤道三といっても、現在は親子二代の「国盗り物語」であったことが明らかになっている。
その親の方は、若い頃は京の妙覚寺の僧で法蓮房といい、還俗して美濃に下り、長井新左衛門尉と名乗った。
子の斎藤左近太夫の娘婿の織田信長は京に滞在する時は妙覚寺、次いで本能寺を宿所とした。
「形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが」
と、宣教師ルイス・フロイスが『日本史』で述べているように、信長は日蓮宗に肩入れしていた。しかし信長の日蓮宗への肩入れには、微妙な陰影がある。
有名な安土宗論では、浄土宗側が勝ち、日蓮宗側は折伏を禁止された。
信長は、多数派でなくても激しく抵抗する日蓮宗に一目置いていたようである。日蓮宗は信長の変革に必要な要素であり、また信長はキリスト教を保護したが、それは日蓮宗キリスト教接触により化学反応が起こるのを期待しているようだった。
善人の日蓮宗徒の代表は、宮沢賢治だろう。
賢治の作品の『銀河鉄道の夜』『グスコーブドリの伝記』からは死への憧れが漂い、特に『グスコーブドリの伝記』には自己犠牲の精神がある。
この死への憧れや自己犠牲の精神も、一天四海皆帰妙法から来ており、賢治は「宇宙全体が幸福にならない限り個人の幸福は有り得ない」と考えていた。

江戸時代、徳川幕府から唯一弾圧を受けた仏教の宗派は、日蓮宗不受布施派だった。
幕府は、キリシタン弾圧のために寺請制度を作ったが、不受布施派は寺請制度に反対したため、幕府から弾圧されたのである。
明治から大正にかけて、田中智学は日本を法華経の教えを広める国と規定し、この田中智学の系譜から石原莞爾北一輝井上日召などが出た。

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