坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

野党は壊滅する

昨年の安保法制で一時支持率を下げた安保政権は、それほど間を置かずに支持率を回復し、40%台を維持している。
一見安定しているかに見える安倍政権だが、既に陰りが出ているというのが私の読みである。

 

橋下徹は必ず復活する - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、現在その読みは外れ、安倍政権は高支持率となっている。

 この読み違いの理由のひとつは、フィリピンのアメリカ傘下からの離脱、トランプ政権誕生などの、海外情勢の急速な変化によるものである。 

もうひとつの理由は、去年の参議院選で、改憲派が衆参ともに3/2を占めたことにある。 


日本の政治は、表面上の論争が経済であれなんであれ、真の論争が護憲と改憲の論争だった。

それは前回の参院選が、経済的に評価できない自民が経済を理由に勝利したことにも良く表れている。 

前回の参院選にも、ひとつの仕掛けがあった。安倍首相は「憲法改正を議論する」と述べ、民進の岡田代表が「議論の内容を明確にしろ」と迫ったのを、安倍首相はスルーした。

 護憲と改憲潜在的な対立なだけに、より表面化させようとした方が不利になる。こうして民進は議席を減らした。


 改憲の発議が可能となった現在、国民の多くは国民投票となったら、賛成に投じなければならないと考えている。

 しかし一方、改憲をなるべく先送りにして欲しいとも思っている。 つまり護憲は何らかの正しさがあるよりも、間違いを積み重ねてきたものだから変えたくないのであり、改憲は国民にとって断罪となっている。

 そしてその罪の意識が与党を下支えしている。

つまり改憲派が3/2を割り、野党が逆転勝利する可能性は絶望的で、これほど護憲が叫ばれなくなった現在では、護憲を基盤にした野党の存在意義が無くなり、衰退、あるいは壊滅するかもしれない状況にある。

 もちろん労働組合などの支持団体をもつ野党は、ある程度の勢力を維持するだろうが、安倍政権はこの点でも手を打ってある。

 労働組合を通じて、正規労働者が野党を支持層にしているのに対し、非正規労働者は政党につながる団体を持っていない。

 必然的に非正規労働者無党派となり、政治に影響を与えにくくなっている。 

長年政府が消費税の値上げに取り組んできたのは年金を維持するためだが、非正規労働者増税に耐えられない。 

だから増税するためには、非正規労働者の所得面での改善が必要なのだが、非正規労働者が政党につながらないのをいいことに、この点は放置されている。

 必然的に、政府は増税を断念した。

そして増税の代わりに、年金が減額された。 


こうして、安倍政権は野党を共犯者にしたのである。非正規を切り捨てた野党には、年金の額を元に戻す力がない。

 力のない野党は衰退せざるをえず、また情勢の変化で非正規が組織化されることがあれば、野党の受ける打撃は壊滅的である。


 そして、安倍首相は最長2021年まで首相を務めることができる。 改憲をうたわれながら改憲発議がない状況が4年も続けば、安倍首相の後に誰が首相になっても自民政権でやっていける。それだけ野党は力を失っている。

 この状況で議席を伸ばせるのは、最初から改憲派で、自民に対し是々非々の対応を取り、護憲vs改憲潜在的な対立から自由な維新くらいだろう。なお共産党は、他党のように個別的自衛権に流れなかったことで、野党に勝ったのである。野党から奪うパイが無くなれば、共産党も衰退していく 。


野党が壊滅し、自民一強の構図は不健全極まりないが、有効な対応策はほとんどない。

 戦後一貫して護憲でやってきた野党が、今さら改憲に鞍替えできるはずもなく、衰退、消滅するのを止めることはできない。

ただ改憲派がいる民進は改憲への切り替えが可能だが、護憲の蓮舫代表がいる限り改憲に踏み切れないし、改憲への切り替え自体、痛みを伴わないわけではない。

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ドラゴンボールを考える③~ヤムチャは戦力外!?

昔大学の後輩が、名前は忘れたがドラゴンボールに影響を与えたか影響を与えられたかというアメコミの話をしたことがあった。

 「へー、それどういうマンガ?」

 と私が聞くと、

 「ヤムチャがいっぱい出てくるマンガです」

 と後輩。


 ヤムチャ!?


 その頃私はネットとつながっておらず、ヤムチャが戦力外代表になっているのを知らなかった。

 ネットにつながってから、「ヤムチャオズ」「ヤムチャしやがって」などとネット民に言われているのを知った。


 まず、『ドラゴンボール』(以下『DB』)では、基本的にサイヤ人以外はほとんど戦力外である。

 天津飯に置いていかれたチャオズは、戦闘の場に出られないという意味で、本当の戦力外である。

 これには理由がある。

チャオズは戦力能力の低さを超能力で補うタイプである。

 しかし超能力というのが曲者で、強さのインフレ率の高い『DB』では、強い敵に普通に超能力が効いては強い敵を出した意味が無くなってしまう。

 だからナッパには、チャオズの超能力は効かなかった。その後、チャオズはナッパとの心中を狙い自爆する。

 チャオズを再び戦いの場に出しても、チャオズには自爆しか手がない。だからチャオズは、天津飯に置いていかれた。


 ならばチャオズも超能力に頼らずに、戦闘力を上げればいいんじゃないかといえば、そうはいかないのである。

 バトルメインのマンガで、小さい体では説得力がないのである。

 悟空も最初は小さかったが、ギャグ要素満載のアドベンチャー路線だから問題なかった。

だから孫悟飯は、5歳の時に少年期の悟空(15歳まで)より体格が良く描かれている。

 ならばチャオズの体格を良くすればいいと思う人は、あの顔で大人の体格になったチャオズを想像して見ればいいだろう。


 さて、ヤムチャである。 ヤムチャの戦歴は確かに良くない。

 しかし数字は忘れたが、サイヤ人編では、ヤムチャの戦闘力はクリリンと大きな違いはなかったと思う。(なぜかわからないが、ヤムチャの戦闘力は検索でヒットしない。一件だけ「超非公式」という名目で、サイヤ人編でのヤムチャの戦闘力があった。1480である。クリリンは1770) 

ヤムチャの戦歴が良くないのは、クリリンの引き立て役だからである。

 クリリンは日本人の好きな「弱いのに頑張るキャラ」で、亀仙人の修行を受けて以来、ヤムチャクリリンはほぼ同等のレベルだと思っている。クリリンが最長老に潜在能力を引き出されるまで) 


実は、ヤムチャが戦力外代表になったのは、ブルマをベジータに獲られたからである。

 よくプライドが高いといわれるベジータだが、カカロットに先を行かれて背中を丸めて悔しがるベジータは、それほどプライドは高くないと思っている。

 しかしブルマの夫になりながら、ベジータヤムチャを出入りさせて少しも動揺しない。

 ベジータは働かないが、星の住民を全滅させる仕事をしていた宇宙人にサラリーマンをさせるのもひどい話だし、ブルマが金持ちだから問題はない。しかしそれでもという思いは出てくるものだが、それを補うのがヤムチャとの関係である。

ベジータヤムチャに嫉妬しないことで、ベジータの株が上がるのである。


 そして、悟空がセルゲーム以降死んでいた理由もこのあたりにある。 子煩悩、愛妻家とポイントを上げてきたベジータに対し、父親失格と言われた悟空が働く姿を、鳥山は想像できなかった。これが鳥山が悟空を死んだままにした一番の理由である。

 『DB超』では悟空は農業をしているが、原作ではニートである。

 『DB超』でも、最初の悟空の働く姿はひどかった。超サイヤ人になるたびに畑を穴だらけにし、とてもじゃないが収穫があるとは思えなかった。

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もっとも最近は真面目に働く場面が増え、「孫さんとこの野菜は評判がいい」とまで言われてるが、これには理由がある。また後に語ろう。


 さて、コキュとなったヤムチャである。 ブルマがベジータと結婚してもブルマの回りをうろつくヤムチャが、どう見えるだろうか? 

「まだブルマに未練がある」 

「食いつめてブルマのところに恵んでもらいに行っている」 

と思われるのがオチだろう。 

このような見方は主にネットで醸成され、故意に戦力外と見る空気ができあがった。


 本来、ヤムチャは真面目には働かないかもしれないが好青年で、クリリンと同等の武道家だった。 

『DB超』でのおおぼらを吹いたり、軽はずみな発言をしたり、都合が悪いと言うことをコロコロ変えるヤムチャは、この空気を取り入れてできあがったキャラである。

 この間もヤムチャ主役の野球回があったが、ボールを気弾のように操作すれば「あいつもう武道家じゃないな」と18号に言われ、さんざんいたぶられた挙げ句、

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なんで俺達これが何を意味するかわかるんだろうねー\(^o^)/


 そして、戦力外通告されたヤムチャの代わりに、亀仙人が戦力になった。戦闘力139。

 

合掌。 

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あざなわvsトイアンナ、真相は!?

サブブログ更新の時期ですが、気になることがあるのでメインを更新。サブは3月に更新します。 

気になるのはコレ。

「名前を出してはいけないあのお方」の名前を出した途端、エゴサーチでいきなり晒されるスラップRTの恐怖 - あざなえるなわのごとし

昨日はてなのトップを飾った記事なので、ご存知の方も多いはず。内容を紹介せずに本題に入ろう。 Twitterのアカウントは持っているが、ほとんど使っていないのでわからないことが多い。読者の皆様にコメント頂いて、考えが合っているか指摘して頂ければ幸いである。

「晒す」って公式RTとか(あとで打消できるように)非公式RTとかだと思うんですが、ご丁寧にキャプってトリミングしてアップロードして、お忙しいのに確定申告が済んでほっとしたんだか何だか知りませんが。

 

とあるが、公式RTとか非公式RTとかあるの?公式とか非公式タグでもついてるの? よくわからなかったんで、非公開のRTが晒されたと書いてあるのかと思った。 

もちろんそれならハッキングされたことになるので、はてなのトップでみんなでワイワイどころの話じゃない。 

つまり公式も非公式も関係なく、公開のRTが晒された、って話でいいんだよね?


 ここでエゴサの話だけども、エゴサってそんなに悪いことなの!?

 エゴサなら俺も定期的にしてるよ。泡沫すぎて誰も悪口言ってないけどww 

しかし当たり障りのないことばかり書いてるならともかく、人と衝突することもあるブロガーが、誰かが自分の悪口を言っていないか誰も気にならないって?え!?


 そんな嘘をつくヤツあ、はてなにはひとりしかいないぜ!! 


ネットの世界だから、誰かが悪口言ってるのに気づかなかったらいつの間にか拡がっていたということもある。 

別に理由を問い質す必要もない。自分がdisられてるのを見つけたら、自分が効果的だと思う方法で対処すればいい。 

だからスクショを張ってRTくらい、問題ないのである。 問題は、

しかも「なんですか!」とかリプを送ってくるわけでもなく、いきなり 「晒しますね」 とリプ。

 

ここである。なぜこの部分をスクショなどして載せないの? 

実は、エゴサなどより、この部分が重要なのである。 ネットでの中傷への反論は自由である。 しかし「晒しますね」とあることで、

自分のフォロワーに対して 「ほら、こんなドイヒーな輩がいるんだよー、私の信者のみんな、こういう輩は吊るされて当然よねー」って言ってるようなもの。

 

と、数にものを言わせた態度に見えてしまう。

 トイアンナさんがリプしたなら、あざなわのTwitterにリプがあるはずだがない。 

リプを否定しても、「名前を出してはいけないあのお方」がひとり歩きしてしまっているので意味がない。


 どうも、あざなわに踊らされたようである。 かくいう私も昨日は、

sakamotoakirax 力と力のぶつかり合いに乾杯!!ネットはルール無用、弱者演じながらちゃんと張り合ってるんだから心配ないよwww

 

と楽しんでしまってた。こりゃトイアンナさんに謝んなきゃかもね。

 なにより、あざなわに踊らされたのが不快なので、この記事を書いた。

あざなわの音頭じゃ、もう踊れない。 


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見えない世相③~日本人は父親を尊敬していない

見えない世相②~ネガティブな誠実さ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、「一生ひとつの会社で働きたい」が半年の間に60%から30%に下がっていることについて、これは若者の、ひいては日本の職業観形成の失敗である。

 就職直後に「一生ひとつの会社で働きたい」と答えているのは、学生時代にその考えを育てているからである。

それが半年で半分が転向するのなら、転向した新卒はどれだけフレキシブルに動けるようになるのだろう。


 新卒の待遇が悪いわけではない。資料を取りそびれたが新卒の待遇は非常に良くなっている。

新入社員意識調査・特徴とタイプ | 日本生産性本部

で「調査・研究」「新入社員意識調査」と見ていくと、新卒の意識にちぐはぐな印象を受ける。

 年功序列での昇格を望む割合 42.3% 【過去最高】 良心に反する手段で進めるように指示された仕事であっても従う 45.2%という数値を示したのに対し、

「働く目的」では「楽しい生活をしたい」が増加(昨年度37.0%→41.7%)し、過去最高を更新した。「自分の能力をためす」は(昨年度13.4%→12.4%)過去最低を更新。「社会のために役立ちたい」も3.2ポイント低下(昨年度12.5%→9.3%)

 

と、個人主義的傾向を持ちながらも「自分の能力を試す」は減少である。

「良心に反する手段で進めるように指示された仕事であっても従う」人は増えても、自分の時間が無くなるのは嫌な人も増えている。

 そして日本生産性本部のサイトから、「一生ひとつの会社で働きたい」という項目が消えている。来年度以降は、この項目がアンケートに含まれない可能性が高い。

 「年功序列での昇格を望む」という設問はちょっとずるい。 この設問は、「一生ひとつの会社で働きたい」という設問にあるような、徹底的に理不尽さに耐える覚悟を問うていない。

設問の意味が希薄化しており、既に「一生ひとつの会社で働きたい」という人が減少し、ストップをかけられなくなったことを示すものでしかない。 


今の教育システムでは、「一生ひとつの会社で働きたい」という考えが学生時代に形成されるのは必然なのだろう。 

しかし個人主義の進行が若者の意識を分裂させ、就職後早い時期にこの考えを崩壊させている。

 ならば教育システムから終身雇用にあこがれを抱かせるような要素を排除し、個人主義を育てるようにした方がいいのだろう。

 もっとも今の若者の一番の心配は、非正規に落ちることだろう。だから非正規の待遇の改善して、学生から社会人まで一貫した職業観を持っていけるようにすべきであろう。

 以上の会社に対する新卒、ひいては社会の意識の変化は、「尊敬する人」にも影響を与えているようである。

尊敬する人ランキング!偉人・歴史上の人物vs両親・恩師?

には3つのランキングが載っている。 

ひとつはgooランキングで、一位が「親」である。しかし近年まで、若者が父親を尊敬していると言われていたのに対し、父親か母親かはっきりしない。

 しかも二位に「尊敬する人いない」がきている。一位との間に三倍近い差があるとしても二位である。 

二番目は高校生向けのアンケートで、一位が「特になし」、二位が「母親」となっている。 

三番目は親世代向けのアンケートで、一位が母親である。

3つのアンケートのうちひとつも、「父親」が尊敬する人の一位になったものはなかった。 

父親」は、家庭内の社会の象徴である。会社への忠誠心の低下は、「父親」の存在感をも低下させた。

日本人は父親を尊敬していない。


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日本型ファンタジーの誕生⑧~ゲームがファンタジーへの扉を開いた

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私の子供の頃のファンタジーについての記憶は、学校の図書室でのことである。

 小学生の頃は図書室で、『西遊記』や『グリム童話』などをよく読んでいた。

 するとある時、友人が私のところに来て、 「そんなのを読むなんて気取ってるな」 というようなことを言った。 

だから私の子供の頃のファンタジーのイメージは、気取った奴が読むものだった。

 

このような記憶は私だけのもので、多くの人が共有するものではないだろう。 

しかし私の子供の頃の記憶を語るのは、それが世間一般から大きく解離したものではないと思うからである。なにしろ私の子供時代は、アニメはロボットアニメが主流で、ファンタジー作品はほとんどなかったからである。 


この流れを変えたのはテレビゲームだった。

 70年代の終わりからアーケードゲームとして出現したゲームは、80年代にテレビ用ゲームとして発展して言った。 

このゲームからRPGが派生するが、RPGの発展は少々独自で、欧米でRPGが生まれ、パソコンゲームで発展していった。 

欧米のRPGは加齢によってステータスが下がるなどの要素があり、日本のパソコンゲームもその流れを踏襲していた。

例えば『ザナドゥ』ではレベルアップすると鍵の値段が高くなったり、カルマが上がるとレベルアップできなくなるなどの制約があった。

プレイヤーはこのような制約の中で、どのようにプレイすればクリアできるのかを考え、それがRPGのゲーム性になっていった。

 一方、RPGの導入では遅れながらも、ゲーム業界では主流だったファミコンでは、ステータスが下がる要素が排除されたゲームが製作され、それがパソコンのRPGを駆逐していった。 

この流れについては賛否両論あり、私は批判的な方だが、『ウィザードリィ』がめんどくさくて途中で投げ出し、『ドラクエII』でシドーを倒せなかった私には、偉そうなことは言えない。

 だからここでは、少し違ったアプローチをしようと思う。 


今では3Dが主流になり、『FF XV』に至っては実写と見まがうほどになってしまったが、かつてのファミコンRPGの演出も悪いものではなかったと思う。

 ファミコン時代のRPGの演出は、「古さ」を醸し出すことにあった。茶色と黒だけの色でレンガを構成するのもそうだし、『ドラクエI』のひびの入った壁もそうである。

 この「古さ」の演出は、単に時代の古さだけではなく、ファンタジーの世界に没入させるために重要だった。今の3Dでは、かえって「古さ」の演出は難しいのではないか? 


そして、RPGのストーリーはステレオタイプだった。

剣と魔法、囚われた姫、火を吐くドラゴンとステレオタイプなストーリー、キャラクターが踏襲された。

 ステレオタイプなのは、ロム用量が少なくてストーリーを盛り込めないからである。

ストーリーを盛り込めないから、ゲームは最もストーリーを感じさせる演出をした。

それは西洋のファンタジーの世界観の基本的な要素を繰り返すことだった。 

ドラクエI」の主人公の設定もそうで、「勇者ロトの子孫でその生まれ変わり」というのは、最も宿命を感じさせる設定である(生まれ変わりという概念が西洋にはないとしても)。

すなわち竜王を倒す宿命で、その宿命がストーリーとなる 。

ドラクエI』と言えば「カニ歩き」が有名だが、少ない用量でプログラムを作った苦労話はよく知られている。

カタカナは「へ」と「り」をひらがなと併用し、18文字しか用いなかったなどである。 

しかし、ちょっと待って欲しい。『ドラクエI』は、用量の少なさが話題になる割には、動きがなめらかである。

 動きがなめらかなのは当たり前ではない。『ハイドライド』などは動きがぎこちない。 そして『ドラクエI』の、このエンディングである。 このエンディングを削れば、四方面のドット絵くらい作れるとは、誰でも思うだろう。

 つまり『ドラクエI』は、キャラクターに「カニ歩き」をさせてもストーリーを重視した作品なのである。

 動きがなめらかなのも、ぎこちなくても動けばいいという考え自体が、プレイ重視のゲーム性追求の発想であり、『ドラクエI』では動きをなめらかにするのは、ストーリー性の追求に必要だったのである。


 もうひとつ、『ドルアーガの塔』(以下『ドルアーガ』)を見てみよう。 

ドルアーガ』は難易度の高いゲームだが、この作品は難易度の高かったパソコンゲームとは別系統に属する。 

その理由は難易度の種類にある。

 『ドルアーガ』は体力値の概念があって、体力値の表示がないゲームで、それ自体がこの作品を難易度の高いものにしているが、それ以上にゲームの難易度を上げているのはその謎解きにある。 

ドルアーガ』は全部で60のステージがあり、そのほとんどに宝物があるが、その宝物を出現させる方法を、各ステージごとに見つけなければならない。

しかもヒントは一切ない。 

アーケードが初出の『ドルアーガ』は、プレイヤーを悩ませた。攻略法を知るため、他のプレイヤーのプレイを見て、攻略法をメモった人もいるという「伝説」のあるゲームである。 

ゲームの黎明期ならではの伝説だろう。黎明期の頃は、プレイヤーはゲームの難易度など分からなかったし、考えなかった。

 また『ドルアーガ』は、「呪文」「化身」という言葉を最初に使ったゲームだった。

現代人はファンタジー慣れして、特に「化身」という言葉は使わないが、当時は非常に新鮮だった。マジシャンの呪文が、本当に「呪いの文字」のように見えたものである。

 『ドルアーガ』はファミコンに移植され、攻略本も出て、プレイヤーは攻略本を片手にプレイした。やがて『裏ドルアーガ』も見つかり、全120ステージとなったが、その攻略法もすぐに紹介された。

 攻略法を見てプレイするというと「根性がない」と思いそうだが、『ドルアーガ』に限ってはそれは当たらない。 

プレイヤーはプレイをしながら、ストーリーを追っていた。

 それは実に不条理なストーリーだった。全ての謎を解くのに、どれだけの犠牲があったのかをプレイヤーは感じずにはいられなかった。またこの不条理なストーリーを必要とするほど、日本人はファンタジーに飢えていた。


 このようなRPGのヒットによって、ファンタジーへの扉が開いた。

 マンガ、アニメなどで西洋のファンタジーを模倣した作品が作られ、その勢いは、当時の主流だったロボットアニメを一分野にしてしまった。

 ゲームがファンタジーへの扉を開いたが、日本人はまたそれだけ、ファンタジーを求めていたのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

日本は中国に勝てない

トランプ氏が大統領になる - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

を書いた時にいい忘れたが、この記事は、

米軍駐留費の負担についてだが、これはのらりくらりとかわすべきだろう。「負担しなければ撤退」はブラフで、トランプ氏の安全保障への意識は高い。おそらく負担を負わせられることなく、トランプ氏と渡り合えると思う。

 

と述べた

トランプ氏から見る世界情勢 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の訂正である。


 最近、エマニュエル・トッドの『問題はイギリスではない、EUなのだ』 を読んでいる途中だが、

エマニュエル・トッド - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた私の見解と違い、イギリスのEU離脱は移民が原因ではなく、ナショナリズムの発露だと言うことだった。

 トッドによれば、現在グローバリズムからナショナリズム移行が始まっており、グローバリズムの地域版としてのEUは解体するということだった。しかもスコットランドも分離独立しない。 

それでもドイツが健在ならEUは維持されるのではないかと思うと、ドイツは男子の高等教育の進学率が低下し、出生率が1.4%と低いため、ドイツは不安定な状況にあるという。

 予言者とまで言われる人には、やはりかなわない。 


少し気になるのが、日本についての言及が少ないことである。

 トッドは日本に好意的な発言をいくつかしているが、それは概ね個人的な好意である。 

一方中国についても発言している。 中国の超大国化は幻想で、GDPの40~50%が設備投資と極端に高く、個人消費は35%と低い。

 そして貧富の格差が著しいが、中国は平等を重んじる社会で、今はナショナリズムを発揮していても、将来的には格差の是正のためにエネルギーを内に向けなければならなくなるという。 ひとまずは朗報である。

 しかしまた、トッドはこうも言っている。

まず大事なことは、中国との関係において、シンメトリック(対称的)な対決の構図に入らないということです。

 

またトッドは、中国の高等教育の進学率が17%程度で、一定しない教育を受けたけれども高等教育に進まない層がマジョリティを占めているのは、ナショナリズムが最も高まり安い状態だと述べている。 

しかし日本もまた、そういう方向に進んでいるのである。 


安倍政権は、年金支給額の減額に踏み切った。 

今後、低所得層は社会の保護が薄くなっていく。高等教育の進学率も下がるだろう。

 しかし、私は危惧しているのはナショナリズムの高まりではないのである。 


今、トランプ政権による米軍駐留費負担が問題になっているが、アメリカがアジアから撤退すれば、日本は中国に勝てない。

派遣社員はよく、「歳をとったらのたれ死にする」と言っている。

 

ヒューマニズムと社会性 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で私は述べたが、私は問題だとは思っていても、同情はしていないのである。

「野垂れ死にする」と言って何もしないのは、野垂れ死にして当然と思うような人生を歩んでいるからである。 

そのような者達が国民の多くを占めている国が、中国に勝てるか? 

旗色が悪かったり、戦争が長期化したりすれば、すぐに厭戦気分になるだろう。

 政府はそのような死にたがりをますます増やす政策を取っている。そんな国が中国に勝てるとは思えない。

 よくアメリカの覇権が終わり、地域ごとに覇権を握る国が現れてそれぞれの地域で秩序を作るという人がいるが、それならアジアの覇権国は中国である。

力と力のぶつかり合いなら、中国が優勢なのである。 

日本は中国と対抗するヴィジョンを欠いている。

日本が格差のない社会を作り、他のアジア諸国を日本に倣わせるくらいのヴィジョンがなければ、中国の野心を押さえ、そのエネルギーを内に向けるようにできるかどうかは運次第でしかない。 


とは言っても、米軍のアジア撤退はいくつかあるシナリオのひとつである。

それでは他のアジア情勢を見てみよう。 

トランプ大統領が「ひとつの中国にこだわらない」と述べたことで、中台関係に激震が走ったが、これについては私は好意的である。 

戦争になる危険性を危惧する人もいるが、今まで台湾の意識の方が甘過ぎたのである。

 トランプ大統領の発言で、フィリピンに続いてタイも中国に擦りよろうとしていたが、その流れも止まった。悪い情勢ではない。

 しかし、これでトランプ政権がアジアを撤退する気がないと見るのは楽観的過ぎる。

 そのような見解は、「利益の最大化」と「優先順位」を混同している。

「利益の最大化」は、同盟国に軍事費を負担させた上での覇権の維持であり、「優先順位」は軍事費の肩代わりにある。


 そしてトランプ政権への移行と期を同じくして、韓国が釜山の日本総領事館竹島従軍慰安婦像を設置する動きに出たが、これは韓国がアメリカに特に要求されていることがないのを示している。

つまり日本はメキシコと同様に、狙い打ちされている。 

また、台湾に米軍基地を移転する話が出ているが、これは台湾が今のところ無反応なので、なんとも言えない(台湾も反応しようがないのだろうが)。しかし実現すれば、トランプ大統領は日本に軍事費を負担させる最大の切り札にするだろう。

台湾に米軍基地の半分を移転させるとして、日本に要求する金額は駐留費のほぼ全額だろう。

 実にビジネス的な話で、実質負担額は半分である。

そして日本はそれを飲みそうである。なぜなら本土の人間は、いくら金を払っても、沖縄の米軍基地が本土に移転させたくないからである。 


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日本型ファンタジーの誕生⑦~アイアムアヒーロー②

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進撃の巨人』(以下『進撃』がマキャベリズム的な冷酷さを打ち出すことで、逆に作品に生命力の強さが打ち出されているのに対し、『アイアムアヒーロー』には自殺が多い。
アウトレットモールで、村井はBB弾が切れると橋から飛び降り、カメラマンの荒木は少年の身代りに、ガソリンをかぶってZQNを道連れに焼身自殺をする。
このような違いが、『進撃』に対して作品の色調の暗さとなっているのは否めない。

しかし、なぜ自殺の話が多いのかを考えるのは有益であり、この特徴が『進撃』にない、『アイアムアヒーロー』の長所となっている。
『進撃』では巨人が襲ってきて人間を喰う。人間は喰われるだけだが、『アイアムアヒーロー』ではZQNに人間が噛みつかれると、噛みつかれた人間はZQNになる。
『進撃』と『アイアムアヒーロー』の設定の違いが自殺の数の差(『進撃』にも自殺はある)になっている。

しかし巨人とZQNの差が、『アイアムアヒーロー』の自殺の多さの決定打ではない。
ZQNに噛まれるのが死なら、自殺しなくても死ぬのは変わらないからである。
この問題に対するひとつの答えは、ZQNになれば人を襲うからである。だから早狩比呂美もしばしば「ZQNになったら遠慮なく殺して」と言う。

しかし、もう1つの答えがある。
アウトレットモールの混乱から逃げる小田つぐみの前に、伊浦が立ちはだかる。
伊浦はZQNに噛まれていないが、感染している。 伊浦は自慰をしながら小田に話しかける。
「話中に、しごくのやめたら?」 と小田に言われても、伊浦は理解できない。
その伊浦が、「奴らZQNが何なのかわかった」と言う。


不老不死ってヤツ?ああ~最高だぁ昭和52ねん生きてるって冬の大三角ぅすばらしいんだろう

 

この脈絡の無さがZQNの特徴だが、ここで伊浦はひとつの強い執着を見せている。生への執着である。

つまり伊浦にとって、生きていればどんな生き方でもいいのである。
しかしZQNは、医学的には死んでいる。ZQNの生き方は、人間の生き方ではないのである。
どんな生き方でも生きていればいいのではなく、ZQNとしての生は拒絶しなければならない。
そう思った者がZQNになるよりも死を選び、感染した小田つぐみも「人間として死にたい」と言って、比呂美に自分を殺すように言う。

ZQNの言葉の脈絡の無さは、『亜人』や『東京喰種』にも共通している。
亜人』の「黒い幽霊」のカタコトは、社会経験の乏しさを表してもいるが、闇の力を具現化した「黒い幽霊」の性質そのものともいえる。
「黒い幽霊」は訓練すれば自分の判断で動けるようになるが、整然と語る「黒い幽霊」は今のところ登場していない。
また『東京喰種』では、喰種を喰ってパワーアップした金木研が、CCGの篠原と戦う時に喋る内容があまりに支離滅裂で、篠原に「今まで会った喰種の中で、一番イカれてやがるね」と呆れられている。
『進撃』には、言葉の脈絡の無さは基本的にない。
巨人は喋らずに、その知性のない表情で、巨人とは何かを語っている。
闇の力は、人を知性から遠ざけるのである。

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