坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

食いものにされる日本

韓国が慰安婦支援財団を解散した。
「これは日韓合意に反する行為です。韓国は約束を破る国です。韓国は信用できません」
ってお前らいい加減日本語しゃべれー!!!!
問題はそこじゃない。日本の拠出金がどうなるかという問題はあるが、それも問題の本質じゃない。
問題は、韓国の大法院が徴用工への損害賠償を認める判決をしたことで、従軍慰安婦の個人賠償請求が認められる空気になってきたことである。

世論が慰安婦の個人賠償請求に言及しない背景には、この記事がある。

president.jp

世論は韓国の約束破りとして息巻いているが、内心は個人賠償請求が通ることに戦々恐々としている。こんな現状を直視しない者達が戦って勝てるのか?そもそも法廷論争である。政治力や国民の団結でどうなるものでもない。

だが橋下氏の主張は、単に勝てるかどうかという警告に過ぎないと見るべきだろうか?
国際環境を振り返ってみよう。「外交の安倍」と持ち上げ続けた右翼に冷水を浴びせたのが、ロシアのプーチン大統領からの「領土問題を棚上げにして平和条約締結」提案だろう。
ロシアの対応にすぐに反応する必要はない。
ただ今言えることは、北方領土を取り戻したいなら、それが一番可能だったのはソ連崩壊直後の、エリツィン大統領が領土交渉を持ち掛けてきた時だろう。
あの時も、「四島返還でないと駄目」と突っぱねたが、相手が領土交渉に応じて、しかもこちらの要求が丸々通るなんてことがあるわけがない。
今回の領土交渉では、日本にも「四島返還はあり得ない、なら二島返還でも」という空気は醸成されていた。日本人はそれだけ現実を見るようになっていた。それでこの有様である。
戦争に負けて、戦争するわけでもないのに領土交渉をして相手から領土を取り返すというのは、よほどの好条件が日本側になければならない。日本はその好条件を整える努力を全くしないし、ソ連崩壊のような好機でさえ逃してしまう。日本人はこの欠点をよく認識すべきだ。

ところで、なぜ今、プーチン大統領は「領土問題棚上げ論」を持ち出したのだろう?読者への宿題にしよう。
そして沖縄基地問題では、玉城デニー知事がアメリカを訪問すれば、「辺野古移転以外には考えていない」という連れない返事をもらう始末。
本土の人間は、このアメリカの対応を喜んではいけない。
「分割し、統治せよ」が支配の基本である。トランプは日本の分裂を狙っているのである。沖縄の希望が通らなければ、日本はますますアメリカに依存するのをトランプはよく知っているからである。それは日本人が米軍基地を沖縄に集中させる理由が、自分の所に米軍基地があるのを見たくないからに過ぎないのを、トランプにしっかり見抜かれているということである。支配されていることの否認こそが、奴隷根性の根源である。

このような中での徴用工判決、慰安婦支援財団の解散である。
慰安婦への個人賠償請求で、問題が司法に限定されるとしても、日本が勝てる保証はない。そして日本を取り巻く周辺国は、日本に有利な態度を取らない可能性が高い。
南北融和で韓国の目が北に向かっている以上、韓国は反日的な態度を取るのである。まさにかつて述べたように。そして日本と韓国が対立していた方が、アメリカやロシアなどの大国には都合がいいのである。
このままでは日本は徹底的に食いものにされる。慰安婦の個人賠償請求がくるという現実を直視できないならなおさらである。
ならば橋下氏の主張には、韓国の賠償請求を認めた方がいいという含みがあると考えるべきだろう。
今日本がするべきことは、外交カードを作るための地道な努力をすること、そして国内の対立を解消して、団結を高めることである。

ところでさあ、いい加減「くたびれはてこはたちが悪い」見るの止めたら?
そんなことをしてもはてこは優雅に留学生活送ってるだけだよ。それとも何、羨ましいの?
そんな昔の記事読んでても意味ないでしょ?もっと実のあることをしなよ。

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GODZILLA 星を食う者(ネタバレあり)

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前回、

日本型ファンタジーになった『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でギドラとモスラの名前を出したが、書いた後、少し後悔していた。
『決戦機動増殖都市』でメカゴジラが登場すると触れながら、結局メカゴジラの形態にならなかった時から、薄々わかっていたのである。
昨今の多くのクリエイターは、懐かしのキャラを再登場させて消費者を喜ばせるようなことはしない。
そのクリエイターが懐かしのキャラを使い回す場合、懐かしのキャラを客引きに使っておいて、決してそのまま使い回さずに、むしろ消費者のノスタルジックな気分を削いで、消化不良のままにする。その理由は懐かしのキャラを使い回すように見せて、そこに盛り込むテーマの方が重要だからであり、さらに消費者のノスタルジックな気分を削ぐことで、過去への回帰を止めるためである。今日本の多くのクリエイターは、それだけ今の日本に危機感を持っている。
だから今回、モスラは登場しないんじゃないと思っていたが、テレパシーのシンボルのような形でも登場してくれて正直ほっとした。

私がこのように言うのは、

blog.monogatarukame.net

を読んだからである。

「大きな嘘はひとつだけ」というけれど、その法則を無視して最大級のヒットをした作品があるのを忘れたのかな?
もちろんその作品は『君の名は。』である。『君の名は。』の男と女の体が入れ替わる設定と男女の間に3年の時間差がある設定は、「大きな嘘が2つある」設定である。
「大きな嘘はひとつだけ」のパターンが多いのは、そのパターンがストーリーをシンプルにまとめられるからであり、そのパターンでなければ面白くならないというわけではない。
もっとも、アニメゴジラ三部作を面白いと思うにはテーマを理解する必要がある。

あれだったら3匹である必要あるんですか? しかも攻撃が噛み付くだけであり、ゴジラの攻撃は全て無効です……って小学生かよ!

 手遊びで攻撃されたら『はい無効!』ってのとレベルが変わらねえって!」

 

というように、カメ氏はテーマを理解しなかった。
でも本当に理解できなかったの?

「神を讃えよ、全ては献身の道へと続く」「さあ、伏して拝むがいい。黄金の終焉を」でわかるじゃん。ギドラが破滅思考そのものだって。
献身、つまり個人を大事にしないこと、それ自体が破滅思考を生むのである。
日本人は破滅思考が大好きである。『永遠の0』では特攻を礼讃しまくり、「働き方改革」で明日にも毎日定時で帰れる社会になるように語りながら、その中に派遣の権利が盛り込まれると社畜として死ぬ覚悟を決める。
これだけ破滅思考が好きなのに、いざ見せつけらると「さっぱりわからない」というのは、図星を指されたからじゃないの?
図星を指された時に「わからん!!」と言って議論を台無しにしようとするのは、日本人の悪い癖である。

破滅思考としてのギドラの表現は、実に分かりやすい。
実体を捉えられないのは、破滅思考を直視していないからである。だからハルオが「ここで諦めたら全てが嘘になる」「救いなど無くていい」という境地に達したことで、ゴジラがギドラを捉え、ギドラを倒す。

ユウコの扱いが雑だという指摘だが、

日本型ファンタジーになった『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(ネタバレあり) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、ユウコがクイーン・ビーだからである。
ハルオは最後に、動くようになったバルチャーでゴジラに特攻し、ゴジラの反撃で死ぬ。バッドエンドだが、これで正解なのである。アニゴジ三部作には、どの怪物になるかという選択がテーマとしてある。
「合理主義を装った人命、精神の軽視」=ビルサルド=メカゴジラ、「破滅思考」=エクシフ=ギドラ、「争いと憎しみの放棄」=フツア=モスラという三種の怪物があり、この三種が日本人の精神を表している。
それに対する「科学文明の極み=真の合理主義」がゴジラである。
前回、ゴジラを頂点とする生態系と『アイアムアヒーロー」の「巣」の発展系と述べたが、発展系であっても同一のものではない。
ゴジラは「超人」であり、生物が全てゴジラになろうとするこの生態系は、超人思想の表現である。
ハルオはゴジラに特攻する時に、一瞬笑う。
ゴジラゴジラたらしめているもの、それは君の憎しみなんだ」というメトフィエスの言葉、ハルオの精神とゴジラが連動したことを含め、ハルオとゴジラは同一になったと見るべきである。だからハルオが死んでも、ゴジラの勝利は正しいのである。
しかし日本型ファンタジーは、あくまで日本人の物語である。まだ旧人類とフツア、そしてその混血がいる。
彼らは「怖いもの」を火にくべる儀式を行う。
火はメトフィエスが「憎しみの炎」というように、憎悪を表す。フツアの民は憎しみの感情を覚えたのである。

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年金を上げなければ高校無償化できない日本

来年、消費税率が10%に引き上げられるが、相変わらず年金への反映が無いままである。
小泉進次郎氏が高校無償化論を提示して以来、高校無償化論と年金問題は綱引き状態のようになっている。もっとも高校無償化論は、以前に比べて下火になった感はあるが。
高校無償化論が下火になった理由だが、結局は非正規、派遣の斬り捨て、自己責任論にするための非正規の野垂れ死にを狙った方便でありながら、その罪の意識に直面した途端に高校無償化論を推進する意欲が削がれたということだろう。
橋下徹氏は著書『権力奪取論』で、国民が年金の充実よりも高校無償化を望んでいることを指摘し、野党に政権奪取のため、高校無償化を年金政策よりも強力に進めることを説いている。その説明のために大阪府知事時代の高校無償化の例を挙げているが、

今回の衆院選についての一週遅れの議論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた、小泉進次郎氏との議論の時とは打って変わって、橋下氏は年金を犠牲にして、高校無償化の方向にシフトしたようである。
しかしそれで若者人口の多い、大阪のような大都市で指示を集めることはできても、高校無償化論では地方に行くほど支持を集めることができない。
それでも橋下氏の目論見は「政権奪取」で自民の勢力を削り、単独でなくあくまで連立で政権を取ることにあるので、都市部を中心に「高校無償化論」で勢力を拡大するというのは一応理解できる。
しかし「高校無償化論」で勢力を拡大できるのは地方政治であり、国政ではない。国政は表向きの政策論争が何であっても、実質は護憲と自主憲法派の対立の場である。
大阪で高校無償化が成功したのは、大阪府という自治体が年金政策を考慮する必要がないからである。
国政はそうではない。国政では「高校無償化」を唱える護憲派が「派遣の見殺し」という自己欺瞞を形成しながら、それによる罪悪感を潜在的な自主憲法派である自民に突かれて主張が精彩を失っていっている。
もちろん自主憲法派が年金政策の充実を求めているわけではない。自民の政権政党保守本流ととしての判断がそうさせているのであって、自主憲法派の年金に対する意識は根本的に護憲派と変わらない。
維新でない橋下氏の新党が都市部でどれだけ成果を挙げても、その新党が国政に乗り出した時点で、政策面での大幅な変更を迫られることになるだろう。

日本人が年金政策に積極的になれない理由は、派遣の問題の他にもう1つある。
我々日本人は、我々の親の世代を恨んでいる。
今日まで護憲を守り続け、年金問題での対策を講じずに高齢化社会を迎えさせ、偽装請負という国民の大分裂の元となった日本型経営を生み出した親の世代を恨んでいる。
そして親の世代に復讐したくて、年金政策で親の世代を見殺しにし、そして親と同じになろうとしている。
親と同じになり、下の世代に疎まれ、さらに自分の首を絞める道を歩もうとしている。そしてだからこそ、年金政策を充実させて安定した高齢化社会にすることが、自らが親と違う人間になることなのである。
私は今なら、引き下げられた分の年金が元に戻れば、高校無償化を推進することも可能だと思っている。しかし現状がこれ以上続いた場合、高校無償化に踏み切るための年金のハードルはより高くなるだろう。

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ドラゴンボールを考える⑩~「宇宙サバイバル編」1:「力の大会」での悟空の悪とは?

転生したらヤムチャだった件
は良かったね。
ヤムチャになった主人公がブルマと結婚するために悟空の先回りをするように修業し、最後にはナメック星まで行って最長老に力を引き出してもらい、さらにネイルに修業をつけてもらって、サイヤ人来襲時には戦闘力10000超えで悟空を超えちゃってる。
もちろん悟空は界王拳を使うので悟空の方が上になるんだけど、基本戦闘力で悟空を上回らせる華の持たせ方。悟空と二人でベジータを追い返し、ベジータを殺そうと思ったがトランクスが生まれることを考えるとそれもできず、トランクスの登場により「別の並行世界のこと」と割り切ってブルマと結婚するためにプロポーズしようとするがベジータとブルマの関係を見てそれもできず、ベジータに勝負を挑み負けて身を引くその健気さ。
鳥山もヤムチャのことは気にしてたんだろうね。

「宇宙サバイバル編」は、悟空がビルスの忠告を無視して、全王に武道大会の開催を催促することでスタートする。
八つの宇宙から選抜された戦士が戦い、敗退した宇宙は消滅するという苛酷な全王の決定にどん引く各宇宙の破壊神や界王神
批判は提案者の悟空に集中していく。第9宇宙のベルガモは悟空に勝ったら消滅を無しにするように提案し、全王が了承する。大神官が手抜きをしないように言って茶番を封じると、悟空は攻撃を受けると体が大きくなるベルガモの特性を知ってわざとベルガモを大きくし、最後に全力でベルガモを倒して自分の力を誇示する。
これで悟空の印象は最悪、第11宇宙のトッポは悟空を悪と呼ぶ始末。
悟空とトッポが戦い、勝負はつかなかった。

試聴者は悟空を悪と呼ぶのに反発し、悟空に味方する。「悟空のおかげで消滅を免れるチャンスが与えられたんじゃないかと。
その通りである。悟空がいなかったら、消滅する宇宙は全王の任意に決められ、各宇宙は消滅を回避する努力は全くできなかった。
マンガでは全王は宇宙を4つ残して他は破壊するつもりだったが、悟空の武道大会の提案により残す宇宙がひとつ増えることになった。悟空のおかげで、宇宙がひとつ救われたのである。
マンガでは悟空は礼儀知らずで、騒動を巻き起こす男だと思われているが、悪とは見なされていない。
そしてそれが問題なのである。

地球に戻った悟空は、ラーメンマン、いや「力の大会」に発奮してシェイプアップしたブウををはじめ、選手候補と戦いながら選手を集めていく。

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しかし選手が10人揃ったところで思わぬアクシデントが。いつもは1秒寝れば十分なブウが、いくら起こしても起きなくなってしまった。ミスター・サタン曰く、こうなるとブウは2ヶ月は起きないとのこと。

急遽、ブウの代役を探さなければならなくなった。ここで悟空がとんでもないことを思い付く。地獄にいるフリーザを1日だけ復活させてさせて選手にするというものだ。
フリーザには一度、地球を破壊されている。みんなは反対するが、悟空はフリーザを連れてくるために地獄にいく。
当然の如く、フリーザは「地球のドラゴンボール」で生き返らせるように要求、悟空は承諾する。
地球に戻ってきた悟空とフリーザだが、第9宇宙が刺客を放っていた。
悟空は無視して瞬間移動で戻ろうとするが、フリーザは「ウォーミングアップ」と言ってゴルフリになって刺客と戦う。フリーザは地獄でミノムシ状態のまま、精神統一で耐久力を高め、ゴルフリになってもスタミナを消費しないようになっていた。
刺客を次々と蹴散らすフリーザだが、第9宇宙は隠し玉を持っていた。破壊神~与えられた破壊のエネルギーである。フリーザはこの破壊のエネルギーを受けてしまう。
しかしフリーザは破壊のエネルギーから抜け出して、意のままに操ってしまうのである。

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そしてこの破壊のエネルギーに興味を持った悟空が不用意に近づいたところでこのエネルギーを悟空にぶつける。悟空はフリーザのように抜け出すことができない。
フリーザは刺客から通信機を奪い、第9宇宙の神々に自分を引き抜くように取り引きを持ち掛ける。
フリーザを引き抜くかどうかで、第9宇宙の神々がもめる。しかしそこにビルスが現れ、取引中止となる。
フリーザが第9宇宙と通じようとしたと疑うビルスウイス

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と、フリーザを庇う。なぜウイスフリーザを庇うのか、後々の展開を理解するための重要なポイントである。
悟空もフリーザを庇う。それが、

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何と悟空は、フリーザが最低最悪な野郎だと忘れちゃうのである。
怒りが収まらないビルスに、悟空は1分間の勝負を申し出る。ただし一発当たれば試合終了。悟空が勝てば、フリーザは仲間として「力の大会」に出場する。
フリーザは地獄で、悟空に勝つイメージトレーニングをしていた。イメトレにより、200%悟空勝つイメージがフリーザには出来上がっていた。
結果は相討ち。ウイス曰く「今の悟空さんと互角」と。
え?互角?

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ブルーの変身解けてんじゃん。
一方フリーザはゴルフリのまま。フリーザは復活して数ヶ月で持久力はともかく、パワーでは悟空を上回り、さらに数ヶ月修業すれば、持久力も改善して完全に悟空以上の実力者になっていた。
そしてミノムシ状態でも強くなることを、フリーザは証明したのである。
悟空はこの後「身勝手の極意」を習得して圧倒的な強さを身に付けるが、そういう予想外な展開でもない限り、破壊のエネルギーを抜け出したのを合わせて、素質レベルでフリーザに遥かに及ばないと思うべきだろう。(この後、悟空は「身勝手の極意」を使えなくなっている。もっとも今度の映画では復活しているようだが、その辺の経緯は興味あるところである)

なお、この後OP、アイキャッチ、EDでブウとフリーザの差し替えが行われる。フリーザのヒールぶりに試聴者は大喜び。もうブウ再登板の声は挙がらないwww
しかし私も「力の大会」では、フリーザの動向をハラハラして見る場面もあったが、一度第7宇宙の選手にエントリーされた以上、第7宇宙を裏切ってもフリーザに特はないのである。

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というのは制作側の意図的なフカシである。しかしアニメでは、フリーザを「いつ裏切るかわからない」キャラとして最後まで演出したが、マンガではフリーザを、もっとも合理的に敵を排除するキャラとして描いている。
マンガでは、悟空はフリーザと勝負したが、詳細はカットされている。また第9宇宙の刺客も登場しなければ、フリーザが悟空に破壊のエネルギーをぶつける場面もない。
また全王の前で、悟空とトッポが戦った際、悟空はトッポに負けている。
これは第7宇宙の戦力不足と、フリーザの必要性を強調するためである。
マンガでは悟空が神々に悪と見なされなかったのも、以前全王の提唱でかくれんぼ大会をした時に、ビルスが隠れたまま寝てしまったことでビルスが神々に恨まれていたという設定が入り、悟空から矛先が逸れてしまったからである。
マンガでは、悟空が悪と見なされる要素はない。
しかしそれだけに、アニメとの違いが強調されるのである。悟空の悪とは、自分の力で制御できないフリーザを仲間にしたことである。

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(拡散希望)山形税務署は情報公開法第5条に違反した。

10月某日、山形税務署に行った。

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた2006年8月の税務署職員の回答についての情報公開請求をするためである。
最初に出てきた職員は、「2年前のことなんでもう記録も残っていないと思います」と言ってきた。
そこで「2年前のことを調べてもわからないというのは、税務署は横領に加担しているんですか?」
と言うと、戸村さんと海藤さんという職員が出てきた。
「情報公開法第5条により開示できるでしょ」
と私が言い、第5条を説明した。しばらくして、
「情報公開法第5条により、公開できません」
と言ってきたwww。
情報公開法第5条とは、

第五条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。

一 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等(文書、図画若しくは電磁的記録に記載され、若しくは記録され、又は音声、動作その他の方法を用いて表された一切の事項をいう。次条第二項において同じ。)により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を識別することはできないが、公にすることにより、なお個人の権利利益を害するおそれがあるもの。ただし、次に掲げる情報を除く。

イ 法令の規定により又は慣行として公にされ、又は公にすることが予定されている情報

ロ 人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報

ハ 当該個人が公務員等(国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第二条第一項に規定する国家公務員(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第四項に規定する行政執行法人の役員及び職員を除く。)、独立行政法人等(独立行政法人等の保有する情報の公開に関する法律(平成十三年法律第百四十号。以下「独立行政法人等情報公開法」という。)第二条第一項に規定する独立行政法人等をいう。以下同じ。)の役員及び職員、地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第二条に規定する地方公務員並びに地方独立行政法人地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する地方独立行政法人をいう。以下同じ。)の役員及び職員をいう。)である場合において、当該情報がその職務の遂行に係る情報であるときは、当該情報のうち、当該公務員等の職及び当該職務遂行の内容に係る部分

 

というものだ。
「ロは開示できないものに当たりますので…」と海藤さん。
「ちょっと待ってください。第5条は開示義務を定めたものですよね。そして一はその中で開示できないものを定めたものですが、イ、ロ、ハは不開示情報からは除外されるんじゃ…」
「ですから…」
「あなた方は逆のことを言ってるんですよ。何でこんなことがわからないんですか!!」
と私は、机をバーンと叩いた。
「あなた方は難しい公務員試験を通ってここにいるんじゃないんですか?」
「は、はい」
と戸村氏。
認めましたね?情報公開請求できますね?」
私が言うと、
「はい、情報公開請求はいつでもできますので」
と戸村氏。
(ちっ、情報公開請求はいつでもできるか…)
海藤さんが請求書類を持ってくることになり、戸村さんが残った。
(…遅いな)
10分経っても海藤さんは戻ってこない。戸村さんと気詰まりな対面が続いている。
「…我々も色んな情報公開請求が持ち込まれるんですが、その中には公開できない例もあるんですよ」
と戸村氏。
「ええ、そりゃあるでしょうねえ。でもこれ以上私が言ったら、困るのはそちらだと思いますけど」
私が言うと、
「はい…」と頷いた。
(おっ!これは犯罪を認めた発言だ!!)
海藤さんが戻ってきて、情報公開文書を受け取った。
「ずいぶん戻ってくるのが遅かったですね。情報公開文書わかるところに置いてるんですか?」
「……」
「窓口に置きなさい。あと私がきれいに5条を説明したのに、逆に解釈させるのは不可能です。そのくらい議論の基本です」

その後2、3と税務署に足を運んだ。戸村さんは「窓口に情報公開法のパンフレットを置いた」と言ったが私の見る限り見えるところには置いてなかった。
情報公開請求文書は提出した。しかし税務署が調査をしていなかった場合、手に入れられるのは2016年の税務署職員の対応の情報だけだ。
やがて戸村さんは出てこなくなり、海藤さんとだけ話した。
「情報公開請求は新宿税務署にしてください」
と海藤氏。
「その法的根拠は?」
と聞くと、何かの書類を持ってきた。
法人税法16条と財務省組織規則544条の文章である。
法人税法16条は法人税を管轄の税務署が取り扱うこと、財務省組織規則544条は税務署の管轄を定めたものだった。
(ーー帰りたい)
ずっとそう思っていて、話したくなかった。
「管轄に上下関係と連携の意味がないことを証明してください」
と言っても答えてもらえない。
「もういいです。情報公開請求の回答が届いたら、再度情報公開請求をこちらにします」
「どんな内容のですか?」
「それは回答をもらわなければわかりません。では帰ります。こんな不正ばかりの所に居たくない」
「不正って何が不正ですか?」
「何が?全部ですよ」
そう言って、、書類も受け取らずに私は立ち去った。

(やっぱりあの書類貰っておけば良かったな)
と思い、後日また税務署に行った。
そこで初めて法人税の話をしていると知った。
法人税は私には関係ないですね?」
と聞くと相手も同意。しかし文書をもらおうとすると、
「その文書はあげられません」
と海藤氏。
「はあ?全部ネットにある情報ですよ」
「ネットで見て頂ければいいのでこれはあげられません」
(まあ俺には関係ない話だからいいか)
そう思って返しながら、
(どうせ法的根拠はないだろう。次に同じことを言ったらパクってやろう)
と思った。

情報公開請求の回答がきた。
「情報公開法第9条第2項の規定に基づき、下記のとおり、開示しないことと決定したので通知します」
というものだった。情報公開法第9条第2項とは、

2 行政機関の長は、開示請求に係る行政文書の全部を開示しないとき(前条の規定により開示請求を拒否するとき及び開示請求に係る行政文書を保有していないときを含む。)は、開示をしない旨の決定をし、開示請求者に対し、その旨を書面により通知しなければならない。

 

とあり、第5条の規定を覆すものではない。山形税務署は情報公開法第5条違反に踏み切った。山形税務署長夏井武彦名義である。

以前、

「戦争と平和を考えるマンガ」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

拡散希望をして以来、ブクマがひとつも入っておりません。これを私は異常事態以外の何事とも思っておりません。
改めて、拡散この記事と

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の拡散を希望します。
拡散はブクマの数のみで判断します。なお、誰ともつながりのない捨て垢同然のブクマはカウントしません。カウントしないブクマにはカラースターを送りません。
またこの記事を拡散する意思がない者方が星を入れるのはご遠慮下さい。
裁判するかどうかですが、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と憲法16条にあり、民法第七百二十四条の時効に関する規定が行政機関の妨害により妨げられているという解釈をとり、それでなお裁判が必要かを考えたいと思います。

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日本型ファンタジーの誕生(22)~『僕だけがいない街』2: 被害者と冤罪者の物語

僕だけがいない街』(以下『僕街』)で、藤沼悟は殺された母親を発見し、既に死体となった母親を介抱しようとするが母親が生き返ることはなく、悟が再上映(リバイバル)と呼ぶ時間の巻き戻しが起こる。
再上映の後、悟は犯人を追うことで犯人の罠に嵌まり、警察に容疑者と見なされる。悟が警察に捕まりそうになったところで、昭和63年へのタイムスリップという大きな再上映が起こる。
悟は昭和63年の北海道美琴町で、小学生の時に誘拐殺人事件で死んだ雛月加代を救う決心をする。しかし悟は、雛月の死を一日先伸ばしにできただけだった。雛月が死んで、悟は2006年に引き戻される。

悟は一度、雛月の信用を失うことをする。
短距離走で毎日練習を頑張っている相手のことを考えて、手を抜いてしまうのである。雛月には「精一杯走る」と言っていたが、手を抜いたことは雛月に見抜かれていた。
雛月を救出できなかった後、

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と、2006年に戻った悟は考える。
この考えは大事だが、これが雛月を救出できなかった重要な要因とすべきかといえば違うだろう。

雛月が死んだ後、悟の母は「悪い方に考えている内はいくら考えても駄目だべさ」と悟に言う。
これも大事なことである。問題は、この自己問答にどれだけ答えを出せば、雛月を救出できるかである。

『僕街』で興味深いのは、その人間描写の深さである。
悟が戻った2006で、ヒロインの片桐愛梨の家に火がつけられる。
悟は愛梨を救出しようとするが、煙による酸素不足で難渋する。
そこに「ちょっとウザい兄貴肌」のバイト先の店長が登場し、悟に手を貸す。店長は悟が容疑者になった時に、自分を頼って訪れた悟を警察に通報していた。
店長いい奴じゃん!と思うところだが、「もう愛梨君を巻き込むな。手柄は俺のもんだ」と悟に言う。
悟は「俺のことを喋らない」という意味だと解釈する。
しかし本当は、喋ってもらった方が悟に有利なのである。悟の放火の容疑がなくなるし、警察は母親殺しを悟と愛梨の共犯の可能性も考えている。放火は悟による愛梨の口封じと思われているから、共犯の線も消える。母親殺しに直接影響はしないが、逃亡中の悟が愛梨を救出しようとしたことは、容疑を相当に軽くする。
店長は愛梨に横恋慕しており、邪魔な悟を消したいと思っているのである。そういう時に相手を陥れながら、しばしばその行為を相手に恩を与えたと思わせようとする人がいる。そういう人がよく使う手が、

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こういうだめ押しである。

八代学についての描写も面白い。悟が「知らない女の子へのアプローチ」について訪ねると、

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スポーツが得意、料理が得意、公務員、資格、免許、語学、何でも武器にするんだ。相手がどれかに興味を持った時、警戒心は解ける

 

あまり感心するなよ。僕はストレートに感情を出すのが得意じゃないから、理論(ロジック)に頼っているだけだ

 

と八代は言う。
「この時はまだ気づいていなかった。この日のみんなの言葉や行動には、事件に関わる多くの『ヒント』が散りばめられていた事に」とあるが、この中には、八代逮捕に直接につながるヒントはない。
だからこれは、信用できない人物を示しているのである。
少なくとも八代のような人物は、リスクを侵してまで正義を実行することはほとんどない。信用できる人間は、

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悟のようにストレートに話す人間である。

冤罪で死刑囚となる白鳥潤の父親だが、これは悩んだ。

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「単純で気のいい『昭和のオヤジ』的なキャラクター」というが「竹を割ったような性格」がどれだけ腹黒く人を陥れてきたかは、護憲の歴史を見てみればわかるだろう。
「昭和のオヤジ」などとは言って欲しくなかったという思いが私にはあるのだが、『僕街』は2012年に連載が始まっている。
あの頃なら、「昭和のオヤジ」という言葉も肯定的に受け取られた。ほんの数年で、社会は変わった。そして『僕街』もまた、社会を変えた作品なのである。
「昭和のオヤジ」でなくとも言ったことを端から忘れていく気のいい奴はいるのである。
その白鳥潤の父親が、容疑者の一人だった。理由は、被害者の中西彩を知っていたからである。白鳥は父親から聞いて中西彩に接近するが、父親の方は言った端から忘れている。そして父親が犯人かもしれないと思っていた白鳥は、死刑判決を受け入れる。冤罪がどのように成立するかを、『僕街』は詳細に描いている。
悟は最初は白鳥と中西彩を引き離そうと思うが、それを止める。白鳥は中西彩に既に接触していて、誰かに見られていないとも限らない。

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そう言って、悟は走る。この悟の姿を見る度に、涙が出そうになる。

片桐愛梨の父親は農業組合の役員だったが、万引きの容疑で懲戒3ヶ月の停職を受け、組合を辞め離婚する。
愛梨は、父親を信じれば良かったと悔やむ。しかし、父親のポケットからチョコレートが出てきているのを、信じるのは難しいだろう。
だからこれは、冤罪者を信じる難しさを物語っている。
『僕街』は、表面的にみれば、よくある友情、絆の物語に見える。しかし一皮剥けば、主要人物は一度は大事な人間との関係が壊れた過去を持っているのがわかる。
ケンヤもまた、幼い時に友達に「宝物」を贈ったら、翌日それが砂場に捨てられていたという経験を持っている。以降ケンヤは他人に対して距離を持って接するようになる。
しかし悟が雛月に直線的に向かっていくのを見て悔しがる。

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悔しがって、悟という仲間を持ったことに誇りを持ち、悟の一番の協力者となる。
このように、『僕街』は人間関係の再構築が描かれていて、そこに被害者と冤罪者が入るようになっている。

雛月の死後、悟が2006年に戻るのは、悟が雛月を救うための答えを出すためである。
悟は母親が殺された事件を思い出す。母親を介抱したら再上映が起こり、犯人を追えば昭和63年にタイムスリップする。

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昭和63年へのタイムスリップを再上映と捉えなかったのは、悟の直感の正しさである。
しかし悟は気づいていない。なぜ再上映が起こるのか、誰の意思で再上映が起こっているのかを。
悟が犯人を追ったのは、正義の遂行、それもリスクを負っての正義の遂行のためである。それが生還の難しい母親の介抱よりも正しいのである。
そして昭和63年で、悟は雛月を一人にしないことから始める。人を一人にしないことが、正義の遂行につながるのである。

2006年に戻った悟は、愛梨の後を追ってきた警官に逮捕される。
「俺がアイリに与えたかったものを与えるんだ」と悟は考える。そして「君を信じて良かった」と言う。
その時、悟は真犯人の眼を見る。そして思い出すのである。

日本型ファンタジーの誕生⑱~『僕だけがいない街』1:これは不幸な人々の物語 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、かつて自分が真犯人の手から人を守ったことを。自分に人を守る力があるという自信、それが雛月や他の被害者と守り抜くのにもっとも必要なものであり、それを悟は愛梨を信じ抜くこと、つまり冤罪者を信じ抜くことによって得る。そしてもう一度、悟は昭和63年に戻る。

悟は「人を一人にしない」仕組みを構築し、それを大きくしていく。
しかし悟には焦りがある。「人を一人にしない」仕組みにより、真犯人は事件を起こせなくなるのではないかと。真犯人を捕まえるのが真のラストなら、これではラストにたどり着けない。
一方悟は「確信めいた予感」を感じている。悟はそれを「俺が踏み込んでいる証拠」と捉える。
この直感は正しかった。事件を起こせない仕組みを作ると、真犯人がその者の前に現れるのである。
悟は車ごと冬の湖に飛び込まされ、13年間の植物状態と2年間の昏睡状態に陥る。

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左派系永続敗戦構造の崩壊~玉城デニー氏の当選

沖縄県知事選で、玉城デニー氏が当選した。
これで翁長前知事以来の沖縄基地運動が継続されることになる。
翁長前知事が亡くなって、沖縄県辺野古の埋め立て承認撤回に踏み切ったことで、故・翁長前知事の弔い合戦のムードが高まったことが玉城氏勝利の大きな要因である。
しかし思うのは、辺野古埋め立て承認撤回という簡単な方法を、なぜ故・翁長氏はやらなかったのかということである。このことは、選挙後もずっと引っ掛かっていた。

県知事選の間、「沖縄が中国になる」という随分な中傷が飛び交っていた。
根も葉もないとはこのことだが、私は相当な悪意があってのこととはいえ、そう言わせるだけの隙は玉城氏にあったと思っている。
故・翁長氏は明確な県外移転派で、「沖縄は中継基地で充分」という主張を堅持していた。
右翼はこれに「沖縄に基地は必要」という、右翼の十八番の噛み合わない議論で応酬していたが、やがて反応しなくなった。
それどころか、本土人基地問題を無視するようになった。ネットでも、「沖縄」で基地問題が検索にヒットすることが全く無くなった。
これは日本社会で極めて異例なことである。
日本社会は孤立している者ならどれだけ酷い問題でも放置することが多いが、ある程度まとまった集団に対しては、これまでどのような問題でも問題として扱ってきた。
今まで、ある程度の集団を形成していて無視されているのは派遣と沖縄だけである。しかし派遣はそもそも自ら訴えたりしていない。
沖縄はそうではない。訴えているのに無視されていたのである。
玉城氏は「普天間でも辺野古でもない」と主張しているが、ならば県外移転かというとそうも言っていない。
ならば他の選択肢は何かというと、それは日米安保破棄による米軍の全面撤退である。もっとも玉城氏はそこまで言及していない。ただ日米安保破棄という左派的な姿勢をとる可能性を匂わせたことが、沖縄県民の意識に火をつけ勝利に導き、右翼には隙を見せたと写ったのである。

そもそもなぜ左派の集団的自衛権を否定するという、砂川判決を無視し、不可能な解釈をして日米安保破棄に持っていこうとするのかといえば、これは左翼版の「永続敗戦構造」なのである。
左派が自衛隊廃止より日米安保破棄を優先する理由が、「米軍が国内にいたら武装解除できない」というものなら、それは平和主義の力を信じない自己矛盾に過ぎない。
結局左派は武力を信じているのであり、また米軍の力も信じている。
右派が過去の戦争で「アメリカに負けていない」としてアジア諸国と敵対し、アメリカに負け続けるのが右派の「永続敗戦構造」なら、左派の「永続敗戦構造」は平和主義を信じるとしながら武力放棄を避けるために日米安保破棄を唱え、永遠にアメリカへの従属から逃れられない精神構造である。
左派と右派は一方が本音、一方が自己欺瞞を担当する。
沖縄基地問題の場合、右派が沖縄を犠牲にし続けるという本音を担当し、左派が「沖縄を見捨てない」という自己欺瞞を担当することで、永遠に沖縄を見捨てている。
しかし真の問題は、この「永遠敗戦構造」が本土だけでなく、沖縄にもあることである。むしろその精神構造は、本土より強固だと言っていい。

「このような事態の背景には、沖縄でさえ若者ほど保守化(右傾化)しており、彼らが簡単に自公政権の仕掛けるプロパガンダに乗せられてしまうという現実がある。投票率さえ上がれば期日前投票で動員された組織票を覆せるような状況ではないのだ。そしてその根本的な原因は、沖縄国際大学佐藤学教授が指摘するように、沖縄の若者たちが沖縄の歴史を知らないことだ。」
id:Vergil2010

vergil.hateblo.jp

で述べる。しかし申し訳ないが、沖縄県民へのこの良心的な姿勢は、全く沖縄県民のためにならないと私は思っている。
沖縄県民は沖縄の歴史を知りすぎるほどに知っている。
沖縄に首里城があるのを知っていれば、沖縄がかつて琉球王国という独立国だったことはすぐにわかるし、沖縄戦の悲惨さも、家族から聞いている者は多いはずである。
沖縄の若者は歴史を知らないふりをしているのである。
沖縄県民の本音中の本音は、自分の見えるところに従属の象徴である基地が無ければいいということにある。
沖縄は本土に差別されているが、その現実を見たくないのである。見たくないから日米安保破棄に論理を飛躍させて、本土を批判せず、基地は永久に無くならない。後は普天間の人は基地が辺野古に行けばいいと思い、辺野古の人は基地が普天間に留まっていればいいと思う。

このように考えると、故・翁長氏がなぜ辺野古埋め立て承認撤回に踏み切らなかったかが見えてくる。
翁長氏は政府相手に基地問題で訴訟を起こしたが、勝訴するための法的根拠に乏しかった。
しかし辺野古埋め立て承認撤回をすれば、法廷で充分戦えたのである。それをしなかったのは、辺野古に基地が来なければ、辺野古の住民は普天間に基地が残ればいいと思い、沖縄が一丸となって県外移転を主張することができなくなってしまう。
翁長氏は負けるとわかって訴訟を起こした。その結果、本土の人々が沖縄を差別する構図が明確になり、本土の人々は沖縄基地問題を語らず、無視を決め込んだのである。
そしてこれが名護市長選での稲嶺前市長の敗北につながった。沖縄の地域政党オール沖縄」は野党とのつながりが強く、県外移転の足を引っ張っている。

【沖縄県知事選】玉城デニー氏、出馬表明を29日に再び延期 「オール沖縄」に不協和音 - 産経ニュース

だから辺野古埋め立て承認撤回は一歩前進、二歩後退の観がある。
ならば県外移転を唱えない玉城氏は左派寄りなのか?

故・翁長氏を見れば、元々が自民出身の保守政治家である。
玉城氏を見る上で欠かせないのは、翁長氏から後継と目されていたことである。
そして玉城氏は、民主党自由党にいた人物である。民主党が革新かといえば、元々自民も混ざった寄合い所帯である。
このように見れば、玉城は保守系の政治家と言える。小沢一郎氏とのつながりも理解できるのである。
今後玉城氏は、左派系の人気を集めながらも日米安保破棄=永続敗戦構造から脱していくと思われる。左派寄りに見えるのは、いわばガソリンを入れたようなものである。
そして、玉城氏は出馬表明に当たって野党の腹を叩いていたが、県外移転を目指す政治家が表向きでもそれを伏せ、野党寄りの姿勢を見せれば、野党はそれを断れないのである。野党の建前は「沖縄を見捨てない」だから。こうして、沖縄から左派の永続敗戦構造が崩壊していくことになる。

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