坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーの誕生⑩~グロテスクな怪物たち

昔あるブロガーが「虫も子供の頃から慣れ親しんでいれば、大人になっても虫に触れるようになる」と言っていたが、私は違うと思った。

 私は子供の頃に平気で虫に触っていたが、今は全く触れないからである。

 ただ、なぜ子供の頃に触れた虫に、今触れないのか、その時はわからなかった。しかし今は答えられる。


 80年代から、マンガやアニメにグロテスクな怪物が登場するようになってくる。その始まりは、私が思うに『風の谷のナウシカ』である。

 『風の谷のナウシカ』には、蟲と呼ばれる怪物が出てくる。

この蟲は昆虫を大きくしたようでいて、昆虫よりグロテスクである。

 ナウシカは蟲が好きで、ことあるごとに蟲を助けようとする。ナウシカが蟲が好きなことで、読者も蟲に感情移入できる構成に、風の谷のナウシカはなっている。

 しかし構成によっても、蟲への感情移入は個人差があって、私はナウシカを介しても、蟲に感情移入できない方だった。 そこで原作者の宮崎は、蟲に感情移入できるように仕掛けを施していく。

 例えば蟲の王である王蟲は、「個にして全、全にして個」だという。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンというわけだ。

 しかし「個にして全、全にして個」の行き着く先は、大海嘯で供に食い合い、供に滅び、腐海の森になることだった。宮崎が蟲に善の要素を付け加えるほど、その善は破滅的なものになっていった。

 私は映画の『ナウシカ』は好きではないが、原作マンガの方は好きなのは、ここに理由がある。

 蟲のグロテスクさは、そのまま人間の心の醜さであり、このグロテスクな怪物を善なるものにしようとしても様にならず、感情移入し同一化しようとすれば、結局同一化した者(この場合は人間)も破滅への道を歩んでしまうのである。だから大団円になった映画の『ナウシカ』は、どうしても不自然に感じてしまう。

 私が蟲に触れないのは、子供の頃に虫に親しまなかったからではなく、虫に人間の醜さを見るからである。

それは子供の頃には感じることはなく、人生経験によって得られるものである。

 そして『風の谷のナウシカ』は、破滅の中に自らの道を見出だした傑作である。

 『風の谷のナウシカ』は、

日本型ファンタジーの誕生④~戦後の平和主義的正義観を変えたガンダム - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

以降のストーリー作品の変化の指標となる作品である。

 『ナウシカ』のようなグロテスクな怪物が登場する作品が表れる一方で、『ドラゴンボール』やRPGのような、キャラクターが無限に成長する作品が登場するようになる。

 人間が急激に、天上知らずに成長するのは、本来の人間の成長のあり方ではなく、消費者の手っ取り早く成長したいという願望が反映されている。

 このように言うと不健康なことのようだが、私はそんなに不健康なことではないと思っている。

 『ナウシカ』以降のグロテスクな怪物の中には、バイオテクノロジーの発展の影響もあって、細胞が急速に増殖して巨大化したり、固体で進化する生物が登場したりする。

 例えばこのような。 このような怪物は、天上知らずに成長するキャラクターの裏の顔である。

 消費者は天上知らずの成長を、人間の成長ではなく、人間以外の生物に進化するものと捉えており、このような怪物も合わせて消費することでバランスをとっていた。

 細胞増殖や固体で進化する怪物は、欠損部が急速に回復する種類の怪物とも親和性がある。 ピッコロのように欠損部がモコモコと動いて回復しようが、『進撃の巨人』のように蒸気を出して回復しようが、そのような回復の仕方をする生物も、人々は怪物だと捉えていた。

 『進撃の巨人』で、エレンの傷の回復する様子を見せないのは、エレンを人間だと認識させるためである。

読者はエレンを人間と思っているから、欠損部の回復を奇跡のように見る。 


また、『進撃の巨人』の逆を行った作品もある。

 『亜人』の永井圭は人体実験で身体の各部を切断され、とどめをさされてまた人体実験をされるという苦痛を何日も味わう。 

また『東京喰種』の金木研は、手足の指を何度も切断させる拷問を受ける。

 両者ともこのような拷問を受けて、精神的に変化する。

 この拷問は、神話学的には通過儀礼なのだが、この拷問の意味は『東京喰種』の方が、その意味を理解する意味では良く表している。

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この拷問は自分が怪物であり、怪物としての自分を受け入れるための通過儀礼なのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

弁護士が無能すぐる②

sakamotoakirax.hatenablog.com

の続き。 解答書を書いてから一週間ほど経っても、、及川弁護士から相手方の書類の原本は届かなかった。

 着手金の返金もない。

 (んじゃそろそろか)

 非常に面倒くさかったが、力を振り絞ってメールを書いた。

書類には金額が載せられていませんが、電話でお話し頂いた金額で返金して頂けると思っております。
また書類には「相手方からの書類の原本」を送るとありますが、及川先生が相手方に送った内容証明その他書類も、先生の良心で送って頂けると思っております。
一両日中に、以上のことを実行してください。
なお、内容証明の書類を頂けなかった場合は利敵行為と判断します。

 

すると、一日で相手方からの書類が郵送されてきたww

 その間、弁護士で電話をかけたりしていたが、弁護士というのは、紹介がないと相談を受け付けない。

 しかも、断り方が結構露骨である。

 例えば浜田敏法律事務所に電話した時、 

「どなたかのご紹介でしょうか」 と聞いてくる。

紹介はない、と答えると、 

「うち弁護士2名おるんですけど、一週間ほど予定つまっておりまして、お急ぎでしたら他の弁護士に当たって頂ければ」

 と受付。

「 いやほとんどの弁護士に繋がんないんで、そちらで予定合わせて頂いて構わないですよ」

 と私が答えると、

 「少々お待ち下さい」 と保留になってしばらくして、

 「やはり予定が合わないとのことで、他を当たって下さい」

 ときた。 

「随分いい加減な対応ですね」 と言って、私は電話を切った。


 そういう中でつながったのが、山口紗世子弁護士である。 

(でもこの弁護士も断ってくんだろうな)

 そう思って相談にいくと、案の定断ってきた。

 その断り方が納得いかなかったので、後日電話した。

 「先生の断りは、全然理由になってないんですよ」

 と食ってかかって押し問答。 「他の弁護士を紹介して下さい」と言っても駄目。

最後に、 「弁護士は、個人的に紹介できませんので」 と言って、山口弁護士は電話を切った。 

(かかったな) 

この電話の内容を私は録音していた。たぶん相手は何らかのへまをすると思っていたのでww 

山形県弁護士会に行って抗議すると、懲戒請求ができるとのことだったので、懲戒請求書を書くことにした。


 ここまでが去年の11月のこと。

 懲戒請求書を出したのが今年の1月。すると3月に、「懲戒をしない」旨の解答書が、県弁護士会から届いた。 

「弁護士には紹介の義務も、依頼を受ける義務もないので、弁護士法一条、二条に違反しない」 とのこと。

そこは対した問題じゃないでしょww 大事なのは弁護士が嘘をついたことよ。

 てなわけで、日弁連に異議申し出をして、現在審議中。


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日本型ファンタジーの誕生⑨~『進撃』5.『進撃』に見る「父殺し」

大塚英志はその著『ストーリーメーカー』で、「父殺し」を父との同一化だと主張している。
大塚はジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』を論拠にしてそう主張している。
『千の顔を持つ英雄』は、『スター・ウォーズ』にインスピレーションを与えたことで有名な書籍である。しかし私は大塚の言う通りだとは思わない。もしくは説明不足である。ただ今は一応、大塚の意見に従おう。

進撃の巨人』(以下『進撃』にも、「父殺し」がある。
もっとも分かりやすいのが、エレンが父のグリシャを喰って巨人の力を得たことだが、『進撃』の設定では巨人の力の継承=捕食であり、分かりやすすぎる。平凡過ぎるのである。エレンのグリシャ捕食よりは、ヒストリアが父親を徹底的に否定した上で殺したことの方が、よほど「父殺し」らしい行為と言える。

しかし、これだけではないのである。
8巻でウォール・ローゼが突破されたと思われた時、サシャは3m級の巨人に遭遇する。
この巨人は、サシャの父親にそっくりである。

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この巨人には髭がないのだが、口から流れている血が髭のように見える。

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サシャは狩猟民の子で、ウォール・マリアから流れてきた人々を迷惑だと思っている。また農業を嫌い、先祖からの狩猟のみでの生活を続けたいと思っている。
しかしサシャの父は、サシャが他者と関わるのを恐れているのを見抜いていた。
巨人と戦った後、敬語一辺倒だったサシャは、しばしば方言をしゃべるようになる。敬語は、サシャにとって他者との間の壁だった。サシャの他者との壁が解けたのである。

これは父を殺したわけではないが、父と同一化している。

またエレンの「父殺し」も、本当は継承=捕食という単純なものではない。
グリシャの友人のキース・シャーディスはエレンの母のカルラに惚れていたが、カルラはグリシャと結婚した。
エルヴィンとその友人の憲兵団のナイルは、同じ女に惚れていたが、エルヴィンは巨人と戦う道を選び、ナイルはその女と結婚した。
グリシャとエルヴィンは、惚れた女と添い遂げた/添い遂げられなかったという違いがある。
それでも共通しているのは、キースがグリシャに、ナイルがエルヴィンに憧れていたことである。
キースとナイルの憧れの視線により、グリシャを捕食したエレンは、グリシャだけでなく、エルヴィンとも同一化したのである。

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韓国について

韓国が釜山の日本総領事館の前に慰安婦像を設置しようとした時は、日本は外交官を引き揚げたりした。

 政府の態度は、評価できるものだった。

 別に日本のプライドなどと言うつもりはない。 

しかし韓国の行動は国際法違反であり、日韓合意を踏みにじるものだった。 

韓国はいくら謝罪しても日本を許さない。ならば下手に出るよりは強気に出た方がいいと思って政府を評価していた。


 その後韓国がTHAADを配備し、中国との関係が悪化すると、韓国の中にも日本との関係を見直す声が出た。

対馬の観音寺から盗まれた仏像も、「日本に返した方がいいのではないか」というメディアもあった。

 私は、この流れを好ましく思っていた。


 とにかく日本を許さない韓国の精神は、韓国の狂気である。

 しかしこの一時期の風潮を見ると、韓国にもパワーバランスを考える感覚があることがわかる。

 そして釜山の日本総領事館慰安婦像が置かれた時の日本政府の対応は評価できるが、その後の世論は評価できない。

 当時、アメリカのトランプに振り回されていた日本では、韓国と仲良くした方がいいという意見はほとんどなかった。 

日本も韓国と変わらない。韓国相手にケンカをする余裕などはない。 だから最近の右翼はおとなしい。

 しかしだからこそ日本も、韓国と仲良くしたいと言えばいいのである。

 都合が悪くなると沈黙するばかりで、建設的な意見を出さない。それが日本の不健全さである。

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消失する父親像

矢沢あいの『NANA』を特徴づけているのは、登場キャラの自由さの他に、登場キャラの孤児率の高さにある。

 大崎ナナは母親は4歳の時に蒸発し、父親は全くわからない。祖母は15歳の時に死んでいる。

 本城蓮(レン)は捨て子、高木泰士(ヤス)は両親を交通事故で亡くしている。

 岡崎真一(シン)は、家族がスウェーデンに転勤した時期に生まれた。母親が現地人と不倫をしてシンが生まれたようである。母親はシンが生まれてまもなく自殺し、父親はシンを邪険に扱った。


 『NANA』の孤児率の高さは、日本の現状を反映していない。なのになぜ孤児が多く登場するのだろう? それは、父親から見ていくとわかる。

 大崎ナナの父親に擬せられているのは都筑源一郎である。

ナナの祖母の愛人で、ナナを気にかけていたが、ナナは都筑が祖母の愛人であることさえ知らない。ナナは父親を意識することなく成長した。

 シンの場合、父親は本当の意味でシンの扶養義務がない。シンもまた、父親を意識する必要がない。

 一ノ瀬巧は孤児ではなく、父親がいる。巧は父親に反発しているが、巧の父親はアル中で、家に金を入れていない。

 生活力のない父親は、乗り越えるべき対象とはならない。

 登場キャラが自由に生きる『NANA』と逆に、個人を犠牲にして家族、集団に回帰する同時代の作品が『八日目の蟬』である。このことは

2010年代を決定づけた作品~『八日目の蟬』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、恵理菜の家庭も父親の不倫により崩壊し、父親は家庭の中で居場所がない。

 2000年代、個人の自由を求めるにしろ、集団への回帰をテーマにするにしろ、家庭内の社会の象徴である父親の存在は希薄化、または存在しないものにしなければ描けなかった。

人々がどれだけ『父親を尊敬する』と言っても、潜在的父親の地位は低下していたのである。


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遅ればせながら、日米首脳会談

 (マスコミ)大統領就任式の出席者は異例の少なさだった

 

 (T)そんなことはねえよ!100万人はいたよ!史上最高の就任式だよ!

 

 (T)アメリカ合衆国はTPPを永久脱毛する!!

 

大統領就任早々から、時に世界中を笑わせ、また困惑させてきたトランプ大統領は、日米首脳会談の直前に「ひとつの中国にとらわれない」という方針を撤回、日本がどう捉えるべきかわからない間に首脳会談は始まると雰囲気は一転、日米のパートナーシップの確認、尖閣諸島の日本の施政化にあることの確認、そして懸念の米軍の軍事費負担の話もなかった。

 全ては元に戻ったかのようだった。

 しかし、やはり情勢は変化した。 中国は尖閣への挑発を控え、東南アジア諸国のアメリカから中国への鞍替えにも歯止めがかかった。

 トランプ大統領は、国内経済では私が理解できない迷走をしており、中東政策では、イラク戦争に踏み切ったブッシュほどではないにしろ、何らかの失敗をすると思っている。 しかし、日米首脳会談までのトランプの動向は、我々日本人にトランプの力量を見せつけた。


 今は森友学園問題で支持率が下がっているが、日米首脳会談までの間に、安倍政権は60%近い支持率になった。

 ゴルフ接待が話題になり、「とにかくトランプを褒めろ」とまでマスコミが言い出した。

 いや、いいのである。必要ならゴルフ接待でも褒めろ作戦でも。

 しかしこの時期の論調は、ひとつの真実を露呈させた。日本には外交カードがないのである。

 外交カードがないのは、政権運営6年に入る安倍首相の責任とも言い難い。もっと根本的な問題である。

 国民の安倍政権の支持は、「安倍さん頑張って」というより、「安倍さんは頑張った(けど駄目だった)」という、自分を納得させるためのものだった。

 そして首脳会談後、結果に国民が納得しているかといえば、今なお納得していないと、私は思っている。

 実際、

toyokeizai.net

に見るように、日本はアメリカに多大に支出を強いられている。

 もっとも私も、アメリカの軍事費負担を容認する立場であるが、軍事費名目ではないとはいえ、いやむしろ軍事費名目でないからこそ、51兆円という額は軍事費替わりとしては大き過ぎるだろう。

lullymiura.hatenadiary.jp

で、三浦氏は日米首脳会談の成果を評価しているが、はたしてそうだろうか?

 軍事費負担の話も出なければ、地位協定の話も出なかったではないか。

 また地位協定については、残念ながらトランプ氏相手では話ができそうにない。だから東南アジアに同盟国を探すなどをして、アメリカの軍事力の重要性を相対的に低下させる努力をするべきだろう。

 

トランプ氏から見る世界情勢 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書いた私もまた、分かっていなかったのである。


 アメリカの軍事費を日本が肩替わりすれば、日本が米軍を雇っているのと同じである。日本が雇った兵士に、日本で好き勝手される筋合いはないのである。

 このような簡単なことに気づかないのは、日本が自分で国を守れると思っていないからである。


 実は、日本の軍事力は世界で第四位らしい。

news.searchina.net

軍事力だけなら、単独で中国と戦えない国ではない。

 しかし、憲法上は軍隊を持たない日本は、自分の国を自分で守る気概を持てないのである。

 逆に言えば、憲法を改正して自分の国を自分で守る気概を持てば、米軍の軍事費を負担しなくても、地位協定の改善は容易である。

 そしてトランプは、というよりアメリカがそのことを知っているから、軍事費負担を仄めかしておいて別の名目の支出に切り替えた。日本に自分逹の実力に気づかせない方が支配しやすいからである。


 日本はこのことに気づかず、米軍基地を沖縄に押し付けることで地位協定から、ひいては自国の防衛意識から逃げているのである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

信長の戦い①~道三は信長の「本気」を見た

『名将言行録』にあるエピソード。
信長が濃姫を娶った後、濃姫が眠っているのを見て、ひそかに起きて外に出、明け方になって帰ってくることが一ヶ月ほど続いた。
濃姫は信長が浮気をしていると思って信長を問い詰めたが、信長は話をはぐらかす。
そこでさらに濃姫が問い詰めると、信長は「道三の両家老に道三を殺害して子丑の間に火をあげるように約束したので、その火があがるのを待っている」と濃姫に言った。濃姫はそのことを手紙で道三に伝え、道三は両家老を殺した。

このエピソードは、『信長公記』にはない。道三が両家老を殺したという話もない。
江戸時代の文献は作り話が多く、基本的に信用できない。
しかし私は、以外とこういうことがあったのではないかと思っている。

信長と道三は、正徳寺で会見している。
会見後、道三は「この山城(道三)の子があのたわけの門外に馬をつなぐことになるのは間違いないだろう」と述べ、さらにその後、信長に「美濃一国の譲り状」を贈っている。
男と男が顔を会わせて運命が動き出すという話は、本宮ひろ志をはじめ、多くのストーリーもので描かれてきたが、最近ではこのようなストーリーは描かれなくなっている。
その理由は、我々が運命を信じなくなってきているからだろう。そして運命を信じなくなった我々としては、信長と道三の会見は心に響かなくなってきている。
正徳寺の会見で、信長は長槍と500挺の鉄砲を持ち、ちんどん屋のような格好から正装に切り替え、道三を出し抜いている。
しかし、道三を出し抜いたことが、道三に「この山城の子があのたわけの門外に馬をつなぐことになる」と言わせ、「美濃一国の譲り状」を信長に贈るのにはつながらないのである。なぜならそれだけでは、信長が道三より駆け引きに優れていることを示すだけで、信長が美濃を獲ることを示すことにはならない。
才能が優れているのを結果を必ず出すと信じるのは、運命を信じるのと同じである。

ならば道三の信長への肩入れが何によるものなのかを考えると、それは信長が「本気」だと、道三が思ったからに尽きると思う。
何に「本気」かといえば、美濃攻略などではない。当時の信長は家督を相続したばかりで、世間ではうつけと言われ、四面楚歌の状況だった。
信長はこの後、周囲と戦っていくが、問題はその時、道三がどう動くかである。
土岐氏を追放して美濃一国を支配し、蝮と言われた道三である。信長が道三の娘婿だからといって無事で済むとは考えないだろう。
ならば贈り物を贈るなどして親交を深めようとするだろうか?そんなことをしたら足元を見られ、尾張に調略をかけてくると考えるべきだろう。
ならばここが、信長の「本気」を示すところである。美濃に調略を仕掛けるのは、「仕掛けてきたらただでは済まさない」という意思表示になる。
これは、信長が道三と戦って勝つということではない。
道三が本気で尾張に調略を仕掛けたうえで信長を攻めれば、信長は死ぬだろう。
しかし死ぬ気でも敵に屈さない意思を示すことは、四面楚歌の状況では必要である。

ということで、信長が道三に調略を掛けた確証はないが、道三は信長の知恵より「本気」を見たから、信長に肩入れしていったのだろう。

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