坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

北欧的な日本の社会構造の終焉

エマニュエル・トッドによれば、日本は直系家族の家族構造の国である。

エマニュエル・トッド - Wikipedia

同じ家族構造の地域は主に北欧諸国である。直系家族では親は子に対して権威的で、子供同士は不平等である。基本的価値は権威と不平等で、女性の地位は比較的高い。日本の女性の権利は世界的に低いとされているのだが、トッドは子供のしつけや教育を両親のどちらが行うかに重点を置いているので、トッドの見方に従えば確かに女性の地位は高い。
また女性の地位は、子供の教育に影響する。女性の地位が高い方が、子供の教育に熱心になるのである。
そして不平等を価値としながらも、トッドによれば「心理的逆転」により、経済的には平等性の高い社会構造になるという。確かに北欧諸国はそうなっている。

ところが私は、この直系家族の社会構造が壊れ、絶対核家族か、平等主義核家族のどちらか、どちらかと言えば平等主義核家族に移行するのではないかと思っている。絶対核家族の国はアングロサクソン、つまりアメリカやイギリスであり、平等主義核家族の国はフランス、イタリア、スペイン、ラテンアメリカ諸国などで、ヨーロッパ諸国でも奮っている国ではない。
もっとも人類史の初期ならともかく、集団の価値観に基づく地域の価値観が大きく変化することがあるという主張をトッドはほとんどしていない。むしろ地域の価値観が変化する可能性について、トッドは否定的である。だから私はトッドから決して正しく学んでこういう主張をしているのではない。

絶対核家族では、直系家族が子供の一人が成長したあと家に留まり、他は家から独立するのと異なり、成長後全員が家から独立する。
基本的価値は自由で、夫婦間は対等である。しかし兄弟間の平等には無関心で、これが不平等を形成する。
子供の教育には無関心で、個人主義自由経済を重んじる。
平等主義核家族の基本的価値は自由と平等である。実に理想的な価値観と言えるが、この基本的価値は、実際の格差解消に役立つことはない。
平等の価値観は財産分与でのみ発揮され、そこで終わる。分割された財産は投資には不十分であることが多く、格差の拡大に歯止めをかけることができない。政策的にも「結果の平等」より「機会の平等」に重点が置かれるようになる。
女性の地位は、女性が遺産分割に加わる社会では高いが、そうでない地域ではやや低い。そして子供のしつけや教育は父親が行う。
私は平等主義核家族に移行する可能性が高いと述べているため、そうなると今より女性の立場が悪くなりそうだが、ヨーロッパは相対的に女性の地位が高い地域なので、日本でも男女同権やフェミニズムの啓発があれば、女性の地位の低下を防いでいけると思う。
子供の教育を母親より父親が行う方が、教育への関心は低くなる。この教育への関心の度合いが、欧米での平等主義核家族の国の経済力を決定つけている。
絶対核家族と平等主義核家族の違いは、移民の受け入れの違いに見ることができる。
移民をどれだけ受け入れているかではなく、外婚率、つまり移民とそれを受け入れた民族の結婚の割合によって、移民に対し普遍主義的か差異主義的かを分析し、絶対核家族は差異主義的で、平等核家族は普遍主義的だとトッドは結論づけた。
また絶対核家族と平等主義核家族のような自由を基本的価値とする社会構造と、直系家族やロシア、中国の社会構造である外婚制共同体家族の権威を基本的価値とする国の違いは、自殺と他殺に表れる。自由を価値とする社会では自殺より他殺の割合が多く、権威主義の社会では他殺より自殺の割合が多い。
そして、直系家族と平等主義核家族の何よりの違いは、直系家族の国が政権交代がほとんど起こらないのに対し、平等主義核家族は二大政党制の国が政権交代するより頻繁にクーデターや革命が起こることである。

私が権威主義の直系家族から自由主義核家族、それも平等主義核家族に移行すると思う理由は、とにかく格差の拡大に歯止めがかからないことである。
アジア全体から見れば日本の格差は小さいかもしれないが、格差の拡大を止める措置はほとんど取られていない。それも法を無視して格差の拡大が放置されている。法を無視しているのさえ多くの人がわかっているのに、それでなお改めようとしない。
そのような多くの人の姿勢は、もはや「尊敬」を形成しない。現状が維持されているのは、人々が罪悪感でつながっているからだけである。
罪悪感でつながっているだけなので、社会を正統化する理論が生み出される余地はなく、罪から目を背けるためのごまかしの議論が横行し、そのような議論がごまかしであるのも既に多くの人にばれている。
このような社会は衰退するしかなく、経済、社会を向上させる手段はほとんどなく、それを提示しても潰される公算の方が大きい。結果、格差が拡大しながらも、人々はそれを正当な報酬によるものだと信じることができない。つまり、高収入でもそれを自分の力だと信じることができない。
現状、派遣社員が直接雇用されれば格差の解消が大幅に進むのは明らかなので、都合よく法が適用される人とされない人を分けるのではなく、普通に法を運用すれば公正と平等が復活する。それからでないと、人が自らの力を確認できる自由競争を行うことはできない。自由競争の前に公正と平等が必要なのである。
北欧諸国が平等社会を気づいたのは、権威を維持する一番の方法が、不条理による問題は金で解決すればいいと明快に理解しているからである。しかし日本では、手段を選ばずに人の権利を奪って、その結果をもって差別する。私が直系家族を維持できないと思うのも少しは理解できるだろう。

大阪都構想が否決され、維新は大阪市を八つの特別区に統合するという案を提示してきた。
再び都構想につなげられるかどうかは五分五分だと思うが、戦略的には悪くない。
しかしこうして行政の無駄を削ろうとしても、常に既得権益と争い、時に破れ、それで削ぎ落とすべき贅肉がなくなった時には、その努力がイノベーションをほとんど引き起こさなかったという現実を突き付けられることになるだろう。
こうして、日本の分断を巡る争いの核は、維新と法的、社会的に見捨てられた、派遣を中心とする非正規の争いに移行する。
この争いに、立憲や自民支持の既得権益層などはほとんど追随できない。なぜなら追随するだけの理論武装による議論がほとんどできないからである。彼等はこの争いの傍観者と成り果てる。
派遣の問題から逃げるために行政の効率化を唱える維新支持者は、多くが自分は終身雇用に憧れていたことに気づき、脱落する。そしてこの争いに極限まで生き残った者は、派遣の問題を解決しない限り何の理想も達成できないことに気づき、ほとんど奇跡的に見える非正規と維新支持者の精神的融合を果たすことになる。その時初めて、平等主義核家族社会構造形成の種が生まれる。

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