坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「底抜けの善人」ほど悪い奴はいない

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ロベスピエールはフランスでも決して評判が良くない。
その理由は恐怖政治により、多くの人がギロチンで処刑されたからだが、アメリカ独立革命と違い、フランス革命ではこの大量処刑は必要なことだった。

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「代表なくして課税なし」を革命の根拠にできた新天地アメリカと違い、フランスでは王権神授説がすっかり根付いていた。王党派は無視できない勢力であり、地方では王政の復活を求める声も強かった。
加えて、外国からは革命を危険視されていた。
ロベスピエールはそういう状況下で、革命を守らなければならなかった。そのためにルイ16世をギロチンで処刑し、多くの人をの命を奪った。リヨンの町は破壊された上に町の名前を変えられ(ただし、町の破壊そのものはロベスピエールの命令によるものではない)、宗教色を排するために革命暦を施行し、さらに「最高存在の祭典」なるものまで挙行した。「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったロベスピエールは、ルソーの一般意思を重視していた。

一般意志 - Wikipedia

これを発見するまでの過程は自由な討論であり、そこから全ての人にとって自分の問題でもあり全員の問題でもある事項が導き出され、それが一般意志となる。だが、これはあくまで全員に共通する意志であり、個人の事情や利害の総体ではない。全ての人が個人的な特定の事情をこの場限りで捨て去った時こそ共通の意志が明らかとなり、この共通の意志だけを頼りに社会が成立する。

 

多数決でも選挙によるものでもない一般意思を、ロベスピエールは恐怖政治により実現しようとした。そのためロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」と呼ばれる。
ロベスピエールは1793年に公安委員会に選出され翌年に死ぬが、生きていれば選挙は停止されていただろう。
しかし王権神授説のフランスを人民の手によるフランスに変えるには、ロベスピエールの存在は必要だった。ナポレオンによる帝政でさえ一般意思とポピュリズムの融合と考えることもできると思えば、ロベスピエールの行為は時代に適合したもので、間違いなく後の共和政に繋がっているといえる。
日本では冷戦崩壊以後、恐怖政治をもってフランス革命評価に価するものではないとする向きがあったが、そのような保守性行の主張は、当時のフランスの状況を無視したものであると思っていた。

ロシア遠征からナポレオンを見る - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

は、そのような思いも込めて書いたものである。

ロベスピエールのような、未だに評判が悪くとも歴史の方向性を決めるのに成功した人物もいれば、方向性を完全に誤った独裁者もいる。その代表といえるのがカンボジアポル・ポトである。
私のポル・ポトの評価は「底抜けの善人」である。
学校、病院、工場を閉鎖し、自由恋愛や結婚を禁止、子供を親から引き離し集団生活をさせ、文字を読もうとする者、時計が読める者、さらには眼鏡をかけている者まで殺害した。
現代社会は家父長制度から個人を中心とした社会に移行しようとしており、また教育についても、教育を根本的に不要、有害とする意見も出てきている。教育不要論は、暗黙にベーシックインカムと、社会の全AI化による「人間が働かなくていい社会」を想定している。だからポル・ポトの目指したところは、あながち間違っていたとはいえない。
間違っていたのは、それを徹底した反知性主義により実行しようとしたことである。子供が親から受ける影響には負の側面があり、それをなくそうしたという動機は理解できても、それを子供を無理矢理親から引き離して、子供がどのように育つのかについて全く考えていない。
児童虐待を見ても、子供を親から引き離すには慎重さが求められ、特に子供自身が虐待を否定した場合、虐待の事実があっても子供を親から引き離すことはできない。子供が親を肯定している以上、親から引き離しても子供にとってプラスにはならないのである。またおそらく現代もだろうが、当時のカンボジアの伝統的な農村社会を考えれば、ポル・ポトの行為は無謀そのものである。
ポル・ポトにより、カンボジアの人口は3分の2に減少したという。ベトナムに避難していたカンボジア難民がベトナムの援助を受けてカンボジアに侵攻すると、軍隊の指揮系統が粛清により崩壊していたカンボジア軍は溶けるように消えた。

マオイズムはしばしばポル・ポトのような反知性主義に陥る。
ポル・ポトの行為は、根は善意が動機となっている。
後先考えずに善意で行動するが、成果が得られないとそれを他人のせいにする。その悪循環を反知性主義が後押しするのだが、反知性主義に陥らずとも、「底抜けの善人」は大抵反知性的である。

同じ大量粛清で非難されるスターリンは、ウクライナの小麦で飢餓輸出を行ったことで有名だが、飢餓輸出で得た外貨で工業化を達成したという功績も指摘されている。
帝政ロシアにできなくてソビエト連邦以降のロシアにできたことは、農奴を国民に変えることである。農奴の存在がロシアの近代化を妨げたため、帝政末期には農奴解放という、一見ロシアらしくないことまで行っている。もっともこれはあまり効果がなかった。
スターリン独ソ戦ではヒトラーが独ソ開戦をしないという希望的観測にかけたためにモスクワ近郊まで攻め込まれるという失態を犯したが、ロシアでは焦土戦術は伝統的な戦略である。皇帝の権力が強すぎたロシアでは粛清等により人材が払底しがちで、しばしば近隣の強国に攻め込まれた。同様の問題は中国も抱えており、そのため中国は異民族に征服されがちだったが、ロシアは中国より広大な領土と厳寒な気候を最大限に利用し、焦土戦術により他国の侵略を乗りきってきた。
そしてスターリングラードの戦いを転換点として反攻した結果、スターリンは東欧を手に入れた。
第二次大戦を含めて、スターリンの事績は死者数から見れば陰惨そのもので、人口60万を超えたスターリングラード市は攻防戦により
9796人に減少した。スターリンの成果も結果からしか見れないものが多いが、それでもスターリングラードの戦いをロシアの偉大な事績としたい気持ちは理解できる。

知性も結果もない歴史ほど唾棄すべきものはない。
ポル・ポトのような人物は、独裁者でなくとも、権力の地位につけるべきではない。

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