坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーゲームの誕生①~『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』

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今回紹介するのは『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』(以下『ビルダーズ』。
簡単に説明すると『マインクラフト』という建物を作ったり物作りをしたりするアメリカのゲームをドラクエの世界観で再現したもので、『ドラクエシリーズ』のスピンオフ作品。『ドラクエI』の主人公が「世界の半分をやる」という竜王の申し出を受けてしまった時間軸の数百年後の世界というパラレルワールド設定。竜王により、物作りの力を失ったアレフガルドに、聖霊ルビスが伝説のビルダーを遣わしてアレフガルドを再建するというストーリー。
プレイしたことはない。動画で見たのを紹介する。動画実況者は赤髪のとも。

「がみとも」と名前を入力してスタートすると、主人公のビルダーがいるのは墓場のような所。
ルビスが呼び掛け、ビルダーに使命を伝えようとすると、「体がだるい」「外に出たい」と話を聞かないビルダーwww。その度にルビスはビルダーに薬草やひのきのぼうを作らせたり、ブロックを積んで階段を作らせたりするが、今度はビルダーが寝てしまったりwww。
「まさかあなた眠っているのですか?」とさすがのルビスも信じられない感じなのが面白い。
外に出てルビスが使命を伝えたら伝えたで「実感湧かない」と言うビルダー。まあ目覚めたばっかりだから無理ないけど。それにしてもルビス様の優しいことwww。
しかしルビスはビルダーに、「あなたは勇者ではありません」と意味深なことを言う。
ルビスはビルダーに「希望の旗」を渡す。「希望の旗」は魔物と戦った者達が最後まで持っていた旗だったという、ちょっと泣ける設定である。
それ旗をメルキドの廃墟の中心の光のある場所に立てると、その廃墟に光が当たってそこが拠点になる。
するとそこに人がやってくる。ピリンという少女だ。
ビルダーが物作りのことを教え、実際に物を作って見ると、「がみともってそんなことできるような名前だと思わないんだけど」とピリンwww。好んで変な名前をつけるプレイヤーにぐさっとくるようなセリフを用意したんじゃないかと思わせる場面である。で「ううん、人は名前じゃないっていうもんね」とフォローwww。そんな諺ねーよwww。
「部屋を作って、部屋が出来たら一緒に寝られるもん」とピリンに頼まれ、いい気になって部屋を作るとこのすぐ後に来るロロンドというおっさんがビルダーのベッドに寝てしまうwww。
それで怒ってロロンドの寝ているベッドを破壊するプレイヤーがいるとかいないとかwww。実はビルダー固有のベッドを指定できないようになっているんだけど、この辺に製作者側の意図がある。こういうロリコン防止の小ネタが好きで好きでwww。

最近のゲームで特徴的なのが、サバイバル要素を取り入れたものが多いことである。
『ビルダーズ』には空腹の概念があり、空腹になるとHPが減少していく。また使用している道具には耐久力があり、使い続けていると壊れる。
ほとんど同じ概念が『ゼルダの伝説』ブレスオブザワイルド』にも導入されていて、『ブレスオブザワイルド』には空腹の概念こそないがHPは食物で回復する。定番のマスターソードでさえ耐久力があり、壊れた後一定時間で復活するという念の入った設定である。
他にも『ファイナルファンタジーXV』に食事の概念が導入され、『ザンキゼロ』などは空腹の他に便意や寿命の概念があり、非常に難易度の高いものとなっている。
元々RPGは「役割を演じる」ゲームだが、ほとんどファンタジーゲームの代名詞になった。そしてストーリー重視により、フィールドを何日も食事も睡眠も取らずに歩き続けるという不自然なものになっていった。
『ビルダーズ』も章によっては最初に食物の確保に困ることもあり、また拠点の住民の依頼で建物を作る他に拠点の守りのために壁を作ったり、その壁を魔物に壊されて修理したり強化したり、また重要なアイテムを作るには中間素材が必要になったりと、サバイバル性によって色々手間がかかる。こういう手間をかけているのを見るのは楽しい。
また『ビルダーズ』はアクションゲームである。
昨今のヒット作はアクションゲームが多い。そのせいもあり、『ビルダーズ』には経験値の概念がなく、敵を倒してもレベルアップせず、体力も増えず、力も強くならない。もっとも「命の木の実」でHPをアップできるので、成長の概念がないのではない。

『ビルダーズ』は4章構成になっていて、各章で毎回強力な武器を発明し、各章の終盤には相当にプレイが安定するようになっている。
しかし『ビルダーズ』が特徴的なのは、そのアイテムを、章の初めに失うことである。「命の木の実」でアップしたHPも、章の初めに元に戻る。
各章のストーリーはそれぞれ重い話である。
メルキド編」では街を発展させようとするロロンドに対し、ロッシという住民が街の発展に反対する。ロロンドはそういうロッシを排除しようとする。
しかし次第に、メルキドの壊滅の理由がわかってくる。魔物と戦うメルキドの住民は、飢餓により人間同士が争うようになった。その争いをメルキドの守り神ゴーレムは、「人間こそがメルキドの敵」だと判断して、メルキドを破壊した。そしてビルダーが復興したメルキドを再び破壊しようとする…。
リムルダール編」では、リムルダールの地はヘルコンドルが疫病を広め、人々は次々と疫病に倒れていった。エルという修道女がリムルダールの廃墟に病院を作ろうとし、ビルダーがそれに協力する。
エルは薬師でありながら、物作りの力がないために薬が作れず、病との戦いを諦めた祖父のゲンローワと仲違いしていた。
死に抗うことに疑問を持ちながらも、患者の治療に協力するゲンローワ。病原菌を突き止め、必要な処方箋をビルダーに作らせるのを繰り返し、患者が快方に向かっていく。しかしある時、悲劇が起こる。
完治しない患者が、「腐った死体」へと変貌したのである。病が克服できないなら、死を克服しようと考えた、ゲンローワの弟子のウルスの仕業だった…。
「マイラ・ガライヤ編」では、かつて発明家のラライと、助手のアメルダが竜王軍に勝つための研究を行っていた。やがて二人は恋人同士になる。
ラライは火と氷が融合すれば爆発的なエネルギーが生み出されることを知り、それを利用して兵器を開発しようとする。しかし物作りの力を持たないため、兵器を作ることができなかった。そこで竜王が「儂に味方をすれば人間以上の知恵を与えよう」と誘い、ラライがそれに応じる。研究に没頭し、目的を見失ったラライを恋人のアメルダが殺す…。
「世界を守るとかそんなんじゃない。あたしはただ、あいつを救いたかったんだ」とアメルダ。
殺すことが救いというのはオウムと同じなんですけど。
しかしこれは伏線である。そして「ラダトーム編」までくると、この作品の本当の意図が見えてくる。

ラダトームの地は、暗闇と灰色の大地が続く絶望の世界で、食物はおろか、道具もほとんど手に入らない。最初は「希望の旗」すらない。
食物はないが、ムツヘタという予言者が霞みを分けて食べさせてくれる。実はこの霞みは、ムツヘタが口に入れていたのをビルダーに与えていたということで、最初の難易度うんぬんというより罰ゲーム的だが、食事に困らないという点では他の章より楽である。
やがて聖水を作れるようになり、それを仮拠点の中心にある石像にかけると石化が解けて「姫」になる。
この「姫」をみんなローラ姫だと言っているが、実はこの「姫」、ローラ姫ではない。
「そんな馬鹿な!!ローラ姫と同じ『そんなひどい』って言うし、第一顔だってそっくりじゃないか!!」
そう?俺にはピーチ姫に見えたんだけどwww。

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ビルダーが夢で見る勇者の回想のローラ姫と姿が同じなのは、同じ王家の姫なら顔が似ていることもあるだろう。
そして「姫」がローラ姫じゃないのも、大した理由ではない。
この後元勇者の「闇の戦士」との戦いがあるが、そこにローラ姫を絡ませてしまうと、ストーリーがずれてしまうからである。
「姫」がローラ姫じゃないのはその程度の理由だが、これが後の伏線になる。

旅の扉」を手に入れてその先に行くと、BGMが変わり、『ドラクエIII』のフィールドBGMになる。
熱いねえ!ファミコン版の時は「もの悲しいフィールドBGMパートスリー」と思っていたけどwww。
BGMといえば、各章のボス戦のBGMで「おお…これはゾーマとの戦闘BGMだな!」と思ったら『ドラクエVI』の通常戦闘BGMだったwww。『III』も『VI』も相当やったはずなのに。
そしてラダトーム城の廃墟に着き、ラダトーム魔城から「希望の旗」を取り返して、ようやく話が進展する。
相当困難なように見えるが、ラダトームの廃墟に着いた後は聖水によって鉄や石炭も手に入るようになり、多少手間がかかってもその後の進行は容易そうである。最終章を困難に見せる効果的な演出である。
ラダトーム城に「希望の旗」を立てると、人が集まってくるようになるが、その中の一人が「ロトの血を引く多くの若者が竜王を倒しに行ったが帰って来なかった」と言う。
ドラクエI』にも似たようなセリフがあるが、「ロトの血を引く多くの若者」とは言っていない。これが「姫」がローラ姫でないことの伏線である。

ルビスの遣わした三賢者がラダトームにやってくる。三賢者はピリン、エル、アメルダである。ただしピリンは戦闘能力がないため旅ができず、代わりにロロンドが来る。
三賢者がなぜこの三人なのか?特にピリンが賢者に見えないためよくネタにされている。
女性キャラだからだと言えばそれは当たりであるwww。
もう1つの理由は、「悪意で人の顔を馬鹿にしない」ことである。厳密にはピリンはビルダーを「ぼんやりした顔」と言っているし、アメルダは「乳くさい顔」と言っている。しかしピリンはロロンドの髭を見て「すごい人」だと言っているので本当に顔で判断しているだけであり、アメルダは荒事のプロとして、ビルダーを荒事ができる顔だと思わなかっただけである。
「とぼけた顔」、「間抜けな顔」、「寝ぼけた顔」など、顔を馬鹿にして他人を貶めるのは日本人の常套手段なのである。
顔だけではない。
マイラの荒くれ共はビルダーの筋肉のない体を馬鹿にしたり、しまいにはビルダーを「伝説のボディビルダー」と呼んで皮肉ったり、ムツヘタは一緒に走った後に「お主儂を抜こうとはしなかったか?
」などと突っ掛かってきたりする。こういういちいち人を攻撃して自分を上位に置くのは日本人がよくやる手なのだ。
しかし基本は主要な女性キャラだからというのは間違いない。
ただしエルには注意しておこう。
三賢者の一人で、明らかにビルダーに好意を持つエルは、普通に見ればヒロイン格である。(もっともビルダーを女性にした場合は恋愛基本恋愛感情ではないが)しかしエルは一点だけ賢者らしくないのである。
実は各章には裏設定があり、それぞれの地方が滅亡した本当の原因が隠されている。それはそれぞれの拠点の住民の存在によってわかる。
メルキド編」は飢餓により人々が争ったのが表向きの原因だが、真の原因は「空気を読むこと」である。それは「取り柄はないけど空気の読める女」チェリコが証明している。ロロンドとロッシの争いを人々が「空気を読む」ようになれば、メルキドは争いの絶えない街になるだろう。ロッシは街の発展に反対し、ロロンドが発展を促進したことでゴーレムに目をつけられたが、ロッシが正しかった訳ではない。ゴーレムは人々が空気を読んで争うことの、紛争の象徴なのである。
「マイラ・ガライヤ編」でラライが竜王に味方して兵器を発明するのは「目的を見失う」ことで、マイラのその象徴が「筋肉」である。
既にテーマが兵器競争になっているのに、荒くれ共は筋肉を自慢し、筋肉の有無で人を判断する。
こと「目的を見失った」筋肉を批判するキャラがシェネリで、幼なじみのコルトに好意を持たれているがシェネリは眼中になく、荒くれ共に拠点を持つ。
コルトは「筋肉」からシェネリを守ると心に決めるが、朝目が覚めると机の上にダンベルが置かれていたり目があった荒くれが胸の筋肉をピクつかせたりして筋肉地獄に陥り最後には洗脳されるwww。しかしその頃にはシェネリは「筋肉より大事なもの」に気づき、やはりコルトはアウトオブ眼中。
そして「リムルダール編」の病の真の原因、それは「過保護」である。
「過保護」共依存の形ひとつで、それを指摘するのが住民のザッコである。ザッコはエルを「嫁にはいいかもしれないが息が詰まるだろうなあ」と言っている。
リムルダールの病は「自立しないこと」の暗示で、病でなく死を克服しようとしたウルスは「自立しない」者をただ養い続ける行為で、それは「過保護」のエルの到達点である。真の病の克服は、親との関係を切って自立することである。

ラダトームの住民は、石化が解けて元に戻った旧時代の人間である。
そこに三賢者(と代理のロロンド)が到着すると、竜王を倒すのがビルダーか勇者かで争いが始まる。
旧時代の人々は勇者こそが竜王を倒すと言い、ビルダーの力を信じない。三賢者達はビルダーこそが竜王を倒すと主張する。
そしてルビスも、「竜王を倒すのはビルダーの使命ではない」と言い出す。ビルダーの使命はアレフガルドを元の状態、つまり「竜王を倒す勇者が誕生する条件が揃う」状態に戻すことだと言う。
この当たりでムツヘタが意味深なことを言う。戦っても強くならないビルダーを「人間ではないみたいだ」と言うのである。
先に述べたように、各章ごとに十分に成長を感じられるゲームシステムである。また経験値で成長しないのは初期RPGからの伝統的スタイルで、『ゼルダの伝説』は今でもこのスタイルを踏襲している。章の最初に全てを失う点以外、そんなにゲームスタイルが違う訳ではないのに、なぜこんなに違いを強調するのだろう?

三賢者が「いにしえのメダル」、「雨雲の杖」、「太陽の石」を持って来て、元勇者「闇の戦士」を倒してアイテムを手に入れ、「聖なるほこら」を作り「虹のしずく」を作成すると、「あなたの使命は終わりです」とルビスは言う。しかし竜王は倒していない。竜王を倒す勇者はいつ生まれるかわからない…。
ビルダーは「仲間の笑顔が見れないのは嫌だ」と言う。そういうビルダーに、ルビスは衝撃の事実をもたらす。
ビルダーはかつて物作りが得意な若者で、一度死んだのをルビスが蘇らせ、ビルダーとしての力を与えたものである。ビルダーとしての力は、使命を全うすれば失われる。しかし竜王を倒そうなどとすれば、力を使い果たしビルダーは消えてしまうと。
それでも竜王と戦うというビルダー。それまで「全ては聖霊の導きのままに」で話を締めていたルビスは、「全てはあなたの選択のままに」で話を終え、ビルダーを見放す。

竜王と戦う時は、持っているアイテムが全て使えなくなる。経験値で成長せず、道具で強くなるビルダーにとって窮地である。
しかしここで、ルビスが粋な計らいをする。バトルフィールドに主要キャラクターを呼び出し、。各キャラがビルダーにアイテムを手渡していくのである。そのアイテムでビルダーは竜王と戦う。
竜王を倒すと、ルビスは「私と竜王は、いにしえより人と魔物のことわりを…」と語ろうとするが、「そんなことより今は早く青空が見たい」とビルダーは遮る。そしてその場でビルダーは「光の玉」を作り、闇を払い光を取り戻す。
おおっと、今重要なことを言いかけましたよ~!!
ルビスと竜王が人と魔物のことわりを示すための存在なら、ルビスにとって竜王は「必要な存在」なのである。ならばなぜルビスが竜王を倒そうとするのか?
勇者がいつ生まれるのか、ルビスにもわからないという。ならばこう考えるべきだろう。そもそもルビスには竜王を倒す気がなかったと。
これで、「ロトの血を引く若者が旅だったが帰って来なかった」と言う意味、そしてビルダーがよく勇者の夢を見る意味がわかってくる。
それに答える前に、ビルダーと勇者が同一人物ではないかという疑問に答えておこう。ビルダーの見る勇者の夢や、「闇の戦士」が最後には逃げてしまうため殺せないこと、それが「自分を殺せない」という意味に解釈できるからである。ルビスは「あなたは勇者ではない」否定しているが、ひょっとしたらルビスは嘘をついているのかもしれない。
結論から言おう。ビルダーは勇者ではない。
ビルダーが勇者の夢を見るのは、ビルダー、いやプレイヤーが「勇者になりたい」と思っているからである。
「ロトの血を引く若者が何人も旅立って行った」のは、『ドラクエI』をプレイしたプレイヤーである。
そして現状維持を望むルビスには、ビルダーに勇者=己と戦わせて勝たせる理由がない。だからビルダーは勇者ではない。
これは、「アレフガルドを復活せよ」という変な日本語のサブタイトルにも関わっている。最近の日本人は言語能力が発達しているので、これが変な日本語だと気づくことは製作者側もわかっている。間違ってつけたサブタイトルではないのである。
それではビルダーとは何か?
ラライは人の選択によって、世界はいくつもの世界に分岐していくと言う。パラレルワールド理論である。
エルは元勇者を「彼は人間らしい選択をした」と言う。竜王の誘いに乗った勇者を肯定したのである。そしてアメルダは「元勇者のせいでこんな世界になったけど、この結果にたどり着いたんだしあたしは楽しかったよ」という。この言葉によって、道を誤ったラライも、そのラライを殺した自分も肯定したのである。
ひとつの世界でなく、「間違い」も含めた様々な世界を肯定する。それが『ビルダーズ』のテーマである。
それでは「ひとつの世界のみを肯定する」とはどういうことか?それは「宿命」を信じることである。
しかし

日本型ファンタジーの誕生⑧~ゲームがファンタジーへの扉を開いた - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、私は「宿命」がファンタジーの流行に必要だったと述べた。
「~の子孫」、「生まれ変わり」などの要素で「宿命」を感じるファンタジーゲームを最初に作ったのは堀井雄二である。
それは、日本にファンタジー作品を生み出すために必要な階段だった。そして堀井は、その階段を『ビルダーズ』で外しにかかったのである。
「宿命」を信じることは、自分にふさわしい未来があると信じることであり、そのために社会、家族、仲間を肯定し、現状を受け入れることである。
「宿命」を信じるために必要なもの、それは「成長」である。目に見える「成長」によって、人は自分に未来があると信じることができる。だからマンガもゲームも、大幅な「成長」をする作品となる。しかし現実には、「宿命」は人間の視野を狭め、社会に停滞をもたらす。
ルビスと竜王は、互いに異なる役割を演じているように見せながらも、実はひとつの目的に向かっている。それは「ほどほど」の創造、繁栄に人間を留め、現状に満足させることである。それが「間違わないこと」だが、それは一部の人間の都合による「間違い」のなさであり、広い意味でのものではない。
今より多くの可能性を得るには、多くの「間違い」を受け入れなければならない。
ドラクエI』をプレイして、クリアできなかった人はほとんどいないはずである。しかしそのプレイヤー達は、『ビルダーズ』では竜王に勝つことができなかった。「宿命」を感じるために思考を停止させ、ルビスと竜王の罠にはまったからである。
ビルダーとは、創造により現状を打破し、今とは違う世界を作る者である。
その意味で、選択を誤った「闇の戦士」もまたビルダーである。だから「闇の戦士」は殺せなかったのである。

竜王を倒した後、「姫」は「あなたは消えてしまいますが、私達が願えばまた会えるでしょう」と言う。
そして最後に、ビルダーらしき者が弟子と共にラダトームの再建をしている場面が写し出される。
「おお!さすがは伝説の…」というところで物語は終わる。これで、ビルダーは生きていたとみんなは思う。
しかし、ビルダーは死んだのである。「伝説の…」がビルダーだとは言っていない。創造の仕事をする者は、創造のために命を燃やし、死んでいくのである。


ゲームはプレイするものである以上、選択もプレイの重要な要素だが、日本のゲームは選択肢を極力求めず、一本道のストーリーを進むスタイルが踏襲されてきた。
しかし一本道のストーリーを装いながら、そのスタイルを破壊するゲームがとうとう登場した。ストーリー性の破壊、サバイバル要素、その他日本のゲームスタイルの破壊に挑戦するゲームを、私はいくつか見つけているそのようなゲームを、今後紹介していこう。

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山口事件、その後

www.tyoshiki.com

にブクマしようと思ったらブクマがつけられないようになってたwww。
思い当たるのは

国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

www.tyoshiki.com

の内容に言及したことが原因なんだろうと思うけど、「社会を積極的に破壊しようというそういう思想には気を付けたほうがいいなんてことは国が個人の財産の横領に加担してることを普通に語れるようになってから行った方がいいんじゃねえの?」なんて当たり前のこと過ぎるし、ブクマを非表示にする時には必ず理由を述べるtyoshiki氏にしては極めて不適切な対応だと言える。
「理不尽なキレ方をする人」が異常で、「理不尽な無視」をする人がまともだとは私は全く思わない。つーか全くおんなじ。
「この問題に関して言えば、私は絶対に冷静な文章が書けないと思うので眉唾だなと思って読んでほしいわけですが。」と断ってるけど、自覚はあるんだろうね。

山口真帆の件。

headlines.yahoo.co.jp

山口真帆が会員限定メールで「私も秋元さんが(運営の)トップだと思ってたし、助けてくださいってsnsで直談判しようと思ってたぐらいなんですが、秋元さんはaksのトップではないから逆らえないし、何も報告されなくなって、何も知らないらしいんだ」で「びっくりだよね」と。さらに「(秋元が)「私が傷つくようなことは一切しなくて、唯一心配してくれていたと聞いています」とキツネとタヌキの化かしあいを披露。
「知らなかった」と「心配してた」は矛盾しない。しかし秋元の言動が気持ち悪いのは、「ずっと知らなかったけど、ずっと心配してた」と思わせようとしているところにある。これは矛盾である。
供依存の加害者は、窮地に立つと被害者に完全な無謬を主張し、さらに底知れない善人だと相手に思わせようとする。だから言葉が矛盾する。
矛盾し、その矛盾を矛盾でないと相手に信じこませようとする。そして相手がそれを信じないと、被害者を悪人、問題児扱いする。NGT48が秋元が関与していないと強調し、さらに山口を加害者扱いした点に、その供依存精神が良く現れている。
山口も秋元の脚本の新作のドラマをネタに「事件の犯人誰ですか?」と言っていた。山口が騙されていなかったのは確かだが、山口の僅かな失敗は、秋元に山口を救済する余地を残したことである。この時点で、秋元は山口を救済しないと思うべきだった。
その後もネットでメンバーを攻撃する動きは止まず、

headlines.yahoo.co.jp

のように自制を求める動きもあったが、このような発言は空しいもので、十分な証拠がないのにメンバーが攻撃を受けていい訳ではないが、AKSが隠蔽に回っている限り、この流れは止まらないのである。秩序がないのに、人に道徳を求めることはできない。この後も荻野由佳が「殺す」と脅される事件が起こっている。

また山口が犯人と話した録音内容も第三者委員会の委員からマスコミに渡され記事になったが、その記事をツイートしたのにいつの間にか見つからなくなっている。
その記事には山口が犯人に関わりのあるメンバーを問い詰めるところがあるのだが、今に至るまで、関わりのあるメンバーは明確にされず、山口も直接には名前を挙げていない。
示談で名前を挙げないようにしたんだろうという弁護士の記事も紹介した。
民法第93条
「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方が表意者の真意を知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。」
この事件は、山口が民法第93条を知らないこと、または山口がそれを知っても、山口のために代理人弁護士が現れないことで隠蔽が成立している。

その後も加藤美南が山口の卒業公演で「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えて欲しい」と投稿して炎上、加藤は降格、NGT48はメンバーのSNSを停止、支配人の早川麻依子がツイッターを開設し理解を求めていくことに。
ところがそれも「根拠のない曖昧な話ばかり」と燃料投下して炎上、第三者委員会の報告書とも食い違うという有様。
結局、NGT48の者達は、自分達を無罪と見てくれない世間に腹を立てているのである。日本人には被害者を悪玉に仕立てて悪事を隠蔽、正当化してきた者が多いので、こういうことになる。
また山口に好意的と思われた指原莉乃が山口の卒業公演を極秘視察するという不気味さ。

lite-ra.com

指原は秋元と山口の仲介、というより、山口が秋元を無謬だと思わせる役を買って出ていたのだろう。

山口は研音に移籍が決まり、山口の未来をあれこれする話が多いが、NGT内で決着をつけるのが正道だったことを忘れてはならない。日本人は今、そういうリベラリズムから遠ざかっている。特に弁護士の不振さに言及せずに人を救済できるという考えは危険極まりないもので、研音移籍との交換条件かもしれないが、そうだとしても録音資料をマスコミが削除するようなことを許すべきではない。山口に好意的だった者もこのように考えていた者が多いと思うので、ここで釘を指しておく。

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日本型ファンタジーの誕生(27)~『東京喰種』3:「父殺し」

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男性諸君、痛そうにしないwww。

『東京喰種』には、「父殺し」の話が溢れている。
「オークション戦」に「睾丸潰し」のナッツクラッカーが登場するのは、「睾丸を潰した者」と戦うことに発破をかけるためである。そしてこの場合は、鈴屋什造に発破をかけている。
無印の『東京喰種』で、鈴屋は恩師の篠原の負傷により更正した。しかしそれで十分ではなかった。鈴屋は自分の睾丸を潰したビッグマダムと戦い、男としての自分を取り戻さなければならなかったのである。
ビッグマダムに鈴屋は、「傷だけが、あなたから貰った何かでした。傷だけが懐かしい」、

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と言う什造にビッグマダムは「私がお前を飼ってたのは、たまたま造形が良かったからだ。お前なんか一度も愛してーー」と言ったところで斬られて果てる。
什造が愛情を示し、ビッグマダムがそれを否定する。

日本型ファンタジーの誕生(25)~『僕だけがいない街』3:父殺し - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で藤沼悟が八代学を肯定し、八代がそれを否定したのと同じ構図で、什造がビッグマダムを肯定し、ビッグマダムがそれを否定する。
そして「さよなら、お父さん」と什造は言う。ビッグマダムは女装した男だった。「父殺し」である。
ル島戦でも、滝澤政道のタマを六月透が潰している。
滝澤は芳村の赫包を移植された人工半喰種の成功体「オウル」である。一方透は過去に自分を虐待した父親を家族ごと殺し、また同じく父親を殺したトルソーを殺した。

共依存社会 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、父親を殺し、父親を殺したトルソーを殺したトオルは強力なクイーン・ビーになる。そして成功体「オウル」ですら、「父を殺した者」に「父を殺さない者」は敵わないのである。

東京喰種:re』54話のタイトルは「娩児」である。つまりカネキはこの時生まれたのである。この時佐々木琲世は消え(後に完全に消えていないことが判明するが)カネキケンの人格が復活する。
しかし何と悲しい復活劇だろう。

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カネキが愛した母親は、カネキに暴力を振るう親だとこの時判明する。「無印」では、カネキの母親はカネキにとってはひたすらにいい母親だった。カネキは暴力を振るわれた記憶さえ自分で消していたのである。その記憶が、カナエ、そしてエトの猛攻により甦る。
「誰かのためにカッコ良く死にたい」とカネキは言い、ハイセがそれを了承する。カネキは死ぬために生まれ、復活したのである。

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「夢はもういい」に「おやすみ、ハイセ」とルビが振られている。
このカネキは、最初の頃のカネキ同様髪が黒い。
ハイセは、ストーリーが進むごとに髪が黒くなる。というより、カネキの記憶が戻る度に髪が黒くなっていく。ネットでは最初の頃のカネキを「黒カネキ」、このカネキを「闇カネキ」と呼ばれている。そう呼ばれるのは、

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このように、言動が荒っぽいからである。

そして、生まれた以上父親も、母親もいる。
この場においての「母親」はエトである。生まれてすぐに、カネキは「母親」と戦う。「君は何しに?妨害?破壊?暇潰し?」と尋ねるカネキに、「最後者かしら。間近で見たいもの。月山とカナエと捜査官のあなた、誰がどう殺し合うのかとっても興味深い」と答えるエト。
虐待された「姉」カナエの怒りも背負っていたのかどうか、カネキはエトとの戦いに勝利する。そして、

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「母」が「子」を誘う、近親相姦の図である。
「私、あなたが好きになったわ、私達とっても似てるもの」
と言うエトの上半身を切り離し、落ちていくエト。しかしその直後、「光栄だな、高槻先生」と言うカネキ。カネキは「誘い」に乗ったのである。
その後カネキはエトの身辺を荒い、エトが喰種である証拠を掴む。しかし逮捕されたエトは、「隻眼の王を殺してくれ」とカネキに言う。
カネキはエトが「隻眼の王」だと思っており、「意味がわからない」と戸惑う。
その一方で、エトは新作の小説『王のビレイグ』を発表、「ビレイグ」は北欧神話オーディンの別称で、「片目を欠く者」の意味。主人公の隻眼の喰種「名無き」が王として喰種を率い、世界に反旗を翻す英雄劇である。佐々木琲世の「ハイセ」はドイツ語で「名無き」の意味であり、カネキを「隻眼の王」にする準備が進められていく。
そうした中で、ル島の「アオギリの樹」の殲滅作戦が開始され、カネキはそれを利用して、コクリアを破り、笛口雛実を開放しようとする。
しかしヒナミを開放しても、CCG最強の捜査官の有馬貴将がくれば、カネキもヒナミも殺される。だからカネキは、自らが盾となり、自分が有馬に殺されることでヒナミを救おうとする。

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この想いを、忠実に実行しようとしたのである。
「コクリア破り」ではカネキだけでなく、アヤトと万丈、四方とトーカも参戦する。しかし有馬貴将が到着し、カネキはみんなを逃がして有馬と対峙する。
「あとでね」とカネキに声をかけるトーカ。「一緒じゃなくていいのか」と聞くアヤトに、「私達がいたら、あいつは勝とうとしないで守ろうとするでしょ」とトーカは答える。
その通り、後のことなど考えてなかったカネキは「キツいな」と呟く。生きることがカネキにとってプレッシャーなのである。

エトが「母親」なら、カネキの「父親」は有馬貴将である。
いや、「母親」はもう一人いる。それが真戸暁だが、アキラはしばらく脇に措こう。作中では、有馬が「父親」であることが何度も暗示されている。

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ーー結局、あなたが望むような捜査官にはなれなかった。あなた視点、“喰種に同情をかけ…「コクリア破り」を敢行しようとしている…あろうことか”ーー恩師であるあなたに刃を向けて。……怒っていますか。それとも悲しんでいますか

 


琲世(ぼく)はあなたの期待に応えようとした。なのに、戸惑いも、躊躇も、貴方は見せない。有馬さん…本当は戦いたくないです…

 

カネキは有馬がわからない。
それは、共依存の被害者が、共依存の加害者を理解できないからである。
共依存の加害者は、共依存の被害者を「なぜ間違っているかわからない状態」にする。被害者は加害者の意に添うように努力するが、加害者はその度に撥ね付ける。だから「わからない」が増えていく。
そして「わからない」以上、カネキは有馬に反逆できない。しかし「わからない」が増えていくこと自体が、反逆の兆しなのである。

無意識の中では、カネキの有馬への憎悪は頂点に達している。

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カナエとの戦いで窮地に陥った時も、有馬に殺されそうになったことを思い出して「有馬殺す」と言っている。
共依存の加害者は行動に一貫性はないが、目的はひとつ、被害者の人格を殺すことにある。
有馬の場合、喰種としてのカネキを殺すことにある。だから「喰種に情けをかけるな」と言う。

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と、「喰種」としてのカネキが暴走した時も、「限界を引き上げればいい」と言い、「上半身と下半身のラグをなくして」などと理論的な指導をするが、そんな理論より、カネキの方が強いのは明らかである。もっとも、このような相手の本性を殺した指導は、時に恐ろしいものを生み出すことがある。

真戸暁は、カネキの本性を殺すための「母親」である。
ハイセがカネキとしての記憶を探ろうと、亜門鋼太朗を調べようとすると、アキラが止めにかかる。ハイセが記憶の無い不安を訴え、「ハイセじゃない」と言っているのに、

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と、やはりカネキであることを否定する。

「絵や文章、創作物で同一の表現を繰り返してしまうのは、それはその表現が得意だからではなく、根底にコンプレックスを抱いているからだ」と、カネキは趣味の読書から、有馬の「文脈」を読み解こうとする。
有馬は緑内障で、右目の視力がなかった。それを利用して反撃しようとするが、

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たちまち両足を吹っ飛ばされてしまう。

「645回」、俺がお前に「致命傷を与えることができた回数」だ。同時に、「それを見過ごした回数でもある。二秒で殺せる。お前の目は死人のそれだ……死人に俺は止められない

 

と言う有馬。「何を選んだんだ」と問う有馬に、「有馬さんを引き止めて…」と答えるカネキ。
「お前に払った時間は無駄だった」と、有馬はトドメを刺そうとするがカネキは反撃し、両足を赫子で形成、半赫者の姿になって反撃する。
それでしばらく持ちこたえるがやがて有馬に滅多斬りにされるようになる。
内心諦めていくカネキ。
しかし妄想の中に永近英良が表れ、諦めるカネキを説得する。
「君がいないと、寂しいよ」と言うカネキ。
「色々ゴタク並べて“死にたい”だの“消えたい”だの、お前は生きる理由が見つからねーだけだろ?」
「“誰かのために『かっこよく死ぬ』、命を懸ける?だっけ?バァカ、あのとき(カネキの窮地を救うために永近がカネキに喰われた時)俺は、「お前と生きたい」と思ったんだぜ?」
これで、カネキは新たな覚醒を遂げる。

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全くだwww。
これじゃ

日本型ファンタジーの誕生(24)~東京喰種2:ルナ・エクリプス戦はクィーン・ビーと「見棄てられたヒロイン」の戦い - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で「覚醒したカネキによる父殺しが始まる」と言った俺が恥ずかしいじゃねえか!!
ここで注目すべきはカネキの髪。一気に白髪に戻っている。
これは、どんなに乱暴に見えても、「闇カネキ」は黒カネキ、ヤモリに拷問される以前のカネキと同じだということである。
その違いは「反逆するかしないか」にある。

死にかけてようやく辿り着くいびつな景色。リゼさんもヒデもいつだって、結局ぜんぶ僕の中、僕から出たものでしかない。「僕が逢いたいひと」、「僕が言われたいこと、“ヒデならきっと僕を止めてくれる”、どこかでそう考えていた時点で、僕自身が願ってしまっていたんだ。生きたい、なんて

 

「君がいないと、寂しいよ」と言った時、カネキは戦えない理由を永近のせいにした。仲間のために戦っているから、戦えないのは永近のせいなのである。
それを永近は否定した。そして「かっこ悪くても生きろ」と永近に(妄想の中で)言われた言葉を実践していく。そしてこのカネキは、有馬の理論的指導と、カネキの本来の強さが融合したカネキである。

カネキは有馬を陽動し、その隙を衝いてクインケを破壊する。
有馬はクインケが破壊されても戦おうとするが、カネキは相手にしない。刺されてもそのままにし、「無意味だ」と言うだけ。
「俺を殺す気もないか」と言い、カネキが頷くと、有馬は自ら喉をかっ切る。そして自分が人間と喰種の間の半人間で余命幾ばくもないこと、カネキに自分が有馬を殺したと言うように伝えると、「ずっと嫌だった。奪うばかりの人生がやっとなにかのこせた気がする」と言って息絶える。
カネキに「死人に俺は止められない」と言いながら、自らは死を望んでいた。「子」の価値観を「父親」が否定することで、「父殺し」が成立する。
死んだ有馬に、「彼アイヌ、老いたる鷲」で始まる北原白秋の詩を詠む。元はカネキが有馬に「殺された」時に、カネキが自分のために詠んだ詩である。
すると、チェック模様の天井が消えていく。
この天井は、カネキが有馬に「殺された」時から、カネキの心象風景にあった。

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カネキは「気持ちの悪い雲」と呼んでいるが、要はヤモリの拷問部屋の床が反転しただけのものである。どんなに努力しても境遇が変わらない、カネキの苦悩を表している。この「雲」はカネキが強敵に勝つと消えるが、窮地に陥るとまた現れる。

この辺りからカネキのフルネームは「金木研」から「カネキケン」に変わる。まるで親に与えられた名前など、「ハイセ=名無き」だと言うように。
その後、カネキはエトに会い、有馬が「隻眼の王」だと知る。
「王」の座がカネキの目の前にあり、「座すも壊すも君次第だ」とエトは言う。
そして、カネキは最初ラスボスと思われた「隻眼の王」となる。

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国税庁からの情報公開請求の不開示決定についての理由説明書

id:fyamaさんから

(拡散希望)山形税務署は情報公開法第5条に違反した。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

でブクマをもらったんだけど、ブクマで見てもfyamaさんのブクマがないし、fyamaさんのプロフィールを見るとブクマ自体使ってないんだけどどういうことでしょうか?「拡散したかどうかブクマで判断する」と言った以上、嫌がらせ等は追及する必要があるのでね。

国税庁から、情報公開請求の不開示決定についての理由説明書を受け取った。


法第5条第2号イは、法人に関する情報であって、公にすることにより、当該法人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるものを不開示情報として規程している。

 

(拡散希望)山形税務署は情報公開法第5条に違反した。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、山形税務署内では情報公開法第5条1号ロの見解について争っていたのだが、第5条2号の話となっていた。「一 個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)」と第5条1号にあるので、事業者である山下には第5条1号は該当しない。なんか嵌められた気分。それとも公務員も条文わかってないのか?
第5条と第5条2号とイを見てみよう。

第五条 行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。
二 法人その他の団体(国、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人を除く。以下「法人等」という。)に関する情報又は事業を営む個人の当該事業に関する情報であって、次に掲げるもの。ただし、人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報を除く。
イ 公にすることにより、当該法人等又は当該個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるもの

 

「人の生命、健康、生活又は財産を保護するため、公にすることが必要であると認められる情報を除く」という点についても言及してきたが「該当するとは認められない」とのみ。個人の印税が財産権に該当しないと言いきった。もちろん「なぜ該当しないか」なんて理由は書いてない。

なおこの理由説明書は控訴できないものだった。「意見書を提出できる」とあるだけ。
閲覧についての記述もあったが、一般公開ではなく、「諮問庁に対し、送付し、又は閲覧させることにつき『差支えがない』旨の回答のあった意見書又は資料について」その写しを送付するだけだった。
控訴したって理屈にならない理屈が返ってくるだけで不毛なのだが、事態の改善を目指して公開のブログで書いている以上、控訴できるならするつもりだった。しかし頭のてっぺんから爪先まで話を噛み合わせる気がないのに、控訴でなく意見書という形で「意見に見るべきものがあったら改善してやろう」という含みを持たせるとは何様のつもりだ。理性なんか生まれた時からぶっ飛んでやがるくせに態度がでかいんだよ。

最近ゆたぽんという不登校Youtuberがいて、「親に言わされている」とか「学校に行くな」と言ってることへの批判が起こっている。

www.tyoshiki.com

でもこの問題が取り上げられていたけど、

個性を尊重しようとすることはいいことだと思うんですけど、社会を積極的に破壊しようというそういう思想には気を付けたほうがいいですね。

 

なんてことは国が個人の財産の横領に加担してることを普通に語れるようになってから行った方がいいんじゃねえの?

ということで、この記事も拡散希望します。条件は前と同じブクマのみで、お礼にカラースターを差し上げますが、ネット上の他者との繋がりがないなど、明らかに棄て垢なものには差し上げません。

私の擬装請負体験(22)~まとめ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、私は自分が報いられる日がくるまで誰も愛さないし、誰の幸福も望まない。
偽装請負で親と決別して以来、実家には帰っていない。
甥がいる。東日本大震災の年に生まれたが、一歳の時以来、顔を見ていない。
どのように育っているのか、私のためにいじめられていたとしても知ったこっちゃない。

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日本型ファンタジーの誕生(26)~『アイアムアヒーロー』4:孤独になって人は自立する。

日本型ファンタジーは、ほとんど同一の型でストーリーが構成されている。

日本型ファンタジーには「殻」がある。
進撃の巨人』の「壁」が最も分りやすいが、次に分りやすいのは『東京喰種』だろう。
『東京喰種』の「殻」が「東京」なのは一目瞭然で、東京の外は舞台になることもない。「アオギリの樹」の本拠となった流島も、東京湾内の島である。作中ではこれを「歪んだ鳥籠」と呼んでいるが、これは

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この『進撃の巨人』の冒頭へのオマージュである。
亜人』は、主人公の永井圭が海に流されながら、東京からも出ていなかったことで、「殻」が首都圏だと推測できる。

この「殻」は狭い世界、人々の心の中の暗示である。
人々は基本、この「殻」を出ることはない。
この「殻」を無理矢理出ようとするとどうなるかは、『進撃の巨人』のエレンが初めて壁外調査に出た時の結果が証明している。失敗である。
「殻」はジョゼフ・キャンベルが提示した「召命の拒否」そのものである。
ならば冒険は始まってもいないのかといえばそんなことはなく、物語を終えた時には全ての冒険が終わっている。

「殻」には、中心がある。中心にあるのは、「平和主義」か「和の精神」である。
進撃の巨人』の中心は、ウォール・シーナ内のレイス家の礼拝堂の地下である。エレンはそこで「平和主義」と向き合い、完敗する。
『東京喰種』の中心は、24区の最深部、かつて「隻眼」が龍となった場所である。
もっともそこまでカネキが行くことはないが、替わりにアヤトが行く。アヤトはこの場合カネキの分身で、そのことを強調するために、シスコンのアヤトの留守中にカネキとトーカを結婚させてまでいる。
亜人』は少し趣向を変えて、埼玉県入間市自衛隊基地が中心となっている。入間市が中心になる理由を「永井圭が生まれ、死んだ場所」だからとしているが、『東京喰種』などが東京を中心としたために趣向を変えた向きが無くもない。
もっとも自衛隊入間基地は、最大の自衛隊基地である。ここに「治安出動と防衛出動の違いもマスコミは知らない」と言い、「一人の殺人鬼相手に自衛隊を投入しない」と言う総理大臣が軟禁されている。やはり「平和主義」との対決が用意されている。
なお、『アニメゴジラ三部作』も中心があり、それは富士山麓である。日本が舞台になる場合、中心は日本を代表する物になる傾向がある。

中心にいる敵と戦い、勝つことで「殻」を破る力を得るというのが日本型ファンタジーの基本構造である。
日本型ファンタジーでは、中心に自分の意志で向かうことはまずない。
大抵は、敵に追い詰められて中心に向かう。
アイアムアヒーロー』は違う。『アイアムアヒーロー』は中心から追い立てられるのである。これは

日本型ファンタジーの誕生⑲~『アイアムアヒーロー』3:「クルス」と「巣」の意味 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、ZQNパニックがクルス=「絶望した者」による革命的なものであることによる。
ZQNは主人公達を「殻」の外に追い出そうとしているのである。
アイアムアヒーロー』の「殻」は首都圏か関東で、それは主人公達が箱根から引き返したことでわかる。そう、主人公達はZQNに追い立てられるままに「殻」を破ればいいのに、自分達で中心に戻っていくのである。

アイアムアヒーロー』の中心は、池袋のサンシャイン60である。ここにスクールカースト、「和の精神」を表す「巣」があり、鈴木英雄はこの「巣」と対峙する。
しかしこの「巣」は、早狩比呂美をスクールカーストの頂点、「女王蜂」とする「巣」である。そして鈴木は、「巣」からの比呂美の救出を本来の目的として行動している。
ZQNに追われ、高い所に登った鈴木は、「巣」と同化した比呂美と目を合わせる。
小田つぐみを殺したことで葛藤する比呂美。それを正当化し、鈴木に理解してもらおうとする。

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言い訳するほどに本音が出てくる。仕方なかったからではなく、結局嫉妬なのである。

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比呂美の心象風景の中で、比呂美は鈴木と一番最初に会った頃に戻っていく。その頃の自分が鈴木に一番可愛く見えていたと、比呂美は思っているからだ。
しかし鈴木にとって、比呂美は怪物でしかない。鈴木に比呂美に向かって銃を撃つ。

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お、面白い…。
しかしこれでは百年の恋も冷めるというもの。

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全くだ。
しかし鈴木は情けないが、物語の構造は表向きの論理通りではない。
この少し前に、鈴木はZQNになった小田つぐみの妹と接触し、つぐみの妹に守られながら「巣」と対峙する所まで行った。
ZQNは精神を共有しており、つぐみとその妹も、共有する精神世界で話し合っている。
いや精神世界だけではない。
つぐみは鈴木を守るように妹に頼み、バイセクシャルの妹は姉にセックスを要求する。
「あんたチンコないでしょ?」とつぐみが言うと、妹は井浦が引きちぎったチンポを拾って挿入しようとする。
「井浦のチンポでいいのかよ」と言うつぐみに、「この世界ならなんでもアリなんだよ」と妹は答える。井浦が死んだのはつぐみがZQNになるずっと前だが、バラバラな時間さえ関係なくZQNは繋がっていく。
そしてこれが、「井浦のチンポいい」と死ぬ間際に言ったことの意味である。鈴木はつぐみに男として認められていないと思ったが、そうではなく、鈴木を助けるために妹に体を売ったのである。
もっともそれは、比呂美がその前につぐみを殺したことで果たされなかった。「なんでもアリ」の世界でも、「女王蜂」はZQNの運命を握っている。
しかし約束が果たされなくとも、つぐみの妹は鈴木を助けた。妹はつぐみの分身である。
御殿場アウトレットモールでは男達に強姦され、ZQNパニック以前も男運に恵まれなかったつぐみは「見捨てられたヒロイン」であり、「クイーン・ビー」と「見捨てられたヒロイン」が対立すると「クイーン・ビー」が罰を受けるという日本型ファンタジーの構造を踏襲しているのである。

鈴木達は最初、ZQNに追い立てられていたが、自分から中心に戻っていく。ならば、クルス=「絶望した者」の革命行為に反対なのか?
いよいよ追い詰められたと思った鈴木は、最後にできることを探す。そしてクルスが一人で戦っているのを見て、クルスに加勢するのである。

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ルサンチマン丸出しの鈴木www。
こうして撃たれた中田コロリだが、身につけていた鈴木のマンガのおかげで一命を取り留める。「英雄さんが救ってくれた」と中田は言う。しかし鈴木が中田を撃ったこと、これが作者の本音である。
アイアムアヒーロー』には、弱者への強い共感、強者への反感がある。
作中には、童貞男を殺した男への強い怒りを持って戦う男が登場する。そして童貞男を「キモい」と言った女は、

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斧が頭に落ちてヘリを掴む手が離れ、転落。またクルスに飲み込まれたおばさんが助け出されると若い女になるなど、とことん弱者寄りの姿勢で描かれている。
しかし鈴木がクルスを助けたら、比呂美はクルスの者ではないか?
そうならないために、女のクルスがいるのである。クルスは女のクルスと融合し、性別を失う。性別を失ったクルスは、「女王蜂」と結ばれることができない。
自分を「誰も見てない裸の王様」と言うクルスに、「見られたいなら生かそう」と女のクルスが言う。
こうして中田達は東京を脱出する。いや、東京から追いやられるのである。

ZQNがいなくなった東京で、鈴木は一人生きている。
カップ麺を漁って生きていたが、鼠にカップ麺が食われ、窮地に陥る。
鈴木は独り言が多い。この時も独裁者のように銅像に当たり散らし、飛び出し坊やの看板を首吊りにしたりする。
やがて野菜を栽培することを思いつくが、植えた種が鹿に食われてしまう。
鈴木は銃砲店で散弾のリローディング器財を見つけ、本で読んだ知識と、タイヤのバランスウエイトで弾頭を作る。
そして初めて鹿を撃つが、鹿の腹の中には子鹿がいた。
一度に二つの命を奪ったことに、鈴木は良心の呵責を感じる。しかし、

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鈴木が「ヒーロー」なのは、心を閉ざしているからである。
常に心を閉ざしている鈴木は、ZQNと精神を共有することがあってもZQNにならず、また人生に絶望してもクルスにならなかった。しかし鈴木は「殻」に閉じ籠っているだけで、自分で人生を切り開こうとはしなかった。
鈴木は生きるために「罪」を犯すことを受け入れた。頭が禿げ上がっても、鈴木は「殻」を破り、人間として自立したのである。

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漢の高祖劉邦は「巨大な共依存の加害者」

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漢の高祖劉邦は、『史記』を真面目に読めば馬鹿そのものである。
いわく洛陽を都にしようとして、「漢は武によって成立した国なので、関中に都を置いた方が良い」と進言を受けその通りにする。楚漢戦争で関中の重要さなど知り尽くしただろうに。
いわく宮殿内で家臣達が大声で話し合っているのを見て、「何を話しているのか」と問うと「謀反の相談をしているのでございます」と答えが返ってきて仰天し、慌てて儒教の礼を取り入れたところ家臣達がおとなしくなり、「朕は初めて皇帝の偉大なることを知った」など。楚漢戦争の時、劉邦は相当軽い神輿だったようで、始皇帝死後の混乱を合わせて考えれば、家臣が宮殿内で大声で謀反の相談をしていたというのもあり得る話だが、そのことについて警戒もしていなかったような劉邦の態度はわざとらしい。
極めつけは、敗走中に馬車を軽くするために自分の子供を放り投げたという話である。司馬遷の『史記』は、司馬遷が各地を巡って情報収集をしたというが、娯楽の少ない当時のこと、人々は大笑いしながらこの話をしただろう。この時劉邦に放り投げられた子供が、第2代皇帝の恵帝である。

「姓は劉氏、字は季」と『史記』にあることで劉邦の「邦」は諱ではないとする見解がある。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』もこの見解を採っており、私も賛同する。
劉邦の生まれた沛の辺りの農民程度の出自なら、名などない者も多かったのであろう。
「邦」というのは「兄貴」という意味であるという。劉邦は名を成してからも「兄貴」で通し、その身分にふさわしい諱をつけなかった。「名前なんかいらねえ」という素朴さを感じられる話である。「季」という字は「末っ子」という意味だが、弟はいる。年の離れた弟だったのだろうか。
また生年もはっきりしない。紀元前247年説と紀元前256年説があり、私が若い頃は紀元前247年説が有力だったが、最近は紀元前256年説が有力らしい。
本屋で立ち読みした時のうろ覚えの記憶だが、漢代には劉邦の年齢を記録した資料はなく、年齢の記録は晋の時代になってから現れたという。
年齢に興味がないというのもまた、素朴さを感じる話である。
ところが、そんなことはない。
劉邦には、同じ豊の邑で同じ日に生まれた盧綰という仲間がいる。盧綰は後に燕王になっている。劉邦は他姓の王を粛清し、「劉氏以外を王に立てない」という慣例を作ったが、さほどの功績もない盧綰だけは例外としたのである。
もっとも盧綰も、後に謀反を疑われ匈奴に亡命している。ただし盧綰を王にしたのは、劉邦の生年を記憶するためだったと考えられる。
劉邦は自分が生きている間に、各地の王を全て粛清したが、劉邦が積極的に粛清を行ったという印象はない。各地の王が猜疑心によって反乱を起こしたとか、家臣が色々画策したという話が伝わっている。
ずいぶん恐い話である。劉邦の強い意志無くして、全ての他姓の王を廃することなどできるわけがない。
歴史の始まりの時期に、こういうことはよくある。
殷周革命で、滅ぼされた殷の紂王は稀代の悪王とされた。
歴史の始まりの時期は神話の要素も混ざり、人物は精彩を欠き、ストーリーもリアリティがない。
楚漢戦争の時期は人物が精彩を放っているため、リアリティがあるように感じるが、実は「人物が精彩を放ってリアリティがない」のが楚漢戦争から漢の初期の時代なのである。人物に精彩があるのは、劉邦が例外的に戦争に弱く、項羽が例外的に戦争に強いからである。

秦の始皇帝は、最初期の前衛家らしい極端さがあり、王や貴族を廃止して中央集権にしたり、焚書坑儒や土木事業や外征などで民は疲弊した。それが後の混乱に拍車をかけたのであり、劉邦のような名もない人物が台頭する要因となっている。
劉邦は後に王陵から「よく人を侮る」と言われ、後に相国となった蕭何からは「劉季はもとより大言多く、事を成すこと少なし」と言われている。
劉邦に実務能力が乏しかったのは間違いなく、特に戦には強くなかった。
そういう劉邦がなぜ天下を取ったのか?
「徳があったからだ」というのが、これまでの答えである。
しかし考えてみよう。


劉邦は行儀が悪く、すこし酔えば横に長くなって肘枕をし、ときどき癇癪を起こすと、その男を口汚くののしった。類がないほどに、言葉遣いが汚かったが、そのくせ一種愛嬌のある物言いで、罵られた者も多くの場合傷つかず、一座もげらげら笑い崩れてしまうというぐあいで、劉邦の芸といえばあるいはこれが唯一の芸であったかもしれない。

 

と司馬遼は『項羽と劉邦』でいうが、現代人ならこの描写で、共依存関係を疑うべきだろう。
互いに冗談だけで会話が成立する関係など、よほど気が合わないとあり得ないのである。気が合っているようでも、一方的に悪口を言われている場合、やはり共依存をではないかと思うべきなのが現代人である。それを大人数に対して行うのは尋常ではない。
特筆すべきは、劉邦戦国四君の信陵君を範としたことである。
共依存の加害者は、自分と正反対の人物に憧れることがある。
食客に常に礼を以て接し、その才覚を王に恐れられた信陵君は、劉邦に似ているとは言えない。
コンプレックスが憧れに転じるのだが、共依存の被害者にそれを語る場合、時にそれは老獪なものとなる。
劉邦と正反対の信陵君を、劉邦と同じ人格と被害者に受け取らせるのである。
しかしこの時代、人の寿命は短い。
そして劉邦の周りに集まった者は、正業があってもろくなものではなく、明日をも知れない身だった。
そんな者達が、自分達の親分、実際には加害者を立てることで、子分である自分を少しでもましだと思いたいと考えることは充分考えられることである。

しかしそれが「龍の子」だの「天命を負っている」だのになっていくのはどういうことか。
これも説明できるのである。なぜなら劉邦に能力がないから。
私も今までの人生で多くの問題児にあってきたが、大抵その周囲は、問題児を中心に回っている。周囲は問題児を必死に立てようとするが、こっちが油断すると、問題児が「人格者」に発展していることもある。
劉邦の話に戻せば、子分にとって劉邦が無能なのは耐えられないのである。だから劉邦を持ち上げようとして色んな話を作る。それが歴史に残る劉邦の「伝説」の始まりである。

凄いのは、劉邦共依存が沛の町を覆ってしまったことである。
先に述べた王陵だが、元は劉邦の兄貴分なのである。劉邦は王陵を共依存だけで超えてしまった。充分才能だといえる。
もっともこれだけだと沛の任侠界だけの話になりかねないが、劉邦に目をつけた蕭何(目をつけたと言っていいだろう)がさらに持ち上げて、劉邦始皇帝死後の沛の支配者にしてしまった。

もっとも劉邦は、ただの共依存の加害者ではない。
人物を見る目があった。韓信、蕭何、張良といった人材を使いこなした。
人物に対する劉邦の慧眼を示すエピソードに、病床の劉邦呂后が後事について訪ねる話がある。
劉邦は「蕭何に託せ、蕭何の後は曹参、曹参の後は王陵、しかし王陵は愚直だから陳平を補佐につけよ。陳平は才走りすぎるから周勃を補佐をさせよ。漢を安んずるのは必ずや周勃であろう」と言ったという。
私は最後のところを除いて作り話だと思っているが、劉邦の人物眼を感じさせられる。共依存の加害者は相手の能力を見抜く力が著しく劣っていることが圧倒的に多いが、劉邦はそうではなかった。自分を覚めた目で見ていたのだろう。

もっとも、劉邦が天下を取るのは共依存の力ではない。武関回りで関中討伐の将に選ばれるという運の良さがあり、そのおかげで楚漢戦争の一方の旗頭となる。
そこから天下を取ったのは、人材登用の面もあるが、基本的には諸国の雄に多く土地を与えたからである。これで英布、彭越、そして登用した後に半独立の体をとった韓信を味方に引き入れた。
東洋には、領地を多く部下に与えることで天下を取るケースが多くあり、その場合、いろんなごたごたがあっても政権自体は長続きすることか多い。
しかし漢は、途中で中央集権化に成功した。
世界史で見て、最初に弱体で、後に強権になる王朝が2つある。フランスのカペー朝前漢王朝である。
しかしカペー朝ではフィリップ二世という傑物がいたのに対し、漢王朝はそうではなかった。沛出身の小領主達、かつての供依存の被害者が、徳川幕府の普代大名のように諸国の王の勢力を削るのに腐心し続けたのである。
しかし始皇帝が起こした「混乱」は、百年も経たないうちに収束して、中央集権にできるのかと思ってしまう。
そんなものなのである。しかしこれは、漢が善政に敷いたことによる部分が大きい。
善政といっても、正義を完遂したとか、福祉を充実させたという積極的なものではない。税金が安かったのである。
始皇帝死後の混乱の時期、不正な手段で財や勢力を成した者は多くいただろう。各国の王と争いながら、そのような勢力を敵に回すことはできない。そこで税金の安さが売りになる。「ならば中央集権でもいいか」となるのである。しかしこれは、なんだかんだといって中央集権が始皇帝以来、人民に浸透していたということである。

劉邦以降、天下を取る者が多く現れ、天下を取る者がことごとく劉邦を範とした。しかし劉邦のように、「生まれ持った徳がある」と言われた者は1人もいなかった。それでいて、劉邦が「生まれ持った徳」を持つことは批判されてこなかったのである。

東洋では、リーダーの型としてボトムアップ型のリーダーの中に、「生まれ持った徳」のある者がいると言われてきた。
西洋では、「生まれ持った徳」というのは言われることがない。
それがなぜかを考えたいというのがあって、今回の記事になった。

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斗比主閲子と弁護士は信用できない

斗比主閲子氏のこの記事。

topisyu.hatenablog.com

ここ数年で一気にメジャーになった第三者委員会報告書は、主に弁護士を中心に起用して、その組織に関わる不正を調査し、原因を分析し、再発防止策がまとめられるものです。

作成にあたっては弁護士や会計士がタイムチャージ(時間払い)で関与しますので、一時間あたり数万円前後の費用となるため、問題が根深ければ根深いほど延べの調査時間は増え、費用は数千万円~数億円までかかることがあります。要するに、相当お金のかかった報告書になることが多いということです。

他人がやらかした問題をプロの視点で分析されたものを読む機会というのはなかなかなく、学びも多いため、私は、第三者委員会の報告書が公表されるたびにできるだけ読むようにしています。

 

死刑制度は廃止すべし - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で斗比主さんのリンクを貼ったから通知は行ってると思うんだけど、弁護士は詐欺師だからいくら金と時間をかけたからってそれが信用のおけるものになるんじゃないよ。ま、斗比主さんが盲目的に信じるってのは勝手だけどさ。



 

とある。これは運営側の示している見解である。第三者委員会は「犯人グループとの交際を認めたメンバーがいる」ことは認めているが、被疑者が事情聴取に応じていないことを理由に確定しないものとしている。

斗比主さんの狙いがわかるんだよねー。
「特にこの件について頭に入れてなかったので」とか言って

山口真帆の事件を無視する「統合型」フェミニスト達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で言ったように、山口真帆に肩入れする気がないんだよねー。「興味なーい」と言えばそれで済むと思ってるし、実際そうなんだけど、それなら山口真帆に肩入れしたふりをするのはやめて欲しいね。


私はこういうものについて基本ゾーニング派なんですけど、コンビニならまだしも、本屋さんで、性的なコンテンツをゾーニングすることにはあまり興味がありません。

 


というのは、私は本屋さんが好きじゃないので、私は当然行かないし、子どもを本屋さんに連れて行くことがないからです。雑誌ぐらいしか新しい本がない寂れた本屋さんや、キオスクレベルの本屋さんは特に気にならないんですが、ビル内やロードサイド型の、ラインナップが比較的豊富な規模の大きい本屋さんはとても居心地が悪いんです。

 

topisyu.hatenablog.com

https://megalodon.jp/2019-0416-2146-43/https://topisyu.hatenablog.com:443/entry/2018/09/15/000730
言って、本屋がゾーニングされれば本屋に行くってことを暗に仄めかして自分が本屋のゾーニング派だってことさらけ出してる。これは

www.tyoshiki.com

の一連の記事で「本屋に行って見ろ」という主張に対する「本屋に行かないけどゾーニング派」という差別だし、

話は全然変わりますが、私は子どもの頃から忍者修行が好きでした。特に、『カムイ外伝』か何かで初めて見た、麻?を植えて、その上を毎日ジャンプしていると、麻の成長に合わせて徐々にジャンプ力が上がり、最終的には驚異的な跳躍力が手に入るという、実に科学的な方法には惚れ込みました。子どもを持ったら、庭に木を植えて、ジャンプさせようと思ったぐらいです。

 

って

topisyu.hatenablog.com

https://megalodon.jp/2019-0416-2204-52/https://topisyu.hatenablog.com:443/entry/2018/09/11/073000

スルガ銀行でのアパートローンの不正融資やサブプライムローンでも同じことで、適正な信用力がない人に無理に貸付けしても上手くいくわけがなく。状況に応じて変わるにせよ、人にはそれぞれ適正がありますから、無理なハードルを設定するものではありません。

お後がよろしいようで。

 

と言って、スルガ銀行の話だけにすればいいものを余計な付けたしをして弱者斬り捨ての匂いを強くしてるし。
まー山口真帆の件についても「興味ないから」と言えばそれで済んじゃうんだけど、それを信用するかと言ったら絶対信用しないね。

NGT48は2チームを解散し、1期生と研究生に分けると発表したが、この中に山口真帆は入っていない。

amp.bengo4.com

では、山口真帆が容疑者と示談したんじゃないかと推測している。
しかし民法では、そのような示談を無効とすることもできる。
ならばなぜ山口真帆が裁判などに訴えないのかといえば、おそらく受任する弁護士がいないのだろう。
みんな知っているはずである。この国では明らかに間違ったことでも、受任する弁護士が全くいないことがあるということを。そしてそのために不幸になる人とならない人の間に違いは全くないことを。
斗比主さんの記事がランキング入りしてたところをみると、みんなこうなるとわかって斗比主さんの記事を読んでたんじゃないの?

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