坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

当面維新は支持出来ない。

安倍首相についてはブログを書き始めた時からずっと見てきたが、今年に入ってから思い始めたのは、安倍首相は私の想像出来る範囲を超えた人物ではないかということである。
新型コロナウイルスの問題が危機感を持たれる直前までは、「悪夢の民主党政権などと言ったことがない」など、安倍首相の問題発言は国会の中に限定されていた。新型コロナウイルスが主要な問題となってもしばらくは「大きな声でつばきを出さないで」など国会限定の問題発言で、去年の秋以来の特定個人の吊し上げに反対する傾向に合わせて、問題発言を国会内に限定していたのである。
そして新型コロナウイルス感染者が東京と大阪で増え始め、緊急事態宣言を出す頃の安倍首相の顔は、良識的だが融通のきかない官僚のような、危機管理には向かなそうなキャラだった。ここからあからさまな問題発言は消える。
ここまでくると、安倍首相にはいくつ顔があるのか、本当の安倍首相の顔はどれなのかと思ってしまう。多分首相としては、本当の顔を見せたことがないのだろう。
その後問題となったのは、星野源とのコラボである。安倍首相が特に低所得者の感情を逆撫でにするような行動をとったのは初めてである。そして今のところ、星野源とのコラボ以外に低所得者の感情を逆撫でにする行動はしていない。
状況に応じて、安倍首相は何度でも見せる顔を変えていく。その変幻自在ぶりを見ると、この人は何年でも首相を続けられるのだろうなと思う。
そして安倍首相が顔を変えていくのは、安倍首相の国民の本音を代弁しているからである。つまり国民はリーダーシップを取れる人物を求めているふりをして、本当はリーダーシップが取れない社会を望んでいる。
また安倍首相が本音を代弁するなら、建前を代弁する存在もある。誰が建前を代弁しているのか?

ここにきて、維新の支持が立憲を抜いた。
東京と大阪でコロナ感染者が増加すると、小池知事と吉村知事のツイッターのフォロワー数が激増、合わせて橋下氏のフォロワー数も連日一万ずつ増える事態となった。
一方、れいわ新選組山本太郎氏は、

 

で、PCR検査を拡大してこなかった政府を批判した。初期対応としては検査抑制は正しくても、感染が拡大してくれば検査を拡大しなければならないというのである。
橋下徹氏は4月3日に次のように述べている。

 

橋下氏は当初から検査抑制派である。
橋下氏が山本氏の意見を意識していたかどうかは知らない。だから私は橋下氏が山本氏を含めた検査拡大派を意識して見解を述べていると推測して述べていく。

 

と、4月17日の時点でもこのようである。



 

4月19日にはこのような意見を。なるほど現場の意見は貴重である。しかし

diamond.jp

を見れば日本と韓国は病床数も医師数も韓国と同じくらいだとわかる。もっともこの記事は日本は医療崩壊しないと述べている。しかしPCR検査を拡大すれば感染経路もより辿り安く、最終的に感染者数も死者数も減らすことができるのはこれではっきりした。またPCR検査は精度が70%だというが、韓国のRT-PCR検査は精度が95%である。
3月にはわからないことも、4月にはわかることもある。橋下氏は「政治家は専門家の意見を聞いてはいけない場合がある」といい、それはまだ状況がわからない段階の時に特にそうだという。そして政治家は結果に対して責任を取るべきだという。結果を出せなければ「ごめんなさい」と言えばいいと言ったこともある。

橋下氏は最初から一環して、検査拡大に反対だった。しかし4月3日のツイートで条件付きで検査の拡大を認めた以外、検査の拡大に直接に反対する発言はしていない。

 

これはずるい。このツイートのリンク先は抗体検査について書いている。自分に向けられた批判がPCR検査の拡大に反対したことについてのものから問題をずらしている。

 

自治体に裁量を任せながらも、政府が自治体に様々な注文をつけていくという例はあったがこれは違う。PCR検査が拡大しないのは緊急事態宣言より前からの方針で、橋下氏の主張に政府が同調したからである。

橋下氏のこのような態度について、これも政治だと思う。
また政治家は総合評価でいい。橋下氏が検査拡大の波に乗り遅れているからといって大きく評価を下げることはない。
従来なら橋下氏や維新を巡る問題には、私は多くは目を瞑ってきた。それは改憲派の維新が政権に近づくのはそれだけ大変だからである。
しかしここに至って、状況は全く変わってしまった。それは新型コロナ感染拡大の危機により、以前から兆候があった護憲派の崩壊が加速し、維新に流れたことである。
この流れはおそらく逆転することはない。今後護憲派が勢いを取り戻すことはまずないのである。
それは良いのだが、問題は維新が護憲派に変わって建前の役割を担うようになっていることである。維新の政策が本当に支持されている訳ではない。

 

この時期にこのようにいうのは、休業補償をしなければならない現状において、資本主義的な改革が遠のくのを維新が恐れているからである。そして維新が当面資本主義的改革をしないと見越して、護憲派や利権にあやかる者が安心して維新を支持できるからである。
当然だろう。コロナのために景気が大きく後退しているのに、感染終息後に真っ先に競争原理を持ち込む馬鹿はない。今窮状にある人は、競争で負けたからそうなっているのではない。
しかし今、維新はずれ始めていると感じている。コロナ後に競争原理を早期に導入するためには、まずコンプライアンスの徹底が不可欠である。偽装請負が何ら競争力をもたらさなかったようにである。
コロナ後の競争原理の回復は政府が紙幣を発行して景気を刺激しながらになるから相当大変である。しかし今の維新に、その大変さを理解しているようには見えない。その証拠に、今の日本人がすっかり忘れている言葉がある。「危機管理」という言葉である。
そんな言葉は今も使われている、というかもしれない。しかし今使われている「危機管理」からは、2年くらい前に使われていた意味合いが全く抜けている。
それは間違いがある時には謝罪を迅速にする、情報を開示するなどである。

www3.nhk.or.jp

にあるように、陽性率を一部公開していないのは大阪府である。情報公開の徹底を叫んでいるのは維新である。その維新が、自分達に都合の悪い情報を公開しないようになっている。
2年前の日大アメフト問題では、橋下氏は日大の理事長を徹底して批判したが、今橋下氏がやっているのは基本的に日大の理事長がしたことと同じで、少しずつ検査拡大ににじりよっている点が違うだけである。私から見れば、もう「検査拡大をもっと早くすべきだった」という言葉があっていいくらいである。
これも政治手法、と以前の私なら思ったが、今後の維新にさほどの期待は出来ないと思っている。

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で国家的陰謀により作家の印税が食い物にされていることを指摘し、今なおほとんど拡散されていないという異常事態が続いている。
これは異常事態というしかない。一体誰が言い訳出来る?
そしてこの異常事態が5年後に維新によって解消され、多くの者が普通にこの問題について語れているようになっていないのなら、維新に存在価値は全くない。消えてなくなってくれていい。
今の日本人は少しもまともでない。この程度のことを何年かかっても語れるようにならない。今語れないのなら、一生語れないのだろう。
印税だけではない。沖縄基地問題しかり、偽装請負しかり。
今の日本人は、語れないことがどんどん増えていっている。
改革とは、語れない問題に光を当てていく作業である。国民を啓発し、目を背けていた問題に直面させ、意識を変えていくことである。
それが今の日本人は、語らずにいれば一生問題に直面せずにすむと思っているようである。脳内お花畑もいいところである。
問題と向き合わなければ、前回記事のメキシコのようになるのである。こんなふざけた社会は崩壊するのである。
その危機を回避するために時には命を賭けて取り組む気概が、今の橋下氏からは微塵も感じない。今のままなら不可能だろう。

橋下氏のツイートに、「ぜひ国政へ!」と入れてくる人達を私は好んでいないが、今まではそれも必要だと思っていた。政界を一度は引退した橋下氏が政界復帰するには、そのくらいの同調圧力が必要だから。
しかしそれももはや不要である。橋下氏が政界復帰に失敗することはない。そうなれば維新の同調圧力はうざいだけである。
今維新や橋下氏に必要なのは、たかが検査拡大の時期を逃したくらいで非難を全力で回避することではなく、腰の落ち着いた議論をすることである。何かもう手遅れのような気がするが。

www.sanspo.com

こういうことを止めるために沢尻エリカカルロス・ゴーンを擁護してきたのではないのか?
吉村知事は理解を求めているが理解しない。当面維新は支持しない。

山口真帆についてだが、最近の画像が全然出てこない。そこで

 

とツイートしたら、1日後に

 

こんなツイートが見つかった。画像とツイート送信時間から、私のツイートより三時間前であるのは間違いないように見える。
自粛感のある写真だが、右頬の赤が気になる。
気になったので、大ちゃん・だーのツイッターを見てみた。

 

 



 

 



 

 

このツイートは別に4月10日に山口が紀伊国屋にいたということではない。自粛の中でこんな企画は出来ないだろうし、そんなことをしたという情報はない。
それにしてもなぜこの人はNGT卒業後の写真を何枚も持ってるの?

 

多くの人はファンクラブからだと思うが、こういう明らかにNGT時代と思われる写真で満足しているのである。山口が自分の意思で投稿した写真は

 

おそらくこれが最後である。
大ちゃん・だーだけが、最近の山口の写真を手に入れている。それは4月19日までそうだった。
なぜこんなことをするのか?
NGT卒業後の山口の写真のストックはおそらくまだある。しかし出したくないのである。軟禁しているから。そして山口に写真を撮られるのを拒否されているから、
そりゃそうだろう。写真を撮られて軟禁を長引かせる協力など誰がするだろうか?つーか4月19日の右頬は殴ったのをごまかすためじゃないの?
そして写真を小出しにして、軟禁を続けたいのである。何ヵ月でも。

「プリンス」は頭が悪い。
去年の山口いじめが「プリンス」と繋がる可能性など全くなかったのに、自分で勝手に動いて、山口が「プリンス」を潰せるところまで自分で持っていってしまった。
そして山口を潰すためにNGTに犯人と和解させた。全く頭が悪いくせに自分が破滅するのじゃなくて人を破滅させようとは質が悪い。
もし山口が死んだりしたら死因なんか関係ない。俺が「プリンス」の名前を意ってやる!!
NGTは犯人との和解を破棄して裁判やり直せ。
2日でやれ。「プリンス」。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

人を殺さずに日本人が現実感覚を持つのは不可能

反対に、プロ同士の交渉では、お互いに絶対に感情的にはならないし、無駄な話もしない。なぜなら、双方の要望・譲歩がきちんと整理できており、お互いに譲歩のカードを淡々と1枚ずつ切っていく作業に徹するからだ。一方が1枚切ったら、他方も1枚切る。そうやっていくと、感情的にならず、無駄な話もせずに交渉がディール(成立)する。

 

president.jp

こんなことを言うくらいなら、敵対的交渉など最初から言わなければいい。

『魏武捉刀』という故事がある。
魏武とは曹操のことである。
曹操匈奴の使者と謁見するにあたり、自分が醜いのを気にして崔季珪という者を自分の代わりにして、曹操は刀を持って謁見に望んだ。
謁見が終わり、間諜を使って使者に「魏王はどうだった?」と尋ねさせると、
「魏王の見た目はとても素晴らしく、他に類のないほど立派でございます。しかし、牀頭で刀を持っていた人、あの人こそが英雄でしょう」
と使者は答えた。
曹操はこのことを聞いて、部下を送ってその使者を殺した。

史書としての『三国志』ではともかく、民間で曹操はこのような人物として語り継がれてきた。
優れた人物だが狭量なところがあり、特に自分の心を読んだり、自分の劣等感による行動に批判的なものがあったりすると、それが曹操を正当に評価したものであっても殺してしまう。
そしてこのような民間伝承に共通しているのが、曹操は自分に生殺与奪の権利があると思っていることである。

レイプツリーというのがある。

leisurego.jp

メキシコの麻薬カルテルがレイプした女性の下着を木に吊るしている。
原因はアメリカが麻薬の流通を減少させるために仕掛けた軍事介入だったが、麻薬関係者を次々と摘発しても報復行動が収まらず、女性市長を殺害したりするという殺人行為に及んだりしている。レイプツリーもそういった恐怖支配のひとつである。

殺人とは残虐な行為であり、ない方がいい。
一方日本では、殺人事件は私は件数は増えていると思っているが、世界と比較しても未だに少ない。
日本は安全な社会であり、世界と比べてもいい国だ、と思う人が多いだろう。
しかし私は、さすがにメキシコと比較する気はないが、「人を殺さない」日本社会が良い社会だとは思わない。

この国が人を殺すことが少ない国なのは、「殺さなくても支配出来る」と思っているからである。
そういう思い上がった者と会話しても全く会話が成立しない。
相手を論破していくと相手は逃げるようになっていくが、それで相手の意識が変わることはない。逃げることが自分が「上」であることの証明なのである。

要するに前々回と同じ「勝頼病」なのである。自分が「上」だというのを誤認と逃避によって行うので、人を殺す必要がない。
その代わりヒエラルキーが固定される上に、世間にはびこる思潮が全て現実逃避から入ってしまう。
集団が現実逃避の思潮を生み出すため、その思潮に反論しても反論が拡散されることはない。

人を殺すのは、人間の支配欲を大きく満足させるのは確かである。
しかしチンギス・ハンやナポレオンのようなサイコパスじみた大量殺人を行う者でも、魂を支配出来ない者が存在すると思うほどひどい勘違いはしていない。
「人を殺さない」者は、魂を支配出来ない者に対して「俺はこいつを支配出来る」という勘違いを何度も起こし、失敗してもそれを認めずに現実認識の方を歪めていく。
人を殺す方がよほど健康的ではないか?

山口真帆は現在、ネットへの接続が著しく制限された環境に置かれているようである。一時は山口はネットへの接続が全く出来ないようにされていたと思うが、研音はそれが無理だと判断したのだろう。
その代わり、山口はネットへの接続が許可されてもファンクラブへの接続がほとんどで、山口個人のアカウントであるツイッターやインスタグラムへの接続が許可されるのは稀である。
研音は山口ファンを研音経由での情報に触れさせることで、飼い慣らしを図っている。ファンが研音に逆らえないと判断した時に、山口を芸能界から永久追放するつもりである。山口ファンは心を強く持ってね。
この状況を打開するには、ヴァーナロッサムが犯人との和解を破棄して、山口と犯人の関係が否定されるまで裁判を続けるしかない。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

三浦さんは俺の著作権を奪おうとしてるの?

立花孝志氏、都知事選出馬。
いや~立花さんが維新の妨害のためにここまでしてくれるとは思わなかったwww。

もちろん、歴史学者からすれば、乱暴だと思う向きもあるでしょう。社会の習わしそのものが時代によって異なり、作られてきたものなのですから。いったん形成された社会の統治原理は変化しうるという視点は重要です。しかし、いま形成されているものを一括りにする若干の乱暴さをお許しいただいて、あえて言い切るならば、いまの日本社会には表の民主的な統治原理だけでなく、裏の統治原理があります。日本の統治原理の本音と建て前といってもよいでしょう

 

bungeishunju.com

あ~やっぱり三浦さん怒ってるwww。
何しろ建前と本音というのは俺が憲法に関することでよく使ってたからと思ったらあれ?ないwww。
と思ったらこれだ。

野党支持者でも安倍政権擁護者でもない者達の登場 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

護憲が建前で改憲が本音というのは自分の中で当たり前になってただけで書いたのはこれが初めてだったけどどっかから圧力がかかって書き直したんだ。何年も前から書いてた気になってたwww。

気になったといえばこれ。

f:id:sakamotoakirax:20200411011252p:plain


上のツイートが1日たってるのに、下のツイートが18時間。
つまりこれは自分のツイートをリツイートしたということだ。
ならばもう一件ツイートがあるはずだがそれがない。削除か非表示になっている。
念のためにネカフェに行って確かめてみた。

f:id:sakamotoakirax:20200409200948j:plain


文春記事のツイートは4月5日扱いだが、下のツイートと1日違う。
しかしこれじゃ証拠にならない。4月6日6時投稿とあるので、

f:id:sakamotoakirax:20200411012853p:plain

 

この2つのツイートの間にもうひとつツイートがなければならない。なんでないんだろ?

そこで、次回は本音と建て前が食い違うなかで、一つのイシューに関する価値観がどのように変化したり、変わらなかったりするのか、について考えたいと思います。

 

ってことは「圧力をかけられた」ってのも俺がそう思っている以上の話じゃないんだけど三浦さんは「圧力をかけた人」と繋がってるの?そして俺の著作権は今実質ないんだけど、合法的に著作権を奪おうとしてるの?

さて山口真帆の件。
NGTと犯人の間に和解が成立したけど、山口と犯人に関係があったかという点は予想通り抜けた。後々山口を潰すためにね。

news.nifty.com

https://megalodon.jp/2020-0330-0242-02/https://news.nifty.com:443/article/entame/showbizd/12151-612043/
こんな記事を

getnews.jp

https://megalodon.jp/2020-0327-1647-41/https://getnews.jp:443/archives/2466812/gate
から2日くらいであげてくる。脈々なんかどうでもいいんだ。とにかくどんな手を使ってでも潰したいから。
去年の山口いじめは目的不明ながら政府の陰謀なのは明らかで、自分達のために利用していじめて邪魔になったから潰す。それをしようとしている。

sskdlawyer.hatenablog.com

師子角さんもそろそろ政府はその気になればいくらでも法律無視してくるってわかった方がいいよ。次に同じことがあった時、師子角さんでも山口を守れないよ。
そして研音は相変わらず山口に仕事させる気ゼロ。
そんなんだから今度は「プリンス」が山口潰しに暗躍してるって噂になってるよ‼️

橋下氏の強烈な一手に対する、れいわの対抗策とは?

 

おーハシモッちゃん生き返ったかwww。良かった良かった。

今回も諸事情によりサブブログ更新は見送ります。

WHOがパンデミックを宣言し、各国が不要不急の外出の自粛要請、さらに移動制限などの過激な対処に走る中で、経済の窒息が懸念され、同時に大規模な経済政策を行うようになった。日本もその煽りを受けて、消費税減税、税額控除、さらには現金給付とエスカレートしていく中で、



 

ええ~!!



 

いやこれだと低所得者は大助かりだけど、中間層以上は毎月返済する羽目になるよ?
今回メインブログを更新した理由はここにある。いわば緊急提言のようなものである。
基本維新支持者の私も、今回は維新を支持して書いているのではない。しかし結論から言えば、今回は維新の圧勝である。

新型コロナウイルスの蔓延が話題になった時、私は致死率に最も注目した。
元々SARSが流行ろうがエボラ出血熱が流行ろうが意に介さなかった私である。私の半生はその時に生き残ることで精一杯で、感染症などに関心を持つ余裕がなかった。
今回、それほど危機的な状況にないので、この騒動に関心を持つ余裕が出来ている。そして致死率を見て「自分が死ぬことはない」とわかった。
体は健康だし、40代半ばなら感染して死ぬことは先ずない。
実家と絶縁している私にとっては、家族と失って悲しみにくれる家庭崩壊していない者達に歪んだ感情を持っていて、あまり同情する気になれない。
結果、しばらくの間「死なない」以上に自分にとって関心を寄せる対象がなかった。
コロナに対する政治家達の発言を見てきたが、感染症のような危機管理に対し意見出来るような勉強などしていない。この点、自分はパンピーにすぎないと思い知るしかなかった。
そしてWHOがパンデミックを宣言し、大規模な経済政策が叫ばれる中で、私の中で経済政策が第二次世界大戦統制経済を連想させた。
大戦中の統制経済が戦後の年金制度を核とした各国の経済体制の元となったのは有名な話である。そうなれば、これまでの規制緩和や、国際競争力をつける話などは大きく後退することになる。
ここで初めて、私なりのコロナ騒動への関心が生まれた。それはこの騒動がいつまで続くのかということである。そして「感染経路がわからない」としばしば言われる点に注目した。
理由はすぐにわかった。

2019新型コロナウイルス - Wikipedia

このウイルス(中国内外の103例)を北京大学など中国の研究チームが遺伝子解析した結果、コウモリ由来のウイルスに近く古くからあるとみられるS型(全体の3割)と毒性の強弱は不明だが感染力が強いとみられるL型(全体の7割。武漢市の流行では大半を占めるが、市外の流行では現在は減少傾向にある)という塩基配列の異なる2つの型に分類できることが分かった。

 

とあり、さらに感染経路にはエアロゾル感染があることが確認されている。
エアロゾルとは、飛沫よりも小さな粒子のことで、霧や靄に近い状態のことである。新型コロナウイルスは、室内で三時間程度エアロゾルの中にとどまることが確認されている。
3月にアメリカでエアロゾル感染が確認されたというが、3月のいつだろう?3月9日には、専門家会議が対策を提示しているが、その中にエアロゾル感染は入っていない。
エアロゾル感染の確認が3月でも、可能性はもっと前から指摘されていただろう。そうでなければ、武漢の封鎖などはあり得ない。
ここまで調べて、治療法が確立されない限り、人口の大部分が感染して抗体持ちにならない限り、パンデミックは収束しないと結論づけた。

そこに新型コロナへのワクチン開発の時期が特定される報道が飛び込んできた。

www3.nhk.or.jp

ワクチンは来年の早い時期までには完成する。
それから全国民にワクチンを接種するまで多分3ヶ月程度、つまり来年の半ばにはこのパンデミックは終息する。このタイムテーブルが変動することはほぼない。今の競争力重視の経済論調から統制経済型に移行出来るかどうかは微妙である。
さらに従来の治療法よりアビガンが効果が高いとの報道。

toyokeizai.net

これで新型コロナによる致死率は飛躍的に下がる。

こうなると、今まで言われてきたことが何だったのかが気になる。

 

橋下氏が最初にピークカットについて主張した時は、感染状況は3月の下旬には下降線に入っているということだった。
これは、経済と感染による危機管理を天秤にかけた上でこのように主張したのだと思う。
ホリエモンが叩かれているが、ホリエモンは「楽観論」を担当したと私は見ている。治療法が早期に確立された場合に、経済を早めに元に戻すためである。
エアロゾル感染を専門家会議の意見に取り上げられなかったのもそのためである。
現金給付の要望に対し安倍政権が「布マスク2枚」というとんちんかんな対応をして、ようやく現金給付に踏み切ったが、実は迷走しているように見える安倍政権の日本が、各国に比べ致死率も少なく、経済政策でも一番金がかからない対応になりそうである。
さらにイタリアからは、感染拡大がピークを越えた可能性ありとのニュースが入った。

www.afpbb.com

武漢も4月8日に封鎖が解除される。終息の目処がたったからである。
こうして、オーバーシュートからピークを越えて収束に向かうまでのデータが揃いつつある。
日本で感染者数が少ないのは、PCR検査を受ける人数を絞っているからだが、それは感染しても自宅療養で治った者が相当数いることを意味する。
おそらく日本のピークは5月から夏くらいだと思うが、日本では抗体持ちが相当増えていると推測出来るため、ピークは各国よりずっと低いところになると考えられる。
そしてピークから収束までを試算することも可能である。おそらく最初のデータは政治的意図山盛りのデタラメだがwww、徐々に正確なデータを政府は出してくるようになるだろう。

さて、ピークを3月下旬だと言った橋下氏だが、ピークは感染者が相当に増えないと迎えないはずである。



 

知ってたんじゃねーかwww。

そして最初の橋下氏の生活補償政策について。
無利子とはいえ、中間層以上は毎月の返済を余儀なくされ、低所得者層が得をする。こんな政策が受け入れられるのか?
受け入れられるのである。
今、中間層以上は傷ついている。
年金問題では派遣と親に冷たかったために消費税増税に反対し、高齢化社会への対応を遅らせた。
企業からはリストラの対象とされ、非正規との能力の違いも示せない。
国際競争力のある製品や産業を産み出せない。中間層は今や、自分達のステータスの根拠をほとんど見つけられないのである。
しかし低所得者層が返済免除で実質現金給付されるのに対し、中間層以上が無利子で借りた金を返済することで、失った誇りを取り戻すことができるのである。
そして誇りを取り戻した中間層は、今まで目を背けていた問題にも目を向けることができるようになる。
今まで国民が犠牲になることができるように、橋下氏はずっと「教育」をしてきた。
去年の水害では、ダムよりも河川の流れを改善する治水工事の方が有効だと主張した。この治水工事は金と時間と労力がかかり、しかも下流から治水を進めなければならない。下流の治水が終わらない間は、上流が犠牲になり続けると。
中間層以上は「上流」なのである。「上流」として犠牲になり続けることで誇りを取り戻したいと思い始めている。
橋下氏の「教育」だけではない。大企業のリストラのニュースに、時に目を背け、時に注目することで、人々が受け入れる心構えを作り続けたのである。「次は自分の番だ」と。
維新以外の党が支持者の利害を守る態度を取り続けるならば、次の衆院選以降、維新に票をごっそり持っていかれる。
低所得者層のみを支持層とするれいわは、何もしないであぶく銭が入ると支持者に思われる。何も対処をしなければ、一番打撃を受けるのはれいわである。

維新の政策に対処する手は、れいわには3つある。
ひとつは、休業などの措置は要請でなく指示するべきものとし、その場合には補償をすべしと一貫して橋下氏は主張してきた。これにより同調圧力的な手段は後退し、権利と義務が一体のものだと強調された。この路線を他の分野にも広げること。
ふたつ目は、去年の参院選の時のように、一定の所得のある者は障害者といえども特別扱いされるべきではないと維新が主張する可能性についてである。この場合、維新支持者の自己犠牲精神は差別心とセットになりやすい。れいわは障害者などのマイノリティに対し、マイノリティはマイノリティであるだけで援助を受ける権利があることを強調すべきである。
3つ目は、タブーについてである。
「派遣」という言葉は政治用語、それもタブー視された政治用語である。人々は派遣の問題を直視しないから、「非正規」「氷河期世代」という言葉でごまかしてきた。
れいわも私の知る限り、「派遣」をまともに取り扱ったことがない。
「派遣」の問題に踏み切るのは勇気が要るだろう。しかしその最初の壁は、維新が取り払ってくれるのである。勇気を持ってれいわは「派遣」の問題に取り組めば良い。
この3つが出来た場合、れいわだけが維新との差を縮めることができる。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

「勝頼病」

 

何言ってんのかわかんねえwww。

個人的都合により、サブブログは来月に更新します。

東京都知事選、小池百合子現職知事の対抗馬は三浦瑠麗氏だと思う。
文春での連載で「新しい政党を作りませんか」と言っていたのに、一向に政党を作る気配がない。
政党を自分で立ち上げるような人ではないと思っていたので、どうやら維新に入党するんじゃないかと思っていたが、1月に都知事候補に山本太郎氏の名前が出ていたので、これは三浦氏のダミーだとピンときた。無所属で出馬し、都構想までの間に維新に入党するんじゃないかと思う。箔という点で歴代都知事に見劣りしないしね。
「現実政治に加わりたくない」と最近言っているのはおそらく誰かが「都知事選に出るんじゃないか」と勘繰っているからで、誰かにそう書かれたのを気にして取り止めない限り都知事選に出るだろうwww。
中学時代、私が風邪を引いた時、母親は私に牛乳を飲ませた。
すると下痢になった。母親は私にもっと牛乳を飲むように言った。
いよいよ下痢がひどくなり、医者に行かなければならなくなった。医者は「牛乳を飲まないように」と至極当たり前のことを言った。

家では昔秋田犬を飼っていたが、営業の仕事を辞めて実家に帰った時、母親に犬の世話をするように言われた。犬は13歳の老犬だった。
犬の世話の中には、毎日犬の体を濡れタオルで拭く作業があった。私は無職の間毎日やっていたが、犬の尻だけは拭かなかった。
「犬は2、3ヶ月に一度シャンプーすればいいんだ」
と母親は言っていた。
ところが3ヶ月経って「もうシャンプーしよう」と言っても、母親は「まだだ」と言ってシャンプーしなかった。
5ヶ月ほど経って、犬の尻に蠅が集り卵を産み、ウジが湧いた。ウジは血管に入り込んだようで、歩行が不自由になりやがて立てなくなって3日で死んでしまった。
犬の飼い方については多くの情報があるが定説の無いものが多く、飼い主も判断に迷うことが多いが、「犬は2、3ヶ月に一度シャンプーすればいい」というのは2000年代半ばでもマイナーな意見である。しかしそれでも5ヶ月も犬を洗わないというのはない。
なぜ母親が5ヶ月も犬を洗わなかったのかについて、今の私にはひとつの推測がある。「もっとこまめにシャンプーしないと駄目だ」と誰かに言われたのだ。

これが私が

信長の戦い④~長篠 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた「勝頼病」である。
「勝頼病」は、事象への判断がヒエラルキーに基づくことの総称として私は呼んでいる。
「勝頼病」の基本的な症状は、批判を受けた時に自らのヒエラルキーが脅かされたと感じ、自らの言動の正当性を「証明」するために批判と逆に自らの言動を強化することとして現れる。私の母親は誰かから「犬はもっとこまめにシャンプーしなければならない」と言われたから、自分の言動を強化して犬をより洗わなかったのだというのが私の推測である。
この症状は

「成長体験」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

によって強化され、

忙しい部署に立場の弱い者を置くと仕事が集中する。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で示した労働環境のような社会的弊害をそこら中に生み出す。それでいて日本社会の安定性が高いのは、

共依存社会 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

事象への判断だから、対象は現実認識から道徳観念まで全てに及ぶ。
「勝頼病」は日本固有の病だが、もちろん全ての判断を日本人が「勝頼病」によって行っている訳ではない。リアリズムや真っ当な道徳観念に基づいて判断されている部分もある。ただ日本人の著しい特徴は、発言だけを見れば「勝頼病」発症者に全く見えない人も、ある特定の領域に対しては徹底して「勝頼病」による対応をすることである。それは問題が存在することを知らない、その問題による被害者の存在を知らないとする対応に大抵特化する。このような対応は左派によくある傾向である。その理由は

「反論しないで別のことを言う」人達 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、「勝頼病」の基本的症状で対応するのが非理性的だという程度の自覚はあるからである。
この対応はそのままその特定の領域に対して、「勝頼病」発症者が全くの無能力者であることを意味する。
別に何らかの優先順位によって特定の領域の問題を無視しているのではないので、一度無視をすれば半永久的に無視せざるを得なくなる。そして特定の領域に対して自分が全くの無能であることを、最終的には自覚する羽目になる。「勝頼病」はヒエラルキーによる判断なので、無能の自覚はそのままヒエラルキーの崩壊を意味する。

「勝頼病」患者の特徴、それはヒエラルキーによって形成されたものだから、あくまで自分が属する集合内でしかその判断が通用しないはすなのに、それを外部環境にまで適用しようとすることである。
司馬遼太郎の戦国ものの歴史小説で、負けた時の逃げ足の速さを誉めるこの時代の人々の姿が描かれる。
戦国の健全なリアリズム精神に触れる場面だが、不勉強ながら世界史で逃げ足の速さを誉める風習というのは見たことがない。
世界的には戦争で形勢不利の場合には撤退するのが常識であり、日本ではその常識が定着せず、リアリズムが根付いているように見える戦国時代でも、逃げ足の速さを誉める風習が無ければ戦略、戦術的撤退は常態化されなかったのではないかと私は考えている。
桶狭間では、今川義元は途中まではリアリスティックに行動していた。しかし

信長の戦い③~桶狭間 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、信長の意図が読めなくなった段階で信長を見下して休憩をとった。その油断したところを信長は襲撃した。信長は義元に「勝頼病」を発症させたのである。
長篠の場合はもっとひどい。
勝頼は、信長に対して自分が上位者だと思っていた。
しかし戦略的に不利な形勢に立たされたことによって、勝頼の怒りが爆発した。
なぜ勝頼が怒るのかと言えば、下位者が上位者に逆らうのは「悪」だからである。
よく考えてみよう。勝頼にとって信長は外部環境である。しかし勝頼はヒエラルキーによって判断しているのである。
上司が部下を本気で憎むのは、しばしば部下が上司を「してやったり」と鼻を明かすようなことをすることである。上司の失敗や無能を本人の顔前に突き付けるようなことは、上司にとって「悪」の行為なのである。
お分かりだろうか?長篠で勝頼は合理的な「善」と道徳的な「善」が自分にあると思っているのである。だから「勝頼病」発症者は、しばしば合理的にも道徳的にも「悪」を行う。その結果は、長篠に見るように武田軍団の壊滅である。
戦前の特攻隊も、このように行われて日本を壊滅させた。
左派は右翼の特攻隊礼賛を笑うが、自分達が被害者でなく加害者の系譜を引いていることに気付かない。
だから集団的自衛権日米安保を否定しながら、沖縄を半永久的に見捨てるという永続敗戦構造に陥っている。そして中国の脅威から目を背け続ける。特攻隊と同じ破滅願望である。
ここまでくると、「勝頼病」発症者に下位者だと思われている限り、話が全く通じない。交渉とは名ばかりで、「勝頼病」発症者は相手に「自分が間違っているとわからせる」作業としか思っていない。
よほど強力なカードを持って交渉しても、中には相手に「お願い」するように要求するアホがいたりする。相手に「お願い」させると、強力なカードより自分の方が優位に立ったと思うのである。そういうアホは最近流行りの橋下流交渉術の敵対的交渉も通用しないアホで生きている価値がないので私はそういう奴は人格を破壊した上でさっさと交渉を決裂させることにしているwww。
「勝頼病」発症者には下位者と判断した者に対する思い上がりがある。それは「俺はこいつを支配できる」という思い上がりである。何か根拠があるかというと別にない。単にヒエラルキーで判断しているだけである。発症者は支配できない人間の存在に根本的に無知である。
「勝頼病」発症者に甘い態度をとるのは禁物である。発症者はほんのちょっとしたことで相手が自分の軍門に下ったと判断する。軍門に下ったと判断されると、それまでかけてきたプレッシャーが発症者の中で「0」になる。これはヒエラルキーの問題で、「正義」の問題だからである。
また発症者は小さい可能性にどんどん自分を賭けていく。そのため争いがなかなか収まらない。

歴史的に見て、「勝頼病」から完全に自由だったと言えるのは織田信長一人である。そして日本人である限り、「勝頼病」からは逃れられない。
外国人に「勝頼病」がない訳ではない。しかしそれは別名「アイヒマン実験」と呼ばれるミルグラム実験が示すように、特定の状況でしか発症しない。また発症してもそれは道徳観念の歪みとして表れるだけで、現実認識は少なくとも大きくは歪まない。

他に「勝頼病」を少なくとも対外的に克服出来たのは、維新の元勲達である。つまり「勝頼病」の克服には、圧倒的な敗北の経験が必要である。
信長だけは、その高い資質で自力で「勝頼病」から自由になった。ただ理論上、「勝頼病」を信長ほどの資質がなくても克服出来る者はいる。それは最底辺に属する者である。下がいないから、「勝頼病」の発症のしようがないのである。しかし彼らは「犠牲になる」ように育てられているので、ほとんど自殺によって命を絶っており、未だ「勝頼病」を克服して生きていると判断出来る者を私は知らない。
もうひとつ「勝頼病」を克服する道は、

定言命法に達しなかった日本人 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように宗教でも哲学でも何でもいいから、定言命法を自分の中に作ること、いや正確には定言命法を見につけて、自分を含め「悪人でない人間は存在しない」こと、そしていかなる方法をもってしても、道徳的な悪を道徳的に正当化することはできないと思い知ることである。
啓示宗教は現在世界中を覆っているが、その始まりはモーゼが創始したユダヤ教である。
それはまさに「発明」だった。モーゼの「発明」により、世界史の戦争は死者が増加したが、啓示宗教の国の中ではより人が道徳的に振る舞うことができるようになった。

山口真帆ツイッターが3月16日から止まっていた。
3月22日までは山口が痩せただのSweetがなんたらというツイートだのよくわからない情報がネットに流れていたが、22日から26日までそれがピタリと止まった。
時々「#山口真帆ツイッター」の検索ワードで探してみるのだが、この期間にでたのが

f:id:sakamotoakirax:20200330015610p:plain


この画像のみ。
そして26日の山口のツイート。

 

桜を取った画像だが、昼に撮影したのに夜10時に投稿している。
投稿が頻繁なら、自撮りしてすぐ投稿するのが普通である。しかし山口のツイッターの更新頻度は低いので、タイムラグがあるのは不自然だと断定はできない。しかし、

getnews.jp

https://megalodon.jp/2020-0327-1647-41/https://getnews.jp:443/archives/2466812/gate
ってアホか‼️
いくら何でも「よくね?」ってコメントしただけの本人も写っていないツイートを記事にする奴はいないだろう。それにしても「よくね?」ってこれ、本当は山口不機嫌なんじゃないの?
以上から、このように推測する。
山口は22日か23日から26日の夜までにネットにアクセスできない所に軟禁された。そして研音は24日に山口の写真を撮ってネットに流し、26日に昼に撮影した写真を渡してツイートするように指示して山口を解放した。22日は私のブログの更新日である。
ええ~次期総理候補って冗談か本気かは読者の皆様の想像にお任せなんだけどこれは黒幕の存在の信憑性が俄然増して来ましたよ~!!

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

「利権分権構造」を崩す安倍政権

 

というがさてどうか。

安倍政権は3月2日からの全国の学校の休校を要請した。
この件については、現在賛否両論に分かれているが、約二週間経った今忘れかけていることがある。安倍政権が休校を要請した当時は「要請じゃ足りない」という意見があったのである。休校を実施しないところも出てくるというのだ。それが今になっては、休校が要請でなく指示であったかのような論調である。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

では、「学校の設置者」は国、地方公共団体、私立の場合は学校法人で、学校の設置者のみが休校にできるのに、「学校の設置者」が教育委員会になったり各学校の校長に一定量の管理権限が委ねられていたりする。
大体法律もおかしくて、教育委員会の権限に「執行」とか「設置、管理及び廃止に関すること」などという言葉が使われていたりする。決定を国や地方公共団体が行って教育委員会事務管理を行うというのならわかるが、「執行」、「設置、管理及び廃止に関すること」として教育委員会が学校の設置者だというニュアンスを醸し出している。学者や自治体も随分勝手な解釈をしている。なぜこんなことになるのか?
もうひとつ、今回の新型コロナウィルスを巡る国会審議で、政府にマスクの備蓄がいくらあるのかと質問されて答えられない場面があった。
「地方にはある」とは言えるが、「国にいくらある」とは答えられなかったのである。その後国の備蓄が確認できたのかという情報は掴めていないのだが、おそらく0ではないにしても非常に少ないのだろう。
国がマスクを備蓄するのは法律で定められていることである。日本は中央集権国家のはずである。それなのになぜ十分な備蓄が出来ていないのか?
中央集権による動脈硬化という論理ならわかる。しかし動脈硬化により血流が末端まで流れなくても、中央が采配を振るうことは可能なはずである。それができないようになっている。
ここまで言えばわかるだろう。日本は本当は分権国家なのである。ただし地方分権ではない。利権に「分権」されているのである。
日本の中央集権は「建前」である。集権された権力を法解釈でねじ曲げて利権に分散される。だから法解釈のねじ曲げによって地方にマスクが備蓄され、政府にほとんど備蓄されなかったのだろう。

日本の農業問題では、市場原理導入論の他に食糧自給率維持のための農業保護論がある。農業自由化に押されて、最近ではもう聞かれなくなった論だが、私の中ではずっと、農業自由化と農業保護を天秤にかけて揺れ続けていた。
しかしようやく最近、農業保護を止めて自由化すべきだという結論に至った。

lullymiura.hatenadiary.jp

にあるように、太陽光発電に最も有効な休耕地の利用が規制によってできない。
少子化する日本社会を支えるためには付加価値の高い製品開発による国際競争力の維持と効率的な社会に作り替えることが重要だが、日本には付加価値の高い製品を生み出すアイディアがほとんどないので、とことん効率的な社会を目指す以外に当面道はない。
食糧自給率の維持など、国際競争力を維持できる国が享受できる贅沢である。日本は競争によって農業人口を減らしてコスパを下げてやっていくのが、今は一番の選択である。
それなのに、休耕地さえ太陽光発電のために使えないという無駄が続いているのである。
「休耕地を太陽光発電のために利用する」というのは、「本来あなた方にとって損はない」という裏がある。
このロジックが通用しないのは利権があるからである。利権はしばしば非妥協的である。それは正論を認めてしまえば、利権が全て崩される可能性があるのを本能的に知っているからである。
そして利権を守るために、一見正論らしいことを言う。それは長い時間をかけてメッキが剥がれていくがメッキが剥がれた時には既に手遅れになっている可能性もなきにしもあらずである。

安倍政権は新型インフルエンザ特措法によらずに休校を要請したが、そこで要請に応じた「学校の設置者」達が、要請によって起こった様々な問題への対応を巡って政府を批判するようになった。
要請に答えるかどうかは「学校の設置者」の任意である。そして利権の本質は責任逃れにある。休校の要請による問題を安倍首相の「リーダーシップ」による責任に転嫁することで責任を回避しようとした。
そしてその責任の回避は、新型インフルエンザ特措法の改正を後押しした。改正新型インフルエンザ特措法は政府が休校を指示できるようにしたもので、この法改正により、改正前特措法によらない休校要請がより法的根拠に乏しいことがより鮮明になった。無法、横暴により批判を受け、最終的に支持率を回復するという、安倍政権のお決まりのパターンである。有権者が最終的に安倍政権を支持するのは、その者達が無法、横暴の中で生きているからであり、その中には当然利権に関わる者がいる。
そして安倍政権は危機の際にリーダーシップを発揮できる権力を構築した。この権力は利権を崩すものである。
今年に入って、安倍政権は新たな段階に入ったと私は見ている。今までと違い、利権に手を入れる傾向が強まったのである。
この傾向は、去年の秋くらいからの、ひとつの特徴を素地としている。それは今までほぼ一定の間隔で行われていたスケープゴートの吊し上げが行われなくなった、またはそれが行われようとした時に反論によって封じられる傾向である。この傾向を素地として、安倍政権はより改革的な政権になった。

山尾氏は改正新型インフルエンザ特措法の緊急事態条項を立憲主義に反すると言うが、立憲主義法治主義の上に成立するのではないのか?

検察の黒川検事長の定年延長の件もそうである。この件を法律違反として「三権分立に反する」と言う者がいるが、実に鬱陶しい。そんなに法律違反だと言うなら裁判すればいいんだよ!!全く三権分立を唱える者ほど、三権分立を理解していない。

www.cyzo.com

はタイトルは煽り気味だが、内容は良く読めば研音批判で、山口の売り出しに不熱心な研音のせいで山口の人気が低調しているという論調である。そりゃそうだよね。山口を潰すために山口を入れた研音さんだもんね。
研音がタラタラやってるせいで去年の山口いじめの黒幕が次期総理候補だって噂になってるよ?
大体山口のツイッターのフォローが未だに研音だけってどういうこと?何その「完全なる支配」?AKSの方がはるかにマシじゃん。どんだけ前近代的なんだよ!!

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

「仕事は気分でやるもんだ」

朝会社に行くと、「朝一番に気合いを入れろ」と言われる生活を、若い頃は続けてきた。
営業の仕事で、言われた通りに「朝一番に気合いを入れ」続けてきたが、それ自体は非常に辛かったし、気合いを入れようとしても気合いが入らない日もあった。
あくびをすれば注意され、顔を見ては「眠そうにするな」と言われる。「仕事にメリハリをつけろ」と言われるが、メリなど全然ない。
今は違う。眠そうな顔で会社に行き、朝礼中にあくびをしようが全然気にしないwww。朝一番から完全リラックス状態で、作業が遅れそうになって「もっとスピード上げなきゃな」と思ってスピードアップして対処。それで大抵問題はない。
そう思うようになったのは、

自己肯定感がない人間は効率的な仕事ができない。 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、大抵の人が「最適解」を持っていないと気付いてからである。一緒に働いている人が無理な指導や段取りをする。機械が止まらない連続稼働なので、限られた時間で高い集中力とスピードで作業をしなければならない。
そういう時にはやる気を無くすwww。
やる気を出して「これが出来ないのは自分の能力が足りていないからだ」などと思うと無理をしようとして失敗する。
ある程度作業に熟練していれば、「こんなのできる訳ねえ!」と思いながら仕事をすると、案外うまく出来てしまう。
「それでもさらに無理をさせてくれば?」と聞かれたら、「失敗する」と答える。それでいい。「どんなやり方をされても失敗してはいけない」責任なんて誰も負っていない。

好きじゃないものを強要されると、人はそれを努力と感じてしまう。たとえば、会社組織で、社員が努力しないと回らない会社と、ダラダラやっても回る会社があったとしたら、きっとダラダラやって回る会社のほうが安定する。徹夜してどうにかクリアしたとしても、それを毎週やってくれと言われたら、いつか倒れてしまう。

 

headlines.yahoo.co.jp

ひろゆき氏は言う。ホリエモンは「楽しいことだけをしろ」と言う。
昔はそんなことを言われても、「そんな楽しいことだけやるなんて無理だろ」と思っていたが、今は完全に納得できる。
2、3年前までは、ホリエモンをゴリゴリに冷酷な合理主義者だと思っていたが、今は違う。非常にヒューマンな合理主義者だと思う。ホリエモンのように徹底して言い切る者は、はてなにはいない。ベーシックインカムの導入まで議論され、人間が働かなくていい時代がくると言われているのに、仕事を辛いものだと思うなんて前近代的過ぎる。
まだ「楽しいことだけ」やって生きることは出来ていない。だからこそ言う。「仕事は気分でやるもんだ」

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。