坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

衆議院選挙に立候補します

「デフレを止める会」を立ち上げます。そして衆議院選挙に立候補します!
90年代は非常に豊かな時代でした。そして次の2000年代も豊かさを感じられる時代でした。
しかし2010年代は景気は良かったのですが、豊かさは今ひとつ感じられない時代でした。そして2020年代になって、日本は明らかに貧しくなっています。
なぜ貧しくなっているのでしょうか?私が無職だからそう感じるのではありません!コロナのせいといえばその通りですが、デフレが30年近く続いてるからです。
コンビニではペペロンチーノから野菜が消えました。ダイドーのデミタスは無糖や微糖はあっても、オリジナルのデミタスはなくなりました。
こういう内容量や品質を下げて、値段を据え置いて実質的な値上げをするのを「ステルス値上げ」と言います。2008年には1500品目で「ステルス値上げ」がありました。
他にも重大な問題があります。寿司や刺身、その他様々な形で日本人が好んで食べる魚、この魚が将来、日本人の口に入らなくなります!
メロという魚がいます。日本では銀ムツと呼ばれています。
メロは90年代には国際相場で3ドル前後でしたが、2019年には35ドル前後にまで上昇しました。ホッケはタイでは日本の3倍の値段で売られています。安いものばかり買い求めていると、日本人が伝統的に食べてきた魚が国国際相場で買い付けられなくなり、食べられなくなってしまうのです!
アニメ業界では「昔より精緻な絵を求められているのに、絵が一枚数百円なのは変わらず、スケジュールに追われてデジタル作画の勉強をする時間もない」とこぼすアニメーターもいます。このため資本力や技術力で勝る中国の下請けにさえなっています!
私は90年代、2000年代の日本を取り戻したい!
デフレが日本経済の最大の問題であり、この問題を解決するためには、賃金制度を大きく見直し、優秀な人材に高額な給料を支払えるようにするしかありません!また資産課税を行い、消費税を0にし社会保険料を引き下げて富裕層以外の生活の負担を軽くして消費意欲を高めなければなりません。
しかし、優秀な人材に高い給料を払えるようにするには非正規、低所得者層の幅広い理解が必要です。「高い給料をもらっても税金も多く払う」ことを、これらの人達に理解してもらわなければなりません。デフレによって「ステルス値上げ」があれば、真っ先にその被害を受けるのは低所得者層です。「できるだけ平等に」は正しいですが、給料の段階でそれをするとデフレになることを特に低所得者層に語りかけていきたいと思います。
よろしくお願い致します。

信長の戦い⑥〜信長は政治的な人間。

永禄12年、信長は「殿中掟」を足利義昭に提出したが、その中に「将軍は奉行衆に意見を尋ねたなら、その意見に対して可否の命令をしない事」というのがある。
従来、将軍は奉行衆の意見に口入しないのが不文律になっていた。
不文律というより将軍の心得というものだろう。つまりはおおらかさという美徳である。
それを信長は条文とした。心得としての不文律なら美徳になるが、条文とした場合どうなるか?将軍への侮蔑である。

上洛してから浅井·朝倉を滅ぼして義昭を追放するまでの信長の人生は非常にドラマチックである。しかしこの時期の信長は既に書きつくされており、私には書くことができない。
しかしその後から、信長の本質がより一層見えてくる。技術革新のリーダーとしての信長が否定されると、信長が非常に政治的な人物だというのが、この時期の信長を見るとわかってくる。

朝倉を滅ぼして越前を手に入れた信長だが、すぐに一向宗に国を奪われ、越前は「百姓の持ちたる国」になってしまう。信玄が死んでからこの時点までで、信長が手に入れたのは浅井領の北近江だけである。この時期の信長は、まだ一進一退の感が強い。
そして再び信長の軍勢が越前を席巻すると、4万人を虐殺するという苛烈な措置を取る。そして越前は柴田勝家触頭とし、前田利家佐々成政を与力としてそれぞれに領地を分け与える。また加賀の一部も切り取り、簗田広正に与える。
谷口克広氏は、信長は当初勝家より簗田広正を評価し、北陸方面の司令官は簗田に任せるつもりだったと分析する。しかし簗田は元々の身代が小さく、信長の期待する働きができなかったため領地を取り上げられ、勝家が北陸方面司令官となる。

武田信玄が死んでも急激な勢力の膨張が見られない信長の転機は、上杉謙信の死によって訪れる。
謙信が死ぬと、信長は越中に齋藤利治を派遣する。1578年、齋藤利治は月岡野の戦いで勝利し、越中の半分を手に入れる。しかし越中の半分は齋藤利治には与えられず、佐々成政に与えられる。

90年代の信長ブームでは、信長は中央集権的な国家を作ろうとしたと述べるが、信長の動きを見る限りそれはありえない。
明智光秀羽柴秀吉柴田勝家滝川一益という「四天王」を方面軍司令官とした信長は、この四人が征服した領地は全てこの四人かその与力に与えている。四人の司令官の征服活動によって、織田家の直轄領が増えることはなかった。
このように言うと疑問が生じる。なぜ齋藤利治には越中半国が与えられなかったのか?
齋藤利治は齋藤道三の末子である。信長は道三の女壻として、道三から美濃一国の譲り状を受けた。
しかしこの時期信長が家督を譲った信忠は、道三の娘の子ではない。この時期信忠は、実質尾張美濃の領主だが、美濃の主権者は信忠ではなく、潜在的には齋藤が持っているとも考えられる。
齋藤利治はおそらく、四天王と同じ将としての力量を持っていたと思う。しかし美濃に対する潜在的な主権者だったために、齋藤は優遇されなかった。それでもこの時期は齋藤の力が必要だったため、齋藤は越中に投入された。

この時期信長は信忠に家督を譲り、大納言、右近衛大将へと官位を昇進させるが、信忠も秋田城介になる。
四天王は明智光秀が日向守、羽柴秀吉筑前守、柴田勝家が修理亮、滝川一益が左近将監と、五位の官位である。家督を譲られた信忠は秋田城介で四天王より一段官位が低い。
主君であっても、官位が上の者に対しては命令できないのである。四天王に命令できるのは隠居の信長だけである。
織田家は信長が存在する間は家としての形を保っているが、家臣が主君の官位を超えた場合、主従関係は自然解消される。秀吉も家康も、そうして旧主との関係を解消した。
こうして、四天王は信長に与えられた権限の範囲で自由に征服運動を続けていく。

この時期から、戦での信長の立ち位置が変わる。
荒木村重の謀反がこの時期に起こるが、信長は出陣はしたものの、鷹狩ばかりをしている。
この前までは、戦場では信長は基本後陣であっても本陣を置き、その身は常に戦場にあった。しかしこの時期から、信長は戦場に出なくなる。この後信長が戦場に出るのは伊賀征伐と甲州征伐だが、どちらも「国見」で、新たに征服地となった国の視察をしただけである。やはり信長は自分で戦争をしていない。
このままでは、天下布武は四天王を中心に行うことになる。信長は自分が軍勢を指揮して天下を統一するよりも、家臣に征服運動をさせた方がいいと判断していた。
しかしこのままでは、織田家の直轄領は増えない。このままいけば、信長が天下を統一しても、直轄領は豊臣政権と変わらないくらいになっていただろう。
もっとも、この点は信長も考えている。武田を滅ぼした後、信忠に「天下を与える」と言っている。
秋山駿は著書『信長』で「まだ時期が早いだろう」と言っているが、信長の人生を精神的な面から捉えた誤解であって、本質はもっとドライな話である。つまり四天王が領地を取りすぎないように、信忠が手綱を締めるということである。この時期信忠は左近衛中将で、四天王に命令できる地位を得ている。

それでも信長が、家臣に多くの領地を得させようとしたことは間違いない。
日本の歴史では。大きな勢力に地方の勢力が臣従することで政権が誕生するのがスタンダードで、室町幕府がそのいい例である。
信長の政権は地方勢力を潰していくのが基本的なスタイルだが、地方の勢力を潰してその分家臣に大きく土地を与えれば、バワーバランスとしては同じである。つまり信長は、少なくとも一直線に中央集権を目指した訳ではない。ここが重要である。

信長は大納言、右近衛大将になって源頼朝の前例に倣ったが、将軍にはならなかった。将軍職は足利義昭がまだ保持している。信長は義昭を追放しながら、義昭から将軍職を奪わなかった。
そして官位を昇進させ、右大臣まで登る。また平氏を称し、源平交代思想によって天下を治める正統性を持とうとしたというのが通説である。
しかし私は思う。信長は「座りの悪い政権」を目指したのではないかと。
どういうことか説明しよう。日本の歴史において、人臣にして天下を治める正統性を得られる官職は摂関、太政大臣征夷大将軍の三職しかない。
摂政は天皇代理、関白は天皇補佐、太政大臣太政官の最高職、征夷大将軍は全国に守護、地頭をおく権利を持っている。この三職が天下を治めるのに「座りがいい」職である。
「座りがいい」というのは、本来天下を治めるといってもひとつの「イエ』が他の「イエ』を臣従させるのが基本的なスタイルである。しかし信長のように地方勢力を丹念に潰していかなければ、大抵は地方勢力が進んで臣従を誓い、天下の主がそれを受ける形で全国支配が進むのが通例である。
しかし地方勢力にも面子があり、「あの方は天下を治めるほどの地位にあるから俺が臣従するんだ』という言い分を与えなければ容易に臣従してくれない。逆にその言い分を与えれば、ほとんど戦争もなく全国支配が進む。単に官位が高いだけでは地方勢力は臣従してくれないのである。
信長が就任した右大臣は太政大臣左大臣の下である。そして実は太政大臣天皇の師父、つまり教育係という名誉職であり、実質的な太政官の最高位は左大臣である。つまり信長は地方勢力を単純に取り込まないために、あえて右大臣という天下を支配するためには「座りの悪い」官職を選んだのではないかと思う。
また信長が平氏を称したのも、源平交代思想によるものというが、これが根本から疑問である。
源平交代思想は一部でしか信じられていない。ただ歴史的にそれまで源平で政権が交代していたという事実があるだけである。
「源氏でなければ将軍になれない」というのはあった。『太平記』にもこのことが書かれているが、歴史的事実ではない。「源氏が将軍であるべき」というひとつの思想といっていい。
なぜこのような思想があるかというと、源氏に人気があり、平氏は不人気だからである。その理由は源氏が土地を多く武士に与えて、平氏が与えなかったからである。
平氏政権は全国の30ヶ国を知行国とした。その分分け前に預かった家臣は少なかった。
北条氏は本当は平氏ではないらしいが、平氏を称していた。平氏も執権、連署六波羅探題といった要職を一族で独占した。そして頼朝の子孫を断絶させ藤原将軍、皇族将軍を擁して政権を握り続けた。
そして元寇の後、全国の40ヶ国の守護を北条一門が占めるようになった。このように一門で土地を多く占めて、家臣への分け前を減らすから平氏の政権は不人気なのである。
源氏で土地を多く与えたので有名なのが室町幕府で、そのため諸大名への統制が弱く、歴代の将軍の二人が暗殺されるなど、常に政局は混乱していた。
つまり信長は平氏を称することにより、一見分権的な政権を作ろうとしながら、最終的には中央集権を目指していたと思われる。

信長が楽市楽座を行ったのは美濃加納など一部、それも基本都市である。信長が座を安堵した書状もある。信長の楽市楽座が不徹底だという研究者の批判の多くは、信長以前の戦国大名と比較しての指摘である。
信長までの楽市楽座とは、座の例外地のことである。つまり全国に座が存在するのが通常の状態で、戦国大名が「ここだけ例外にしてください」として一部で実施するのが楽市楽座である。また戦国大名は、基本座を通じて商業の税収を得ていた。そのため楽市楽座では無税である。しかし物価は安い。
信長は関所を廃止したが、畿内では関所は原則廃止されていない。その理由は、畿内では公家や神社の力が強いからである。
全国的な楽市楽座、関所の廃止は秀吉によってなされた。秀吉にそれができたのは、秀吉が関白だったからである。公家の最高職に就くことで、公家も武士も全て臣下にしたからである。
右大臣の信長では公家の全てを臣従させることはできない。それが信長が全国的な楽市楽座を実施しなかった理由である。
「座りの悪い政権」を選んだ必然の結果とも言える。ならば信長は、全国的な市場を作るという点では更新的だったのだろうか?

信長にとって、北陸はパイオニアである。
天正九年、信長の側近菅屋長頼能登七尾城代となり、能登の旧主畠山氏の家臣だった遊佐続光、温井景隆、三宅長盛を不穏分子として粛清した。また越中でも寺崎森永、石黒成綱が粛清された。
また武田征伐の後も、信長は北陸に「信長が死んだ」と噂を流し、謀反気を起こした者を粛清している。
柴田勝家を北陸方面の司令官にしたくなかったのは、こういう陰湿に地生えの領主達を殺していくところが勝家になかったからかもしれない。
一方、丹波、丹後の攻略を命じられた明智光秀は、「天下第一の功労」と信長に激賞されている。
光秀は丹波、丹後の2国だが、秀吉は但馬、播磨、備前、美作、因幡伯耆の6国を担当している。
明らかに光秀より担当区域が広いのに、秀吉は光秀ほどに賞されていない。秀吉が宇喜多氏のような大勢力を引き入れたことも、信長の秀吉への評価を差し引くことになっているのだろう。
光秀は筒井順慶を与力とし、大和国も管轄として「近畿管領」と呼ばれたりした。
大和国といえば、光秀の前は松永久秀の領国だった。
久秀は3度信長を裏切り、三度目の謀反の時も平蜘蛛の茶碗を献上すれば許すと言われたにもかかわらず、居城の信貴山城に爆薬を仕掛け、平蜘蛛の茶碗もろとも久秀は爆死した。
大和国は寺社の力が強く、鎌倉、室町を通じて幕府が守護を置けなかった国である。
信長が久秀を重用したのは、この強力な大和国の寺社勢力の力を削ぐためである。寺社勢力を潰せば、寺社勢力が管轄する多くの座を潰すことができる。しかし久秀は何度も信長に謀反起こし、最後に爆死した。「割に合わない」と思っていたのかもしれない。
このように考えると、光秀が本能寺の変を起こした理由も久秀と同じだったのではないかと思えてくる。

このように信長の後半生を見ていくと、実に政治的に改革を進めていく信長像が見えてくる。
単に地方勢力を潰すだけでなく、国人、地侍という在地の勢力もできる限り根こそぎにすることで、その土地のしがらみを排除していこうとしている。
そうやってできる政権は中央集権的ではないないが、「中央集権を志向する政権」にはできるのである。単に広い領地を治めるのではなく、その土地での支配力をできる限り強めようと手段を選ばずに在地の勢力の排除を行う者が、信長には多数必要だった。
こういう者は信長、織田家にとって危険な存在だが、同時に彼らも信長を必要とする。自らの行為を正当化するために信長の権威を必要とし、それが織田政権の中央集権志向を後押しする。
もっとも彼らはその偏頗な性格に自ら疲れ、その矛先を信長に向けた。しかしもし信長が生きながらえることができたなら、日本の歴史に中国の前漢やフランスのカペー朝のような奇跡を起こすことができたかもしれない。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

私の恥ずかしい話

もう10年以上前の話になる。
そこでも私は派遣で、ある工場で働いていた。そこで親しくなったのがMだった。私が30くらいで、Mは当時、確か26くらいだったと思う。
Mは気さくで人懐っこい性格で、何かというと「彼女が欲しい」と言っていた。
ある時Nは「あの子がいい」と言った。私が見てみると、その女性は怪訝そうな目をこちらに向けた。
(あまりいい印象じゃないな)
んと私は思った。
それからどういう経緯だったか、詳しいことは忘れたが、結論からいえば、Nはその女性にフラれた。
「ちょっと見ただけでああいう目で見るってのはさ、いい恋愛してないんだよ」
今ならこんな言い方は絶対にしないが、当時は私も世間一般の価値観に染まっていて、このようにNに説明してしまっていた。

それからしばらくして、Mに彼女ができた。
30過ぎの女性だった。一度私とMとその女性の三人で食事をした。
その女性は、私の前でNの髪を撫でたり、手を擦ったりしていた。

カップルが人前でイチャイチャすることについて~バーチャルとリアルは愛し合えるか? - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

を書いた私でも、当時眼の前でカップルがいちゃつくことに寛容だった訳ではない。
かといって目くじらを立てたのでもなかった。ただ思ったのは、
(この人結婚を焦ってるのかな?)
と思っただけだった。

Mはよく私に恋愛相談をしてきた。
今まで人から相談を持ちかけられたことなどなかった。その時私はどう思っていただろう?
今では決してそうは思わないが、そもそも私は、人に相談するのは愚痴をいうだけでほとんど無駄なことだと思っていた。だから当時から、人に相談されないことなど何とも思っていないが、それを寂しく感じる時はあった。そのため初めてのことに調子に乗っていたかもしれない。
何をどう相談されたかという具体的なことは思い出せない。なんとなく覚えているのは、Mに対して否定的なことを言っていたということである。「そんなんじゃダメだよ」というようなことも言っていた。
続いて思い出してきたのは、結婚についての相談もされていたということである。だから相談を受けていたのは、よくある結婚についての迷いである。先に述べたように、彼女は結婚を焦っているというのが私の考えだから、それを前提にしたアドバイスはしていた。だから端的に言えば、「もっと男らしくしろ」ということを言っていたのだろう。
「あーいいや、自分の考えでやるわ」とそのうちMは言った。私は面白くないと思っただけだった。

そのうち、Mと私の間に上下関係ができているのに気づいた。
ファミレスで、私とNともう一人の同僚と話をしていた時のこと。
Mは私のとなり、奥の席に座っていたが、Mがトイレに行って戻ってきた時、Mはとなりのテーブルに行き、ソファを跨いで私のとなりに戻ってこようとした。
「そんなことしなくても席立つよ。俺いじめてるみたいじゃん」
私にとって軽い驚きだった。しかしそれでMとの関係を見直そうと思ったのではない。

その工場には、私も気になってる女性がいた。
しかし部署が違うこともあってか、なかなか会えない。意気地のないことに、声をかけられずにその工場での就業は期間満了となり、別の工場に移転になってしまった。
(しかしMがいる)
私はMを通じてその女性とつながろうと考え、
Mに話した。
「OK、任しといて」
Mは言ったが、その後しばらく連絡がない。
(安請け合いしてやらないつもりだな)
「その件はどうなっているか」とMにメールを送ったが、Mは返事をはぐらかすばかりだった。
ある時、Mは追求されることに反発してきた。なんと言ってきたかは覚えていないが、要するに私とその女性をつなぐ件について断りを入れてきたということだ。Mは彼女と一緒にドライブをしていて、その途中でメールを送ってきたとのことだった。
(そうか、彼女と一緒か)
その時何と返信したか、思い出そうとしているが思い出せない。
「だからお前は結婚したいと思う彼女の気持ちを汲むこと彼女できないんだよ」
という意味だっただろうか。要するに私はMと彼女の仲を裂こうとしたのである。それももっとクリティカルにMと彼女の仲を裂く言葉を使ったはずである。
しばらくして、派遣会社の営業担当から、Mが他県に行ったという話を聞いた。

この話は、後悔しないことを信条に生きている私の数少ない、後悔した話である。
Mは私と女性の仲介をしないのではなくできない人間なのであり、それができないからといって彼女との仲を引き裂かれる理由にはならない。
また彼女が結婚を焦ってるからといって、私のいう通りにしなければならない理由にはならない。あくまでMと彼女の問題であり、私が指摘した問題以外の点がMと彼女の関係を保つ可能性だって十分あったのである。
私は自分に人間と人間関係を壊す能力があることは学生時代から気づいていて、30前までに不完全ながらも何度かその能力を行使していた。しかしそれは自己防衛のためであり、他人のプライベートに介入して自分の能力を使ったのは初めてのことだった。
(この能力は無闇に使ってはならない。自己防衛のためにも、必要かどうか十分に見極めないと)
この時はそう思ったが、すぐに

私の擬装請負体験① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた一連の事件に巻き込まれて、自分の能力をフルに活用することになった。

今に至るまで、Mには謝罪していない。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

戦争と平和を考えるマンガ④〜『キングダム』1.戦争は理不尽なもの

『キングダム』のことをかつて非リアリズム的手法と

『春の呪い』の「近親婚的なもの」と「罪の時代」の終わり - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、この作品自体、最初から単なる歴史ものとは違うイメージを、特に最初から前面に打ち出している。

f:id:sakamotoakirax:20210712035055j:plain


こんな絵を載せたりwww、南蛮の吹き矢の部族出身の刺客との戦いを描いたり、辺境の部族だから文明度が低いと思ったら断崖絶壁に豪華な建物があったり、人語を解さない人とも猿とも知れぬ者と戦ったりと、ストーリーの序盤は荒唐無稽、アドベンチャーな感じをプンプンさせている。
歴史もので戦争を中心に描く場合、『三国志』などのように人物を中心に戦争を描き、アドベンチャーは不要である。李信という人物は関羽張飛と比べても明らかに有名ではないが、本当に下僕だったからこういうストーリーなのではなく、このストーリーで伝えたいことがあるからである。

例えば穆公の話。
昔秦の穆公は、穆公の軍馬を山の民が食った事件があった時、山の民に馬肉に合う酒を振る舞った。それをきっかけに秦と山の民は盟を結んだ。しかし秦王贏政は秦人と山の民を分けるから争いが起こり、穆公のような王を輩出しても一時の安定をもたらすにすぎないと指摘し、全国境の排除を主張する。
また、人語を解さない化物ランカイに剣が通じないことで、壁から「剣を信じろ」と言われ、斬るのではなく突くことでランカイを倒す。これは「戦争を信じろ」ということで、平和主義へのアンチテーゼである。

従来の歴史ものならば、知略を用いいかにして犠牲を少なくして勝ったかが協調されるが、キングダムにおいては知略が否定されるような場面が頻出する。本能型と知略型という分類もまた単純な知性を否定する分類である。その最たるものが麃公と呉慶の戦いである。
麃公は本能型の極致と言われるほどの将軍で、戦には強いが無駄に犠牲を出すことも多い。その麃公が魏の呉慶の知略を打ち破っていく。

f:id:sakamotoakirax:20210711192559j:plain


と王騎は言うが、「戦は武将のもの」とも言う。
それに反発した壁が「自分達も戦っている」と独断で行動する。しかし王騎は「誰を犠牲にするかは麃公が決めている」と壁の誤りを指摘する。
壁は挟撃されそうな麃公軍を救出するため、100人の兵で魏の左軍と麃公軍で挟み撃ちにする。「麃公軍は王騎軍より強い」という王騎の言葉を信じた壁独断で動いたが、大局を決めているのは武将である。壁の行動も、麃公の存在あってこそ光る。命令に忠実だろうと時に独断で動こうと!将が名将である限り部下は将に信を置かなければならない。
追い詰められた呉慶は、撤退することなく麃公に一騎打ちを挑む。個人の武力では呉慶は麃公に敵わないが、麃公は呉慶を知るために敢えて一太刀受ける。

f:id:sakamotoakirax:20210711201950j:plain


呉慶は魏の東にあった甲という国の王族で、甲は趙に滅ぼされた。呉慶は家族を失い、名を変え顔に墨を入れ別人となり、魏に赴いて信陵君の加護により名を取り戻した。
魏を第二の祖国とした信陵君だが、国を滅ぼされた記憶が侵略者への怒りとなり、撤退すべき局面と理解しながらもそれをせずに麃公に一騎打ちを挑んだ。
麃公はそれを一笑に付し、「将ならば敵軍にどうやって勝つか、それ以外に心囚われることはない」と言う。

「燃ゆる城を見て悟ったことがある。この世にはおよそ人の考えうる正義が全く通じぬ強大な力があるということだ。今我にとってのそれは麃公。当たらば必ずこちらの身が滅ぶ」
呉慶は知略と理性を同一と見做したい人物である。『キングダム』が「寡兵をもって大敵に勝つ」ことなく、多くの犠牲を払って勝利する場面を多く描くのは、「寡兵をもって大敵に勝つ」の考えが安易に理性と結びつくのを防ぐためである。一方本能型の麃公は理不尽を表現する存在である。結果のみが求められる時、知略も理不尽もそれ自体には優劣のない同等の力である。
信は王騎に戦いを教わるが、王騎は秦の六大将軍の最後の生き残りである。王騎が死に、王翦と桓騎が時を置いて大将軍になるが、この二人もまた理不尽を表現し、野盗出身で略奪や戦争以外での殺人はお手のものの桓騎にそれが強く現れているが、王翦は桓騎の裏の顔と言ってよく、理知的に見えて内面は理不尽である。
王騎を殺したのは龐煖だが、龐煖は無制限な成長を否定するために作られたキャラである。どんなに体を鍛え、どんなに武技を磨いても傷つく時は傷つき、負ける時は負ける。誰と戦っても勝てるようにはならない。少なくとも体を鍛えるだけでは。
どんな状況でも勝てるようになるにはマンガ『ドラゴンボール趙』の「身勝手の極意」のような悟りの心境が必要で、龐煖の求めていたものに答えるとするならばそういうものになるだろう。

古代史、神話中心のブログhttp://sakamotoakiraf.hateblo.jp/もよろしくお願いします。

今後のブログの方針について

私のブログは、社会的な記事は主に2000年代までの読書がベースになっている。
特に新書ブームの影響が大きく、私としては新書ブームの傾向が発展する方向になるのを期待してブログを書いてきたというのが本音である。

問題は、私が顔期待したようにならなかったことである。
これまで、日本の歴史は精神的な断絶のない連続的なものだった。連続的というのは、戦前から戦後への移行ですら断絶は存在しないということである。
それが、2021年を境に本当の断絶ができたようである。
断絶とは、過去と切り離されたということである。
youtubeでもビジネスや自己啓発の動画がうける傾向にあり、社会学的なアプローチはそんなに流行らない。
こういう状況で、社会的な記事に重点を置く今までのブログ運営に限界を感じた。
それで方針展開するのだが、正直なところ勉強が追いついていない。そもそもブログを始めて7年間で、平均年一冊本を読んでいたかさえ怪しいwww。
ただおおざっぱな方向性としては、過去は振り返らない方向である。断絶が生じた以上、過去に自分のあるべき姿を求めていくのは得策ではない。過去を振り返るより今何をすべきかを考えた方がいい。何をすべきかを考える時、過去の自分との一貫性を求めるのが難しい時がある。そのような時に、過去過去の自分に固執するべきではない。
勉強が追いつかない分を他のもので埋めていくのだが、従来の歴史やマンガの方向性についても述べていこう。
後出しじゃんけんになるが、歴史については『のぼうの城』で歴史小説については限界に達したと感じていた。
歴史小説では戦国時代を中心に、特に織田信長が主役に取り上げられることが多かった。90年代には『武功夜話』という文献から多くのエピソードを取り入れた『下天は夢か』がヒットしたが、後に『武功夜話』が偽書だとわかり、『信長公記』を中心とした歴史研究が行われるようになった。その中で長篠の戦いの鉄砲三千丁による三段打ちが千丁の三段打ちでも一斉射撃でもないことが判明した。
他にも歴史研究は多大な成果を上げていた。
それでなぜ歴史小説が下火になると思っていたかといえば、ネタが尽きたからである。
求められていたのは歴史研究ではなく小説であり、ストーリーを作るには研究成果を元に壮大な構想を練らなければならない。
しかし歴史小説の中心の中心である信長は既に語り尽くされており、歴史小説家達は今まで語られなかった他の英雄を探し求めた。そうして九戸政実や成田長親といった人物にスポットライトが当てられた。その結果ネタが尽きた。
もっとも私は信長のような歴史の最重要人物を掘り下げることができないと思っていたのではない。必要なのは批判だった。信長への批判ではなく、日本の歴史と社会へのアンチテーゼとして信長を取り上げることが必要だった。私の歴史記事はそういう考えで書いている。そうそれができないから歴史小説は下火になると思っていたし、その通りになった。
私の歴史記事が日本の歴史と社会への批判そのものである以上、歴史記事だけは方針転換ができない。だから歴史記事のみ方針を変えずにいく。
マンガ等の記事については、批判的な書き方は可能な限り控えていくつもりである。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

「優しさ」とは何か

私はよく人の気持ちがわからないと思うことがある。
「人に優しくなりたい」と言う人がいる時、その気持ちがわからない。
人に優しくしないのではない。「自分の仲に優しさがあってそれを発揮したい」という風に聞こえるからわからないのである。そういう時「はたして優しさとは存在するのか?」と思ってしまう。

ある人の話によると、男は共感性が0らしい。
なるほど、これで「優しさ」と「共感性」が取り違えられているのがわかる。どうも世間一般に言われている「優しさ」とは共感性のことらしい。
ある人が辛い思いをしている時、その辛い思いと同じ感情が沸き起こるということである。私も辛い思いをしたことがない訳ではないのに、時が経つとその時の感情を少なくともそのまま思い出せなくて、薄情にも共感できなくなる。人に優しくするのは人が「優しくされたい」と思っているからで、共感でなく理解である。それでいいと思っているが、人には共感以外に接する方法がない時がある。子供に先立たれたとかそういう時である。幸いにも私にはそういう機会がほとんどないのだが、もしそういう機会に出会えば対処に困るだろう。
もっとも共感以外に接する方法がないということは、逆にいえば実質的にできることがないということだ。
もっともこういうこともある。

news.livedoor.com

この記事にあるように、「絶対に治るから」と言われても違和感を感じられてしまうこともある。人それぞれ環境が違うのに、気持ちが絶対にわかることはないと青木さやかは言っている。実際そうだろう。
そしてどんなに相手の気持ちになったつもりで共感しても、相手に違和感を与えてしまっては意味がない。そういう人はそもそも共感を求めていない。
結局は、その人に何をしてあげればいいかにつきると思う。がんのような重い病気の人ならただ話を聴くだけでもいい。見舞いの品を持って行ったらなおいいかもしれない。しかしそれで本人が喜ぶかどうか、一時でも気持ちが楽になるかは相手による。
「優しさ」とは何かの感情ではなく、こういう人に何かしたことの積み重ねの結果である。感情が「優しさ」だと思うと共感と直結してしまう。私は自分が優しいとは思わないが、優しくないとも思う必要はないと思っている。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

カップルが人前でイチャイチャすることについて~バーチャルとリアルは愛し合えるか?

日本人は欧米人のようにカップルが人前でキスをしたり肩を抱いたりということをしない。この問題について、どちらがいいかを私は長い間答えることができなかった。しかしネットの時代になり、私はこの問題に答えることができる。

ネットと3D技術の進歩により、バーチャルが持て囃されるようになった。
3D技術は当初の「不気味の壁」と言われていたものをいつの間にか克服し、観る者にリアルより高い快感を与えるようになった。このような技術の進歩により、バーチャルとリアルの愛が曲や物語などで作られるようになっていった。観たことはないのだが、映画『アバター』などでこうなることは予測されていたのかもしれない。
しかし日本で作られるバーチャルは多くは二次元、つまりマンガやアニメの延長として成立している。そのためリアルとの接点を持たない。これはリアルで愛し合うということをむしろ拒絶したものではないか?と考えることができる。

「それは人の自由ではないか?」と言われた場合、「その通りだ」とまでは私は言わない。バーチャルがリアルで愛し合うことを選択肢に入れて、入口として愛し合うならそれもいいが、二次元から入った場合、バーチャルがリアルに近づくということができず、リアルで愛し合うことなく終わる。というよりむしろ、リアルで愛し合うことを初めから諦めている。その不毛さをなんとかしたいという思いはあるが、しかし言っても変わらない。ここまで述べたことでは説得力がないのである。

ここでアンジャッシュ渡部の話をしよう。
例の不倫騒動で芸能活動を自粛している渡部は、一時期豊洲市場で働いたことがあるが、そこでも不倫騒動が尾を引いて働けなくなった。
そもそも不倫というのは婚姻という契約上の問題に過ぎず、他者が介入する余地は基本的にない。つまり不倫があった場合、夫婦間の契約違反として離婚に至ったり慰謝料を支払ったりする。当然刑事罰などはなく、社会的な罰もあってはならない。
社会的な罰はないが、人気の問題はあっていい。不倫により政治家が落選したりするのはいいということである。ビジネスの場合は微妙だが、不倫が原因で業績が著しく悪化する場合、それは基本的に能力で判断されていないという不当性があると捉えるべきだろう。
不倫に対する社会的な制裁があってはならないのは、この例でいえば、浮気をされた佐々木希は別にこの件で離婚していないからで、社会的制裁により被害者にさらなる被害が加えられているからである。被害者が報われないなら制裁に意味はない。このような無意味な行為が正義であるかのように行われている。

それではカップルが人前でイチャイチャすることについてはどうか?
別に法律は禁止していない。性的な法律上の禁止行為は未成年との淫行や猥褻物陳列罪、そしてあくまで民事上の契約違反という意味での不倫であって、これらの法律の底流にある思想が、カップルが人前でイチャイチャするのを禁止する方向に派生するとは思えない。
「法律はそうでも慣習としては」と思うなら、それは法と慣習に対する捉え方が間違っている。法と慣習は限りなく一致していなくてはならない。法と慣習が分離している場合、法の根底にある思想が慣習を打ち破るか、慣習が法に打ち勝って法改正されるかのどちらかである。法と慣習が分離していていいと思う者は何か意図があってそう思っている。
例えば、今のコロナ禍でワクチン開発が遅れたり、全ての店舗を夜8時までの営業にしたり電車を減便したりして通勤ラッシュがひどくなったりするのは、その人のしたことがその人に返っているからである。
ならばカップルがイチャイチャしてはいけないというのはどうかというと、そのカップルのどちらかに片想いをしている人がいるということはざらにあることである。それがわかっていれば、あるいはその人の前でカップルはイチャイチャしないという配慮をするかもしれない。
しかしその配慮が特定の人でなく、全ての人になされていて、それが常態化しているのが「人前でイチャイチャしない」という日本の慣習だとしたら?
ここで不倫について述べよう。
民法は一組の夫婦が添い遂げるのが最上としているが、そうならなくていいという意味で離婚がある。人は必ずしも最上の結果を出す必要はない。不倫については突き詰めれば「金で解決するように」ということで、逆に言えば金で解決すれば不倫をしてもいいととれる。このようになっているのは、理想の結婚が一度でできるとも限りないし、またそのような理想を放棄する自由もある。その多様さに対応しているのが民法である。婚姻については欧米と日本で民法上の違いがあると聞いたことはない。
それでも慣習は違う。ならば人前でイチャイチャさせないのは、いざという時にカップルに干渉するためではないか?

欧米では、夫婦は子供の前でもキスをしたりする。
また欧米では、子供が人のいるところで騒いだりすると「うるさい!」とだけ言って止めさせたりする。
日本では理由を諭す。「人に迷惑がかかるから」などと説明したりする。
欧米人が説明せずに子供をしかるのは、「子供は動物と同じだから」と説明しているのを見たことがある。そのように言われると、日本のしつけの方が正しいように思える。
しかし子供に理由を説明するべきだと思っているのは、理由がわかれば人は論理的な行動をするからだと思っているからである。実際にはコロナ禍でも人は少しも論理的に行動していないし、論理を教えられても中学校の強制部活動に従ったりする。
そのようになってしまうのは、論理的に説明しても子供の禁止事項の多くは「人に迷惑をかけない」で、結局は世間に従うことを教えてしまうからではないか?それならば禁止事項だけを教え、世間を教えないようにする欧米のしつけの方がいい。
また欧米の夫婦が子供の前でキスをするのは、子供といえども夫婦の仲を割くべきではないと考えているからではないか?

私の擬装請負体験⑫ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように、日本では恋愛に対する妨害が非常に激しい。しかもこの場合、別に片想いをしているなどではなく、供依存をつくるために恋愛を引き裂こうとしてくるのである。このような仲で恋愛をするのは大変、というより基本恋愛は成就しない。
夫婦が子供の前でキスをしたりして、子供の母親と結婚したいという願望を諦めさせ、変わりに父親を内面化するというエディプスコンプレックスは、パートナーとイチャイチャすることでパートナーを守るという思考を内面化されるという点でむしろ優れているといえるだろう。
日本の子供が母親に「結婚して」などと言うのは微笑ましいが、物心がついた時から配偶者がいるような環境は、パートナーを守るという点では未成熟なままで育ってしまうのだろう。

日本にも欧米にも不倫があり、別に欧米より日本の方が不倫の件数が多いなどとは聞いたことはない。
しかし日本の場合、恋愛に恵まれる者と恵まれない者の格差が大きい。恵まれない者はとことん恵まれず、年齢を重ねるごとにその傾向は加速していく。その理由は年齢を重ねるごとに「モテない」という実績がヒエラルキー構造を形成するからである。
かつての童貞いじりはひどいものであり、最近は童貞が肯定されるようになったが、根本的なところまで変わったかどうか。
欧米では、カップルは人前でイチャイチャすることを前提にして、その上で不倫などが行われているのである。「手を出すな」というサインをカップルが出し、他の人はそれを受け取る。このようにしてルールが形成される。しかしそれはカップルが一緒にいる時のことで、二人が離れている時に一方に連絡したりして不倫に持ち込んだりするのだろう。中には殴り合いやレイプなどのルール外もあるだろうが、多くはルールを受け入れているということだ。

バーチャルとリアルの恋愛に話を戻そう。
二次元に限り、コロナ禍で人が減便を受け入れているようにバーチャルが「その人がやったことが返ってきた」ことでリアルとの恋愛を望んでいるのなら、バーチャルがネットを越えてリアルで愛し合うことはないだろう。私ならそんな恋愛は最初から望まない。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。