坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

『アラベスク』第二部後編と『妖精王』の以外な共通点

山岸凉子の『アラベスク』は第二部になってからぐんと面白くなる。
第二部の前編はノンナの師ユーリ・ミロノフとそのライバルエドゥアルド・ルキンの対決に大きく焦点が当てられる。男は勝負事が好きで、昔は私も第二部は前編の方が好きだったが、歳をとったせいか勝負事への関心が薄れると、後編のカリン・ルービツとノンナとの交流に興味がそそられてくる。
ある評論家が「山岸自身にもよくわからない」というほど後編には奥深い心理があるが、問題はそれが何かということである。

アラベスク』第二部後編を理解する鍵はかつてブームになった『怖い絵』と、『怖い絵』の中で引用されていた太宰治の『御伽草紙』の『カチカチ山』、そして山岸の名作『妖精王』である。
『カチカチ山』で太宰は次のように言っている。

この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。そうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシャ神話には美しい女神がたくさん出てくるが、その中でも、ヴィナスを除いては、アルテミスという処女神が最も魅力ある女神とせられているようだ。ご承知のように、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、そうして敏捷できかぬ気で、一口で言えばアポロンをそのまま女にしたような神である。そうして下界のおそろしい猛獣は全部この女神の家来である。けれども、その姿態は決して荒くれて岩乗な大女ではない。むしろ小柄で、ほっそりとして、手足も華奢で可愛く、ぞっとするほどあやしく美しい顔をしているが、しかし、ヴィナスのような「女らしさ」が無く、乳房も小さい。気に入らぬ者には平気で残酷な事をする。自分の水浴しているところを覗き見した男に、颯っと水をぶっかけて鹿にしてしまった事さえある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。こんな女に惚れたら、男は惨憺たる大恥辱を受けるにきまっている。けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。

 

『怖い絵』はこの部分を引用して、偶然水浴の場を見てしまったアクタイオンを鹿に変えて殺したディアナについて語っている。

そして『妖精王』だが、この作品は実は『アラベスク』第二部後編を同じ構造である。
ファンタジーと人間ドラマのどこが同じ構造なのかと思うだろうが、『妖精王』の主人公忍海爵が童貞なのも、「淫乱」を暗示する女性キャラ達と闘い勝利するという構図は、同じく「淫乱」を暗示するカリンの横暴や誘惑を振り払って、汚れない少女として踊りきって観客を魅了してしまうのである。まさに同じ構造である。

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そして「淫乱」を暗示する女性達も、失った貞操を嘆き、救いを求めているのである。

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アラベスク』第二部後編と『妖精王』は善悪二元構造の物語であり、そこに処女と悪女の対立を重ねることでボリューム感のある作品になっている。
二元構造で作品を作る場合、悪とは何かを定義するのが難しく、破綻が見える例も多い。その代表例が三国志で、皇国史観的なストーリーが批判されると三国志ブームは衰退し、皇国史観を外した三国志は、もはや小説ではヒット作を出すことはなくなった。
アラベスク』『妖精王』はクオリティの高い二元構造の作品だが、また処女と悪女の対立によって二元構造を成立させているのは、逆に言えば善悪二元構造で作品を作ることの限界も感じさせるのである。
「人間=怪物」の構造を持つ、私が提唱した日本型ファンタジーの作品群は一元的な世界観である。善悪二元構造の作品は、日本型ファンタジーの出現を止められなかった。

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