坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

「戦争と平和を考えるマンガ」

拡散希望をしなかったのにこんなことを言うのは気が引けるのだが、

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

にブクマのひとつもないのはおかしくないか?

原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で「この国の徴税はざるです」と山形県弁護士会が言っているのに何も思わないのか??

 この国を一体どこの後進国だと思っているのか?!

改めて、

弁護士が無能すぐるww④ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の拡散を希望します。 拡散をしない人は、もうこのブログにはこないでしょう。

 ブクマだけでダメとは言いませんが、ブコメも希望します。 怒りの感情くらいあるでしょう。ひとつや二つでなく、数十、数百のブコメが頂けると思っています。


 かつて「東洋の小さな島国」という言葉が、よく言われていた。

あるいは80年代限定のことかもしれないが、確かめる術がない。

 しかしよく考えればそれはおかしいのである。

 日本の国土面積は、ヨーロッパの国々より大きい。アジアでも中南米でもアフリカでも、日本より大きい国はそうそうない。

 人口でも1奥2千万以上の人口を持つ国はアメリカ、中国、インド、ロシア(当時はソ連)などごくわずかである。 

経済で言えば、日本はまだ中国に抜かれていない世界第二位の経済大国である。 

「東洋の小さな島国」というのは、島国と大陸の比較、またはアメリカなどとの比較でしかなかった錯覚であり、日本は「東洋の小さな島国」と言う必要はどこにも無かったのである。


 当時の日本はことさらに自分達を小さく思おうとした。 それは他の国への見方に表れている。

中国には4千年の歴史があり、シルクロードにはロマンがあり、アフリカや中南米には自然との共生があるといった具合に、日本人は世界のどの国も憧れの対象として見ていた。

 今は違う。中国は中華思想と4千年間同じ歴史を繰り返した国であり、シルクロードはしばしば紛争の巷であり、アメリカは貧富の格差が激しい国で、しばしばキリスト教原理主義に走るといったように、我々の世界の見方は変化した。 

80年代は、世界に対し自らを下げていたが、それはキャッチアップににてそれとは違い、自分達を「まだまだ」としながら、成長や努力を望まない姿勢だった。 

しかし成長、努力を拒否したその社会は、今より安定感が高かった。今は多分に偏見を含みながらも客観化されているが、その分社会には不安定間がある。 


日本は世界を客観視するようになった一番のきっかけは、9.11テロだろう。 

9.11テロの後、テロに対抗したアメリカが難癖をつけてイラク戦争を始め、テロの時代が到来した。 

この時期、多くの日本人は一神教というものを知った。一神教は他の宗教に対して狭隘で、しばしば殺し合いで問題を解決しようとする。

そして「一神教より多神教」というフレーズが流行し、「一神教より多神教」を評価する多くの本が出版された。 その先頭を切ったのは塩野七生の『ローマ人の物語』だった。他の作品は多くは新書で出版された。

2000年代の新書ブームはこうして起こった。

 2000年代は非常に知的好奇心の高い時代だった。その知的好奇心はテロの時代の到来による、多神教一神教への優越感がもたらしたものだった。 


これが2000年代前半の空気だったが、後半には雰囲気が変わってくる。

 それがドストエフスキーブームの到来である。ドストエフスキーは近代の小説家でもキリスト教者として、近代化に警鐘を発し、キリスト教への回帰を啓発した小説家だった。

 『ダヴィンチコード』の流行も相まって、キリスト教、仏教などの宗教ブームが起こった。

一神教は教義を守ることを求める創唱宗教が多く、多神教は教義の無い自然宗教が多い。

日本人は「一神教より多神教」と優越感を感じたことにより、一神教的な教義への関心を持つことができたのである。この流れは安倍政権成立まで続く。


 一方、日本の文化にもうひとつの嗜好が生まれた。

 2005年に『ヴィンランド・サガ』、2006年に『ヨルムンガンド』、『キングダム』 の連載が開始された。

 この三作には共通点がある。 『ヴィンランド・サガ』のドルフィンは、父の敵のアシェラッドの元で戦争をする。 

ヨルムンガンド』のヨナは、孤児仲間を殺した武器を嫌いながらも、武器商人のココ・ヘクマティアルの元で私兵として戦う。

 『キングダム』の信は、やはり孤児仲間の漂を自分の身代わりにした政(後の始皇帝)の元で戦う。

 三作とも、主人公の憎むべき対象に主人公が寄り添い、その憎むべき対象は戦争に繋がっている。

 これらの作品は戦争を憎む主人公が日本であり、戦争を憎みながら戦争に参加していき、平和とは何かを模索していく構図となっている。

 私はこれらの作品を「戦争と平和を考えるマンガ」と位置付けた。

 「戦争と平和を考えるマンガ」は、平和主義が生み出した唯一の成果である。

平和主義に他の成果などひとつもない。 そして「戦争と平和を考えるマンガ」は、2000年代の「一神教より多神教」という優越感があって、日本人が平和を求めながらも戦争、軍事力の必要性を認めなければならないと考え、自分の心の奥を探るようにして生み出されたのである。


 今後、「戦争と平和を考えるマンガ」についてシリーズで書いていくが、他に書くことも多いので、半年ごとの更新となるだろう。


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韓国はなぜ反日なのか?

韓国と日本の関係は改善しそうにない。 

かつては日本の謝罪が足りないように思われていたが、アジアの他の国々は「謝罪はもう充分」と言い、謝罪の不充分さが原因でないことははっきりした。 

韓国のおかしさは、その論理的飛躍にある。 

かつて「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」なるものが、韓国で制定されたが、この法律は植民地時代に日本に協力した者の子孫の財産を没収するもので、遡及立法禁止の原則に反している。 

法をねじ曲げても反日でなければならないのが韓国の狂気で、日韓合意の後でも慰安婦問題を蒸し返してくるところにも表れている。

韓国は反日のためならどんな理屈も踏みにじり、反日を繰り返すのである。 


韓国の反日は、もはや韓国のアイデンティティと言っていい。 

逆に言えば、反日でない韓国は韓国でないとさえ言える。 

なぜ韓国はそれほどに反日なのか? 

私は韓国について詳しいとは言えないが、できるだけこのことを考えてみよう。 

韓国はよく、「この発明は韓国が起源」などと言っているという。 

ネットを見ると信憑性のあるものは少ないが、韓国が自国を誉めちぎっているのは事実らしい。 

本当にそうか?分断国家なのに!? 

韓国は、今や地球上ただひとつの分断国家である。

 ドイツとオーストリアのように、同一の民族で国が違う例はあるが、それは互いに別の国としての歴史を歩んできて、互いの国に対し敬意を持っている。だから統一を求めなくても民族のアイデンティティに支障はない。 

台湾はその根底に中国とは別の国だという意識を持っている。だからアイデンティティの形成に問題がない。

 韓国だけは不本意に国が分断され、しかも統一できないでいる。 いや統一できないのではなく、統一したくないのである。

 北朝鮮とひとつの国になれば、それがどれだけの経済的負担になるかわかっているから、若い世代になるほど南北統一に否定的になっている。

 かつて太陽政策として、韓国は北朝鮮に多額の経済援助を行ったが、結果は北朝鮮を核保有国にして終わった。

 戦争で南北統一はもうできない。南北統一するには北朝鮮の自壊を待つしかない。 

北朝鮮の自壊にどれだけ時間がかかり、統一後にどれだけ経済負担がかかろうと、北朝鮮を統一の対象と見なし、韓国人が必ず南北を統一する決意をもたない限り、韓国人は国民国家としてのアイデンティティを持てない。

そして韓国はアイデンティティを確立しない代償として、日本をスケープゴートにし続ける。


 以上のことを韓国に向けて言うのは政治干渉で、好ましいことではない。 

だから韓国の反日行動のカウンターとしてのみ、以上のことを韓国人に対して言える。 以上は推測だが、この推測が間違っていると証明されない限り、推測で言ってかまわない。


 と盛り上げたところで、話は尻すぼみになるwww。 

それはもちろん北朝鮮がアメリカと朝鮮半島の非核化の交渉を始めたからで、この交渉を韓国が仲介したのは、トランプ大統領が韓国から発表させたのをみても明らかである。

 朝鮮半島の非核化は魅力的だし、この時期に韓国ともめて非核化交渉を頓挫させるのは得策ではない。

 ましてやトランプ大統領を敵に回すようなことは避けねばならない。

 オバマ元大統領にすら、歴史解釈としてはやや乱暴な日韓合意を飲まされたのに、この見解を「何の根拠もない過った言説」などと言わせることになってもつまらない。 

諸君、しばし自重しよう。 


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原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』

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冒頭で坂のある風景が描かれている時点で気付くべきだったのかもしれないが、『姉の結婚』の舞台である中崎市とは長崎市のことである。それは作中に大浦天主堂や平和記念像、軍艦島が登場することでも明らかである。

 『娚の一生』でも、角島という架空の街を舞台にしているがこれも鹿児島市のことで、作者の西炯子は九州の実在の街を架空の街にして作品を描いている。

 

 思えば、ヒロシマナガサキは原爆以外のテーマで舞台になることがない。ヒロシマナガサキを原爆以外のテーマで扱うことを、我々日本人が不謹慎だと思っているのである。

 ヒロシマナガサキが原爆以外で舞台にならないのは、我々被爆者でない日本人が、被爆者である広島、長崎市民に負い目を感じているからである。

 もちろん広島、長崎にも、原爆と関わりのない日常があり、広島、長崎市民はそれをテーマにして欲しいという想いは持っているだろう。 しかし我々被爆者でない日本人が、原爆以外でヒロシマナガサキを扱うのを許さないのである。

 この日本人の意識は、既に加害レベルに達しているのではないかと私は恐れているのだが、この問題が被爆者でない者が被爆者に及ばないという想いから生まれている以上、基本的に解決のしようがないものである。 

我々が被爆者に及ばないと思うのは、ヒロシマナガサキ被爆者達が、死と隣合わせという超現実を生きてきたからである。 『夕凪の街』のラストに見るように、彼ら被爆者にとって死は日常なのである。 

よく広島、長崎の核廃絶運動を批判する者がいる。彼らは非現実的だと。 

私も本音では、そう思っている。しかし広島、長崎を名指しで批判する気にはとてもなれない。彼らは死と隣合わせという超現実を生きてきたのである。

 そしてそのことを日本人が知っており、日本人がその超現実を背負って生きた者に及ばないと思うから、ヒロシマナガサキは原爆がテーマでなければならないと思い、他のテーマで扱うのを不謹慎と思う。 解決の方法は、我々被爆者ならぬ者が被爆者になるしかないだろう。

そして我々がそう思っている限り、広島、長崎は原爆をテーマとしてのみ描かれ続けるのである。

 

 西炯子は、この問題をさりげなく解決してみせた。 つまり長崎を架空の街にすることである。

 西の奥ゆかしいのは、長崎だけでなく、九州の他の街も架空の街にしたことである。私は『娚の一生』と『姉の結婚』しか読んでいないが、この二作を見る限り、他の作品も同じ措置を取っているのだろう。

 それは長崎を特別扱いしたのではないという配慮である。

 今では原爆症というものが被爆者にとってどれほどの脅威なのか、私にはわからないが、脅威の減少が即原爆をテーマにしないことに繋がっては差別になりかねない。 架空の街にすることで、原爆症への怖れを抱きながらも原爆でない長崎を見て欲しいという想いを充たすことが可能になる 。

この作品もまた、「主人公でない者を主人公にする」という作家の使命感に基づく作品である。 

 

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右翼はロリコン

リベラルにとって、ロリコンは根本的に個人の問題であり、他人に迷惑をかけない限り問題にならない。
保守にとっては違う。
もちろん現代では、保守が個人のロリコンを批判するのは許されない。しかしロリコン度は日本の成人男子の不健全性を示すバロメーターであり、社会のロリコン化を批判するのは許されることでありまた必要なことなのだ。
確かメロンダウトさんだったか、保守は理論を提示できなくて、リベラルの理論を使って保守の意見を論じるしかないと言ってたような気がするけど(よく覚えていないww)、事実その通りだと思う。
しかし社会のロリコン化批判こそ、保守が純粋に保守の立場から意見できる領域ではないか?
なお、リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判するのは全く問題ない。
保守とリベラルは概念としては峻別できるが、個人レベルでは峻別できない。
保守な意見が多いか、リベラルな意見が多いかの大別でしかないのである。リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判する時、それはその人の中にある「保守」が言っているのである。

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さて、この画像は皆さんご存知の、『ドラゴンボール超』に登場したキャラである。
なぜこの画像を載せたかといえば、大のお気になのである。
このキャラの名前がブリアンデ・シャトーなのかリブリアンなのかブリブリアンなのか未だにわからないのだがwwwお気にの理由はこのキャラが魔法少女美少女戦士キャラだから、ではない。その真逆のアンチ美少女戦士キャラだからである。変身後にみんなが「戻して~」と連呼する様を見るのは非常に楽しかったwww。
マンガ、アニメなどのサブカルで、これまでの無限に堕落するような傾向を暗に批判する動きが出ており、このキャラもその一例である。
作家の多くはこの傾向に敏感であり、ビジネス界を除けば、日本で最先端を走っている。
しかし日本男児の精神の健全化を図るべき右派は、この傾向に超鈍感である。
それどころか最近では声が小さくなったが、「日本のアニメが世界を席巻している」などと言って一時期は大騒ぎしていた。
結局ほとんど誤解だったのだが、仮に相当の妥当性があったとしても、美少女戦士だのロリコンだのを批判せずに全面礼賛!?
コイツらロリコンだよwww
そんな右翼が女性天皇反対だの女性宮家反対だの夫婦別姓反対だのと言っても、それ男としての自信のなさの裏返しじゃない?と思ってしまう。

私は知識に乏しいが一応男女同権派で、ロリコン批判も男の優越を主張するためのものではない。
男と女の優越を論じろと言われれば、それはどちらとも言えない。わかっているのは、何の規制も設けずに競走させれば自然と男が勝つということだ
しかしそれが合理的で、豊かな社会だとは思っていない。エマニュエル・トッドは女性の地位が高い国の文化的優越を主張している。
私がロリコンを批判するのは、男の優越を主張するためではなく、男女同権のためである。今の男女同権批判は、男の余裕のなさによるところが大きい。

kutabirehateko.hateblo.jp

男のレベル低www。
悪平等は差別と変わらんぜ。
そりゃこんな男が自信のなさの裏返しの行動ばかりとってたら社会はロリコン化するわ。

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ドラゴンボールを考える⑦~「未来トランクス編」1:「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチ!?

あ、悟飯脱落しちゃった( ̄▽ ̄;)、

ドラゴンボールを考える⑤~『宇宙サバイバル編』の予想と『復活のF』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

での予想は外れた。ディスポを倒したのは当たったけど 道連れだし、フリーザとの共闘だし。 

まあフリーザは地球のドラゴンボールじゃ復活できなくて地獄に逆戻りってオチだと思うけどね(⌒‐⌒) 


さて、次回のアニメを見てからにしたかったが、事情があって『ドラゴンボールを考える』を更新しよう。

今回は「未来トランクス編」。

 「未来トランクス編」を見てて思うのは、やたらと「魔人ブウ編」に似ていることである。 

ブウが一瞬で全細胞を消滅させない限り死なないという設定は、ザマスの不死身に限りなく似ているし、途中で悟空とベジータポタラ合体によるベジットが活躍するところ、通常の気功波と気弾でなく、気を剣状にしたり召喚獣のような形状にするのも、最後は元気玉のような気を剣状にしてザマスを倒すのも、「魔人ブウ編」に似ている。

  原作の「魔人ブウ編」がうざいのはwww実力ではブウを超えるキャラが多数登場するのに、全細胞を一瞬で消滅させなければならないという設定のため、ストーリーがなかなか終わらないところである。正直話をちゃんと覚えていない。

 しかも魔人ブウがギャグキャラなため話が締まらない。

最初に登場したブウが最後の敵でないというパターンは「人造人間編」と同じだが、「人造人間編」のラスボスのセルは何がしたいのかは今一わからないが存在感はあった。 

魔人ブウ編」の最後に登場する、人語を解さない凶暴なブウには存在感は確かにあった。だがそれも魔人ブウなのである。ギャグキャラの要素を引きずっており、読者が別物と認識する力がその分削がれている。

 「未来トランクス編」のゴクウブラックとザマスも、同じザマスだという点では「魔人ブウ編」と同じである。

しかし「未来トランクス編」はシリアスにストーリーを展開するので、「魔人ブウ編」のように緊張感に欠けるところがない。

ナルシストなブラックもギャグとしてよりも、ザマスの内面の醜さの強調と受け取れる。 

そしてこの場面。

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合体ザマスの半分が悟空の肉体のため不死身にならず、身体の半分が溶けている。

 この後ザマスが訳のわからない弁解をするところは見物で、悪としての醜さを描き尽くすのに成功している。

 鳥山が、「未来トランクス編」を「魔人ブウ編」と同じプロットにした理由も何となくわかる。 

魔人ブウ編」の仕上がりに鳥山は不満だったのだろう。もっとも当時の少年マンガのように無理矢理描かせればだれるのは当然だが、プライドが低いようで高いのが鳥山である。

「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチの要素があるのは間違いない。

 しかしそれだけではない。 

ザマスにとどめを刺すのが悟空でなくトランクスであること、それを元気玉のような技でしたことは、「未来トランクス編」の主人公はトランクスだということ、正確にはトランクスが主人公であるべきだったストーリーだということである。


 さて、今回この記事を更新した理由である。

 

 

超サイヤ人5

>しかし『DB超』は悟空を世界観の中心から外すことで、ベジータを悟空のすぐ後の行くライバルにすることに成功した。

漫画版の超はそうでもない感じですけどね
漫画版の方はベジータがどれほど努力しても悟空の天才ぶりにはかなわない、といった感じで、
いくら強くなっても戦闘の土壇場で悟空に追い抜かされる、といった構図になっています
アニメはともかく漫画の方はベジータが秀才型、悟空が天才型といったコンセプトの扱いを受けているようです

 

 

ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

にコメントを頂いたので、それについてのコメントを書くためである。 

私の考えは少し違う。 もっとも私はコミックスしか読んでおらず、連載を見ていない上での判断である。

 未来から現代に来たトランクスが、ブラックの強さを計るために悟空と手合わせするが、

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ウイスに言われている。

 悟空はSSJ3になるが、トランクスはSSJ2のままで悟空のSSJ3と同等のパワーを発揮。

慌てた悟空が一瞬SSJGになってトランクスに勝つ。

 そして未来に行くと、ベジータがSSJ2でブラックと戦い、ブラックを圧倒する。

 えっ、これってSSJ2では強さはベジータ>ブラック>トランクス≧悟空ってことじゃね!? 

鳥山は、原作で「ベジータ以上の天才」になった悟空を、『DB超』のマンガ版で元の「基本戦闘力はベジータが上」に戻したのである。 

トランクスが悟空よりやや強いのは、トランクスが上級戦士のベジータの息子だからだろう。

 ただそれだけではない。 

「人造人間編」では、トランクスは気の毒だがお客さんになりすぎていたのである。その点が若干修正されている。

 基本戦闘力はベジータが上。しかし主人公が悟空なのは、悟空が「器用」だからである。

 コミックス4巻では、悟空は合体ザマス相手に、SSJBの溢れ出る気を体内に閉じ込め、SSJBのパワーを100%引き出して互角に戦っている。

 アニメ版では悟空の代わりにトランクスが魔封波を使い、御札を忘れてザマスの封印に失敗するが、マンガ版では悟空がキャバクラの割引券を御札と間違えるというオチで失敗している。

 アニメ版とほぼ同じ展開の場合、そこに特別に意味があることがある。

ミックス4巻のおまけページの絵。

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魔封波失敗の後、「やっぱりこういう技はオラ向いてねえ」と悟空は言うが、ビンなら確実に封印できたのである。

 悟空は「がさつ」とか「おおざっぱ」とか言われているが、ベジータがなれないSSJ3になれる悟空は、実はとっても器用なのである。

 悟空は「サイヤ人クリリン」、これが鳥山の出した答えである。 

そうやってベジータを越えられるところが天才といえばそうかもしれないけど、1つ確かなのは、「基本戦闘力はベジータが上」ということである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

パワハラ上司は無能である②

私が勤めたあるパワハラ会社で、同僚に質が悪いのがいたが、その同僚は営業所長にゴマをすり、私の立場を悪くさせられていた。

 私がその同僚の苦情を所長に言うと、

 「いやぁ人間ってさ、歳取ると変わらないんだよね」 と言って、関係ない話を延々聞かされたことがあった。

 要するに、「俺は何も変えないから、お前は黙って従え」 ということである。

変えない、つまり質の悪い同僚に対処しない理由は「自分が変われないから」。

 パワハラ上司は真っ正面から議論できないばかりか、しばしばこういうプライドのない発言をする連中である。 しかもそんな奴らが、時に周囲から信頼されていたりする。

私が「和」を嫌いになった理由(前編) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

(全3回) の部長には、しょっちゅう「辞める」と言ったが、そのたびに慰留された。

 当時借金があったので、本当は辞められなかったのだが、 上司Dにぶん殴られたり、どうやってもやる気がでないのは仕方がなかった。 

そこで「もうちょっとやってみたら?」と言われ、渋々了承する。

 「もうちょっとやってみたら?」とは、「やる気がないのは認めるからもうちょっとやってみたら?」という意味だと思う。

それが妥協というものだ。 ところが実際は何も変わらない。残業は減らないし、そのことで文句を言うと、 「自分の責任だろ」 と完全に元通りwww。

 いや、本当はわかってる。どこにも妥協点がないことくらい。あるのは続けるか辞めるかだけだった。しかし辞めても関係を無理矢理続けようとする。


 パワハラの関係は不毛の連続である。そういう関係の中では不毛な言葉ばかりか横行する。

 「営業は人間を成長させる」 と、しばしば部長は言っていたが、その私を捕まえて、「坂本くん新人みたいなものなんで」と私の客に言い訳したりする。

 私の営業3、4年目の時の話である。3、4年で新人みたいなものなら、一体いつ成長するんだ? 

「何でも相談しろ」というのも不毛な言葉で、相談してこの程度ならしない方がいい。 そう言えばこのブログは「人の言うことを聞くべからず」だったwww。

この私の信条も若い頃はもう少しソフトで、「人に相談するべからず」だったが、「それは間違ってる」とパワハラ上司や親に言われ、その度に悪い結果が出るのを繰り返した挙げ句、いつの間にかバージョンアップしてたwww。


 話を戻そう。パワハラ上司は「仕事に興味を持て」としばしば言うがこれも不毛、ていうか100%自発的な「興味」を強制してる時点でただの矛盾である。 

「仕事に興味を持て」と言うパワハラ上司ほど、仕事への興味を削ごうとする。

 初めてする仕事で、他部署との関係やそれぞれの作業の意味や機械がどういう役割を持っているかに興味を持つと、パワハラ上司はそれに答えずに作業を急がせようとしたりする。

 実はそこに、本当の問題があったりする。数値が基準内に入ってなくてデータを改竄したりしているのである。

 パワハラ上司はデータについてはかなりいい加減である。 

いい加減にデータをつけていながら、データを信用していない。 だから基準がなぜそうなっているのか考えない

。元々は「取り合えずこれでやってみよう」という暫定的な基準だったのかもしれないが、それが現状に合わなくても、データを改竄しているから現状に合わないのが上がわからない。何度か部署異動があれば、その基準がどうやって決まったのかもわからなくなる。

 すると別のパワハラ上司が、データの改竄を見抜いて文句を言ってきたりする。 

いやデータを改竄してる方が悪いので、批判は正しいのだが、そのパワハラ上司は現状に合わない基準を絶対化して無理矢理基準に合うように無理難題を言ってきたりする。

 それができなくてもパワハラ上司は部下のせいにすればいいから平気である。

 パワハラ上司には理論がない。

 パワハラ上司が信じているのは、多くは経験則である。

不作為の行為は加害行為である - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の食品会社の上司はよく「日付なんか確認しなくても間違わねえ」と言ってよく日付を間違えていた。

 そのパワハラ上司が日付を確認しなくても間違えなかった時期があったことについては疑っていない。

 今勤めている会社の最初に配属された部署は、違う金属の割合を調合する作業だったが、そこでも「確認しなくても間違わねえ」と言って大量な不良品を出していた人がいた。

 こういう人達には、確認しなくても間違えなかった時期があったのである。それだけ集中力が高かったということだ。ただ集中力を発揮できる条件が失われているのに気づいていないのである。

 食品会社の上司は、何か失敗があると生産数を上げて挽回しようとする癖があった。

しかし会社は不況で生産数を減らしており、その上司はその度に怒られていた。 面白いことに、その上司は係長から主任、平社員と垂直に降格していったwww。 

今の会社の「確認しなくても間違わねえ」と言ってた人には役職はなかったが、やはりどこかの会社で上司をしていたのだと思う。

そういう変な癖は、きつい環境で業績をあげ、都合の悪いことは人のせいにして、人が辞めていっても気にしない環境で培われるものだからである。理性があったらそんな癖はつかない。


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日本型ファンタジーの誕生⑮~『亜人』2:女を救うのは男の本能である

亜人』で一番好きなキャラは田中功次である。

最初はむしろ嫌いなタイプだったけどいつの間にか好きにって何愛の告白してんだ俺はwww。

もちろん好きになった理由もちゃんとある。 最初の頃の田中

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ワルソ~。 

この頃の田中は人を殺すのが平気で、長い間人体実験をさせられたために強い復讐心を持ち、むしろ殺人を楽しんでさえいた。

 しかし佐藤がグラント製薬の爆破を計画した時、

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と近くにいた女子高生に声をかける。

 女子高生はキモがりながら退散。田中も「馬鹿野郎が」と言ってその場を離れる。

 そしてフォージ安全ビルでの戦いで田中は下村泉と戦い、下村に手錠をかけて動けなくする。しかし下村が亜人だと知った野次馬が下村にたかってきたのを見て、

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皆殺しwww 。

しかし田中は倫理で動いているのではないのである。 

フォージ安全ビルでの佐藤達のターゲットの一人、李奈緒美を見つけた田中は、李に銃口を向けるが、「あの時は…ごめんなさい」という李を撃てなくなる。李はフォージ安全社長の甲斐敬一の秘書として田中の人体実験に関わっていた。

 そしてその後李の手を引いて逃がそうとし、途中であった佐藤にも銃を向けて、李を助けようとする。

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長期の人体実験により、田中は人格が壊れていた。 

荒みきった田中が変わっていくのは、女性を助けたからである。 男が女性を助けようと思うのは、それが男の本能だからである。

田中は女性を何度か助けることで、壊れていた感情が正常化し、その感情が倫理感を目覚めさせる。そして田中は「人を殺すのは駄目だ」と言うようになる。 


もう1つ、違う作品の例を紹介しよう。

 『COPPELION』のお台場原発再臨界の阻止の任務の途中で、成瀬荊は強烈な眠気に襲われる。

コッペリオンには突然のアトポーシス(細胞死)で死ぬリスクがあり、眠気はアトポーシスの兆候だった。

 しかし仲間の黒澤はアトポーシスを防ぐ薬を開発していた。

それがイニシャライザー(初期化薬)で、それを飲むとコッペリオンは人間になる。

 黒澤は成瀬に放射能の無い潜水艦に戻って、イニシャライザーを飲めと言う。

しかし成瀬は「あたしはあたしや、今のままでいい」と言って拒絶する。

 黒澤は逡巡の末、

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これは、今まで見たマンガの中で、一番男前なセリフである。 『COPPELION』はディストピアな世界観を利用して、男が女同士戦いやパンチラなどを楽しむ作品で基本的には嫌いなのだが、ラストは考えさせられるところが多い。 

苛酷な任務では、何が正しい選択かの判断は難しい。その場合重要なのは、後悔しないことである。

 黒澤が成瀬に謝るのは、成瀬の命の責任を黒澤が負うためである。そして「薬のことは忘れてくれ」と言って、成瀬の退路を絶つ。

 俺がこんなに男前だとは言わないけど、感情を大事にできる者が、ここまで言える。そして感情を大事にできる者が、女を大事にできる。


 え?お前こそ女とケンカしてるじゃないかって?んなアホな… 




↓ 


ケンカしまくってる~!!!! 


いや山口紗世子は怒らなきゃだめでしょ。

あとid:nyaaat さんは女性だと気づかなかったのですが気づいていれば言い方は変えてましたです。


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