坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

日本型ファンタジーゲームの誕生②~『ドラゴンクエストVIIエデンの戦士達』1:ゼボットとエリーの物語に我々が感動する理由とは?

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私は今まで、ロボットが感情を持つという話に感動したことがなかった。
私のような人間は少数派なのだろう。浦沢直樹の『プルートゥ』など、ロボットが感情を持つ物語がそれなりにヒットはするのだから。
私は『プルートゥ』を観ても感動しなかった。だから私が特別に異常なんだと思っていた。『ドラクエ7』のゼボットとエリーの物語を観るまでは。

今回は『ドラゴンクエストVII エデンの戦士達』、ドラクエシリーズの中でも一際長大なストーリーで、そのあまりに不条理な世界観から絶賛されたり黒歴史扱いされたりしている作品である。

フォロッド地方で遠い昔、ゼボットはかつて恋人のエリーを失った。
エリーの代わりに、ゼボットはからくり人形を作るが、からくり人形はパネルに「こんにちは!わたしはエリーです」とパネルに表示するだけで話すことができない。この人形はゼボットの心を埋めることはなかった。
しかしある時、ゼボットの研究所に魔王軍の故障したからくり兵が迷い込んだ。ゼボットはからくり兵に俄然興味を持ち、からくり兵を修理、さらには改造してからくり兵への妨害電波を出すようになりフォロッド城を救う。ゼボットが作ったからくり人形は顧みられることなく朽ち果て、名前は乱暴に消されていた。
城は救われたが、城下町のフォーリッシュ住民はからくり兵と同じ姿のエリーを嫌悪して罵倒する。気分を害したゼボットは研究所に戻り、人と交わることなくエリーだけを心の支えとして生涯を終える。

ドラクエ7では過去と未来を行き来する。
数百年後の現代、ゼボットの研究所に行くと白骨化したゼボットの死体を見ることになる。元からくり兵のエリーは動いていて、ゼボットのためにスープを作っている。

ぜぼっと キョウモ ウゴカナイ……。ナニモ シャベラナイ……。

 

すーぷ サメタ。 ツクリナオシ……。

 

この後フォロッド王が研究所のエリーを城に持ち帰ってからくり人形研究に使おうとし、研究所に押し寄せるが、ゼボットとエリーの光景に驚愕する。
エリーには死が理解できない。そしてエリーはスープを飲ませればゼボットが元気になると信じて「アタシ、シアワセ…」と言うのである。
ロボットのエリーが感情を持つ。ここで感動が訪れる。ドラクエ7のハイライトのひとつである。

なぜ私は感動したのだろう?そう考えて思い当たった。
死を理解できないエリーを我々は憐れみ、見下したのである。
見下さない限り、我々はエリーに同情心を持つことはなかった。これは差別である。そして差別できたからこそ我々はこの物語に感動することができたのである。

人間とそれ以外の動物だから「差別じゃない」ということはなく、動物と植物の違いが差別を生まない訳でも、有機物と無機物の違いが差別でないのでもない。扱いに差をつけるのは全て差別であり、我々は差別から逃れることはできない。
人間は、差別だと言われてもどうしても受け入れられない時がある。
昔、奇形の動画や写真をいくつも見たことがある。精神的に荒れていた頃の私は、そういう強い刺激を求めていた。
中には人間の原型を留めないグロテスクなものもあったが、そういう者達を私は人間として認められただろうか?と考えた時、答えはノーだった。
ならばその奇形児が自分の子供として生まれてきたら?
口には出さなくても、子供として認められないと思う。そして子供として認められないことに苦悩する。
差別の問題は、時に受け入れ難いものを受け入れるように強く求めてくることがある。同性愛者を差別しないとか、ごく普通にリベラルな思想を持って生きていくだけでは乗り越えるのが難しい差別が存在するのである。
差別は無くならないし、どんなにリベラルに振る舞っても、リベラルに振る舞ったその人の心から差別が完全に消えることもない。我々は差別をなくせない自分に謙虚であるべきだろう。

ゼボットとエリーの物語は、実はダイアラックと共通のテーマを持っている。
ダイアラックの街はあめふらしの灰色の雨によって人々が石化して滅んだが、それ以前に戦争によって滅びかけている。しかし石化した住民がいたということは、戦争の後街は復興したということだ。
石化したダイアラックの住民は石像が風化してしまったため、「天使の涙」でも元に戻らなかった。「天使の涙」と探しに旅に出たために灰色の雨を免れたクレマンと、石化したが地下にいたため風化を免れたヨゼフの二人が生き残った。
しかしクレマンはまだ幼いヨゼフを連れて、灰色の雨の恐怖を人々に伝える旅に出ると言い出す。「この街は我々の心の中にある」と言って街の復興を放棄するのである。
その結果、数百年の時を経て街はその痕跡を留めないほどに朽ち果て、そして移民の街となり主人公の名前がつけられたりする。つまり街は主人公達に征服されてしまうのである。クレマンとヨゼフは灰色の雨の恐怖を各地で伝えるが理解されなかったり迫害されたりという苦しい半生を送ったようである。
ゼボットはからくり兵と戦うフォーリッシュの人々に冷淡だったが、エリーの改造はできても、からくり兵を作ることはできなかった。その理由はそこまで戦争を肯定できなかったからである。戦争を肯定したなら、フォーリッシュの住民に冷たくはならなかっただろう。
現代のフォーリッシュ王はエリーを元にからくり人形を作ろうとするが、一連のイベントの後、自分達でからくり人形を作ることをフォーリッシュ王は決意する。
現代のフォーリッシュでは、からくり兵の詳しい情報が伝わっていない。ゼボットの兄のトラッドがゼボットとエリーのために歴史を封印したのがその理由だが、それは表向きの理由で、決して戦争を肯定しなかったゼボットを歴史的に肯定しないためである。フォーリッシュ王はゼボットの路線を継承せず、戦争を肯定したのである。

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