坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

原爆でない長崎を舞台に~西炯子『姉の結婚』

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冒頭で坂のある風景が描かれている時点で気付くべきだったのかもしれないが、『姉の結婚』の舞台である中崎市とは長崎市のことである。それは作中に大浦天主堂や平和記念像、軍艦島が登場することでも明らかである。

 『娚の一生』でも、角島という架空の街を舞台にしているがこれも鹿児島市のことで、作者の西炯子は九州の実在の街を架空の街にして作品を描いている。

 

 思えば、ヒロシマナガサキは原爆以外のテーマで舞台になることがない。ヒロシマナガサキを原爆以外のテーマで扱うことを、我々日本人が不謹慎だと思っているのである。

 ヒロシマナガサキが原爆以外で舞台にならないのは、我々被爆者でない日本人が、被爆者である広島、長崎市民に負い目を感じているからである。

 もちろん広島、長崎にも、原爆と関わりのない日常があり、広島、長崎市民はそれをテーマにして欲しいという想いは持っているだろう。 しかし我々被爆者でない日本人が、原爆以外でヒロシマナガサキを扱うのを許さないのである。

 この日本人の意識は、既に加害レベルに達しているのではないかと私は恐れているのだが、この問題が被爆者でない者が被爆者に及ばないという想いから生まれている以上、基本的に解決のしようがないものである。 

我々が被爆者に及ばないと思うのは、ヒロシマナガサキ被爆者達が、死と隣合わせという超現実を生きてきたからである。 『夕凪の街』のラストに見るように、彼ら被爆者にとって死は日常なのである。 

よく広島、長崎の核廃絶運動を批判する者がいる。彼らは非現実的だと。 

私も本音では、そう思っている。しかし広島、長崎を名指しで批判する気にはとてもなれない。彼らは死と隣合わせという超現実を生きてきたのである。

 そしてそのことを日本人が知っており、日本人がその超現実を背負って生きた者に及ばないと思うから、ヒロシマナガサキは原爆がテーマでなければならないと思い、他のテーマで扱うのを不謹慎と思う。 解決の方法は、我々被爆者ならぬ者が被爆者になるしかないだろう。

そして我々がそう思っている限り、広島、長崎は原爆をテーマとしてのみ描かれ続けるのである。

 

 西炯子は、この問題をさりげなく解決してみせた。 つまり長崎を架空の街にすることである。

 西の奥ゆかしいのは、長崎だけでなく、九州の他の街も架空の街にしたことである。私は『娚の一生』と『姉の結婚』しか読んでいないが、この二作を見る限り、他の作品も同じ措置を取っているのだろう。

 それは長崎を特別扱いしたのではないという配慮である。

 今では原爆症というものが被爆者にとってどれほどの脅威なのか、私にはわからないが、脅威の減少が即原爆をテーマにしないことに繋がっては差別になりかねない。 架空の街にすることで、原爆症への怖れを抱きながらも原爆でない長崎を見て欲しいという想いを充たすことが可能になる 。

この作品もまた、「主人公でない者を主人公にする」という作家の使命感に基づく作品である。 

 

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右翼はロリコン

リベラルにとって、ロリコンは根本的に個人の問題であり、他人に迷惑をかけない限り問題にならない。
保守にとっては違う。
もちろん現代では、保守が個人のロリコンを批判するのは許されない。しかしロリコン度は日本の成人男子の不健全性を示すバロメーターであり、社会のロリコン化を批判するのは許されることでありまた必要なことなのだ。
確かメロンダウトさんだったか、保守は理論を提示できなくて、リベラルの理論を使って保守の意見を論じるしかないと言ってたような気がするけど(よく覚えていないww)、事実その通りだと思う。
しかし社会のロリコン化批判こそ、保守が純粋に保守の立場から意見できる領域ではないか?
なお、リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判するのは全く問題ない。
保守とリベラルは概念としては峻別できるが、個人レベルでは峻別できない。
保守な意見が多いか、リベラルな意見が多いかの大別でしかないのである。リベラルな言動をする人が社会のロリコン化を批判する時、それはその人の中にある「保守」が言っているのである。

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さて、この画像は皆さんご存知の、『ドラゴンボール超』に登場したキャラである。
なぜこの画像を載せたかといえば、大のお気になのである。
このキャラの名前がブリアンデ・シャトーなのかリブリアンなのかブリブリアンなのか未だにわからないのだがwwwお気にの理由はこのキャラが魔法少女美少女戦士キャラだから、ではない。その真逆のアンチ美少女戦士キャラだからである。変身後にみんなが「戻して~」と連呼する様を見るのは非常に楽しかったwww。
マンガ、アニメなどのサブカルで、これまでの無限に堕落するような傾向を暗に批判する動きが出ており、このキャラもその一例である。
作家の多くはこの傾向に敏感であり、ビジネス界を除けば、日本で最先端を走っている。
しかし日本男児の精神の健全化を図るべき右派は、この傾向に超鈍感である。
それどころか最近では声が小さくなったが、「日本のアニメが世界を席巻している」などと言って一時期は大騒ぎしていた。
結局ほとんど誤解だったのだが、仮に相当の妥当性があったとしても、美少女戦士だのロリコンだのを批判せずに全面礼賛!?
コイツらロリコンだよwww
そんな右翼が女性天皇反対だの女性宮家反対だの夫婦別姓反対だのと言っても、それ男としての自信のなさの裏返しじゃない?と思ってしまう。

私は知識に乏しいが一応男女同権派で、ロリコン批判も男の優越を主張するためのものではない。
男と女の優越を論じろと言われれば、それはどちらとも言えない。わかっているのは、何の規制も設けずに競走させれば自然と男が勝つということだ
しかしそれが合理的で、豊かな社会だとは思っていない。エマニュエル・トッドは女性の地位が高い国の文化的優越を主張している。
私がロリコンを批判するのは、男の優越を主張するためではなく、男女同権のためである。今の男女同権批判は、男の余裕のなさによるところが大きい。

kutabirehateko.hateblo.jp

男のレベル低www。
悪平等は差別と変わらんぜ。
そりゃこんな男が自信のなさの裏返しの行動ばかりとってたら社会はロリコン化するわ。

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ドラゴンボールを考える⑦~「未来トランクス編」1:「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチ!?

あ、悟飯脱落しちゃった( ̄▽ ̄;)、

ドラゴンボールを考える⑤~『宇宙サバイバル編』の予想と『復活のF』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

での予想は外れた。ディスポを倒したのは当たったけど 道連れだし、フリーザとの共闘だし。 

まあフリーザは地球のドラゴンボールじゃ復活できなくて地獄に逆戻りってオチだと思うけどね(⌒‐⌒) 


さて、次回のアニメを見てからにしたかったが、事情があって『ドラゴンボールを考える』を更新しよう。

今回は「未来トランクス編」。

 「未来トランクス編」を見てて思うのは、やたらと「魔人ブウ編」に似ていることである。 

ブウが一瞬で全細胞を消滅させない限り死なないという設定は、ザマスの不死身に限りなく似ているし、途中で悟空とベジータポタラ合体によるベジットが活躍するところ、通常の気功波と気弾でなく、気を剣状にしたり召喚獣のような形状にするのも、最後は元気玉のような気を剣状にしてザマスを倒すのも、「魔人ブウ編」に似ている。

  原作の「魔人ブウ編」がうざいのはwww実力ではブウを超えるキャラが多数登場するのに、全細胞を一瞬で消滅させなければならないという設定のため、ストーリーがなかなか終わらないところである。正直話をちゃんと覚えていない。

 しかも魔人ブウがギャグキャラなため話が締まらない。

最初に登場したブウが最後の敵でないというパターンは「人造人間編」と同じだが、「人造人間編」のラスボスのセルは何がしたいのかは今一わからないが存在感はあった。 

魔人ブウ編」の最後に登場する、人語を解さない凶暴なブウには存在感は確かにあった。だがそれも魔人ブウなのである。ギャグキャラの要素を引きずっており、読者が別物と認識する力がその分削がれている。

 「未来トランクス編」のゴクウブラックとザマスも、同じザマスだという点では「魔人ブウ編」と同じである。

しかし「未来トランクス編」はシリアスにストーリーを展開するので、「魔人ブウ編」のように緊張感に欠けるところがない。

ナルシストなブラックもギャグとしてよりも、ザマスの内面の醜さの強調と受け取れる。 

そしてこの場面。

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合体ザマスの半分が悟空の肉体のため不死身にならず、身体の半分が溶けている。

 この後ザマスが訳のわからない弁解をするところは見物で、悪としての醜さを描き尽くすのに成功している。

 鳥山が、「未来トランクス編」を「魔人ブウ編」と同じプロットにした理由も何となくわかる。 

魔人ブウ編」の仕上がりに鳥山は不満だったのだろう。もっとも当時の少年マンガのように無理矢理描かせればだれるのは当然だが、プライドが低いようで高いのが鳥山である。

「未来トランクス編」は「魔人ブウ編」のリベンジマッチの要素があるのは間違いない。

 しかしそれだけではない。 

ザマスにとどめを刺すのが悟空でなくトランクスであること、それを元気玉のような技でしたことは、「未来トランクス編」の主人公はトランクスだということ、正確にはトランクスが主人公であるべきだったストーリーだということである。


 さて、今回この記事を更新した理由である。

 

 

超サイヤ人5

>しかし『DB超』は悟空を世界観の中心から外すことで、ベジータを悟空のすぐ後の行くライバルにすることに成功した。

漫画版の超はそうでもない感じですけどね
漫画版の方はベジータがどれほど努力しても悟空の天才ぶりにはかなわない、といった感じで、
いくら強くなっても戦闘の土壇場で悟空に追い抜かされる、といった構図になっています
アニメはともかく漫画の方はベジータが秀才型、悟空が天才型といったコンセプトの扱いを受けているようです

 

 

ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

にコメントを頂いたので、それについてのコメントを書くためである。 

私の考えは少し違う。 もっとも私はコミックスしか読んでおらず、連載を見ていない上での判断である。

 未来から現代に来たトランクスが、ブラックの強さを計るために悟空と手合わせするが、

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ウイスに言われている。

 悟空はSSJ3になるが、トランクスはSSJ2のままで悟空のSSJ3と同等のパワーを発揮。

慌てた悟空が一瞬SSJGになってトランクスに勝つ。

 そして未来に行くと、ベジータがSSJ2でブラックと戦い、ブラックを圧倒する。

 えっ、これってSSJ2では強さはベジータ>ブラック>トランクス≧悟空ってことじゃね!? 

鳥山は、原作で「ベジータ以上の天才」になった悟空を、『DB超』のマンガ版で元の「基本戦闘力はベジータが上」に戻したのである。 

トランクスが悟空よりやや強いのは、トランクスが上級戦士のベジータの息子だからだろう。

 ただそれだけではない。 

「人造人間編」では、トランクスは気の毒だがお客さんになりすぎていたのである。その点が若干修正されている。

 基本戦闘力はベジータが上。しかし主人公が悟空なのは、悟空が「器用」だからである。

 コミックス4巻では、悟空は合体ザマス相手に、SSJBの溢れ出る気を体内に閉じ込め、SSJBのパワーを100%引き出して互角に戦っている。

 アニメ版では悟空の代わりにトランクスが魔封波を使い、御札を忘れてザマスの封印に失敗するが、マンガ版では悟空がキャバクラの割引券を御札と間違えるというオチで失敗している。

 アニメ版とほぼ同じ展開の場合、そこに特別に意味があることがある。

ミックス4巻のおまけページの絵。

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魔封波失敗の後、「やっぱりこういう技はオラ向いてねえ」と悟空は言うが、ビンなら確実に封印できたのである。

 悟空は「がさつ」とか「おおざっぱ」とか言われているが、ベジータがなれないSSJ3になれる悟空は、実はとっても器用なのである。

 悟空は「サイヤ人クリリン」、これが鳥山の出した答えである。 

そうやってベジータを越えられるところが天才といえばそうかもしれないけど、1つ確かなのは、「基本戦闘力はベジータが上」ということである。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

パワハラ上司は無能である②

私が勤めたあるパワハラ会社で、同僚に質が悪いのがいたが、その同僚は営業所長にゴマをすり、私の立場を悪くさせられていた。

 私がその同僚の苦情を所長に言うと、

 「いやぁ人間ってさ、歳取ると変わらないんだよね」 と言って、関係ない話を延々聞かされたことがあった。

 要するに、「俺は何も変えないから、お前は黙って従え」 ということである。

変えない、つまり質の悪い同僚に対処しない理由は「自分が変われないから」。

 パワハラ上司は真っ正面から議論できないばかりか、しばしばこういうプライドのない発言をする連中である。 しかもそんな奴らが、時に周囲から信頼されていたりする。

私が「和」を嫌いになった理由(前編) - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

(全3回) の部長には、しょっちゅう「辞める」と言ったが、そのたびに慰留された。

 当時借金があったので、本当は辞められなかったのだが、 上司Dにぶん殴られたり、どうやってもやる気がでないのは仕方がなかった。 

そこで「もうちょっとやってみたら?」と言われ、渋々了承する。

 「もうちょっとやってみたら?」とは、「やる気がないのは認めるからもうちょっとやってみたら?」という意味だと思う。

それが妥協というものだ。 ところが実際は何も変わらない。残業は減らないし、そのことで文句を言うと、 「自分の責任だろ」 と完全に元通りwww。

 いや、本当はわかってる。どこにも妥協点がないことくらい。あるのは続けるか辞めるかだけだった。しかし辞めても関係を無理矢理続けようとする。


 パワハラの関係は不毛の連続である。そういう関係の中では不毛な言葉ばかりか横行する。

 「営業は人間を成長させる」 と、しばしば部長は言っていたが、その私を捕まえて、「坂本くん新人みたいなものなんで」と私の客に言い訳したりする。

 私の営業3、4年目の時の話である。3、4年で新人みたいなものなら、一体いつ成長するんだ? 

「何でも相談しろ」というのも不毛な言葉で、相談してこの程度ならしない方がいい。 そう言えばこのブログは「人の言うことを聞くべからず」だったwww。

この私の信条も若い頃はもう少しソフトで、「人に相談するべからず」だったが、「それは間違ってる」とパワハラ上司や親に言われ、その度に悪い結果が出るのを繰り返した挙げ句、いつの間にかバージョンアップしてたwww。


 話を戻そう。パワハラ上司は「仕事に興味を持て」としばしば言うがこれも不毛、ていうか100%自発的な「興味」を強制してる時点でただの矛盾である。 

「仕事に興味を持て」と言うパワハラ上司ほど、仕事への興味を削ごうとする。

 初めてする仕事で、他部署との関係やそれぞれの作業の意味や機械がどういう役割を持っているかに興味を持つと、パワハラ上司はそれに答えずに作業を急がせようとしたりする。

 実はそこに、本当の問題があったりする。数値が基準内に入ってなくてデータを改竄したりしているのである。

 パワハラ上司はデータについてはかなりいい加減である。 

いい加減にデータをつけていながら、データを信用していない。 だから基準がなぜそうなっているのか考えない

。元々は「取り合えずこれでやってみよう」という暫定的な基準だったのかもしれないが、それが現状に合わなくても、データを改竄しているから現状に合わないのが上がわからない。何度か部署異動があれば、その基準がどうやって決まったのかもわからなくなる。

 すると別のパワハラ上司が、データの改竄を見抜いて文句を言ってきたりする。 

いやデータを改竄してる方が悪いので、批判は正しいのだが、そのパワハラ上司は現状に合わない基準を絶対化して無理矢理基準に合うように無理難題を言ってきたりする。

 それができなくてもパワハラ上司は部下のせいにすればいいから平気である。

 パワハラ上司には理論がない。

 パワハラ上司が信じているのは、多くは経験則である。

不作為の行為は加害行為である - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の食品会社の上司はよく「日付なんか確認しなくても間違わねえ」と言ってよく日付を間違えていた。

 そのパワハラ上司が日付を確認しなくても間違えなかった時期があったことについては疑っていない。

 今勤めている会社の最初に配属された部署は、違う金属の割合を調合する作業だったが、そこでも「確認しなくても間違わねえ」と言って大量な不良品を出していた人がいた。

 こういう人達には、確認しなくても間違えなかった時期があったのである。それだけ集中力が高かったということだ。ただ集中力を発揮できる条件が失われているのに気づいていないのである。

 食品会社の上司は、何か失敗があると生産数を上げて挽回しようとする癖があった。

しかし会社は不況で生産数を減らしており、その上司はその度に怒られていた。 面白いことに、その上司は係長から主任、平社員と垂直に降格していったwww。 

今の会社の「確認しなくても間違わねえ」と言ってた人には役職はなかったが、やはりどこかの会社で上司をしていたのだと思う。

そういう変な癖は、きつい環境で業績をあげ、都合の悪いことは人のせいにして、人が辞めていっても気にしない環境で培われるものだからである。理性があったらそんな癖はつかない。


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日本型ファンタジーの誕生⑮~『亜人』2:女を救うのは男の本能である

亜人』で一番好きなキャラは田中功次である。

最初はむしろ嫌いなタイプだったけどいつの間にか好きにって何愛の告白してんだ俺はwww。

もちろん好きになった理由もちゃんとある。 最初の頃の田中

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ワルソ~。 

この頃の田中は人を殺すのが平気で、長い間人体実験をさせられたために強い復讐心を持ち、むしろ殺人を楽しんでさえいた。

 しかし佐藤がグラント製薬の爆破を計画した時、

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と近くにいた女子高生に声をかける。

 女子高生はキモがりながら退散。田中も「馬鹿野郎が」と言ってその場を離れる。

 そしてフォージ安全ビルでの戦いで田中は下村泉と戦い、下村に手錠をかけて動けなくする。しかし下村が亜人だと知った野次馬が下村にたかってきたのを見て、

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皆殺しwww 。

しかし田中は倫理で動いているのではないのである。 

フォージ安全ビルでの佐藤達のターゲットの一人、李奈緒美を見つけた田中は、李に銃口を向けるが、「あの時は…ごめんなさい」という李を撃てなくなる。李はフォージ安全社長の甲斐敬一の秘書として田中の人体実験に関わっていた。

 そしてその後李の手を引いて逃がそうとし、途中であった佐藤にも銃を向けて、李を助けようとする。

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長期の人体実験により、田中は人格が壊れていた。 

荒みきった田中が変わっていくのは、女性を助けたからである。 男が女性を助けようと思うのは、それが男の本能だからである。

田中は女性を何度か助けることで、壊れていた感情が正常化し、その感情が倫理感を目覚めさせる。そして田中は「人を殺すのは駄目だ」と言うようになる。 


もう1つ、違う作品の例を紹介しよう。

 『COPPELION』のお台場原発再臨界の阻止の任務の途中で、成瀬荊は強烈な眠気に襲われる。

コッペリオンには突然のアトポーシス(細胞死)で死ぬリスクがあり、眠気はアトポーシスの兆候だった。

 しかし仲間の黒澤はアトポーシスを防ぐ薬を開発していた。

それがイニシャライザー(初期化薬)で、それを飲むとコッペリオンは人間になる。

 黒澤は成瀬に放射能の無い潜水艦に戻って、イニシャライザーを飲めと言う。

しかし成瀬は「あたしはあたしや、今のままでいい」と言って拒絶する。

 黒澤は逡巡の末、

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これは、今まで見たマンガの中で、一番男前なセリフである。 『COPPELION』はディストピアな世界観を利用して、男が女同士戦いやパンチラなどを楽しむ作品で基本的には嫌いなのだが、ラストは考えさせられるところが多い。 

苛酷な任務では、何が正しい選択かの判断は難しい。その場合重要なのは、後悔しないことである。

 黒澤が成瀬に謝るのは、成瀬の命の責任を黒澤が負うためである。そして「薬のことは忘れてくれ」と言って、成瀬の退路を絶つ。

 俺がこんなに男前だとは言わないけど、感情を大事にできる者が、ここまで言える。そして感情を大事にできる者が、女を大事にできる。


 え?お前こそ女とケンカしてるじゃないかって?んなアホな… 




↓ 


ケンカしまくってる~!!!! 


いや山口紗世子は怒らなきゃだめでしょ。

あとid:nyaaat さんは女性だと気づかなかったのですが気づいていれば言い方は変えてましたです。


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自主憲法の台頭に備えよ

山口紗世子弁護士の懲戒請求について、日弁連の綱紀審査委員会は私の請求を棄却する決定を下した。 

「綱紀審査の結果、山形県弁護士会綱紀委員会及び日本弁護士連合会綱紀委員会第2部会の認定及び判断に誤りはなく…」

  うん、つまり全く調べなかったのね!!

弁護士が無能すぐるww③ - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

と比較してみよう。 この話は後に書こう 今年一番に腹が立ったのはコレ↓

ta-nishi.hatenablog.com

sakamotoakirax  アホか。安楽死の権利なんて主張せず死にたきゃ勝手に死ね。今の日本人は護憲や増税に反対して責任を若い世代に押し付けた年輩を恨んでいて、都合良く死んでくれることで責任回避を望んでるだけ。

 

とブクマをつけたが文字数が足らず、もう一言、「こんな連中の巻き添えになって死にたくはない」と付け加えたかったwww。 

年輩に腹を立てながら自分達で問題を解決しようとせず、そのために自分の首も絞まるからみんな道連れにしようとする。

 こういった風潮は、70年の護憲の歴史をリセットする自主憲法につながる。

 

 ケント・ギルバート氏の『米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体』なる本には、『憲法改正の比較政治学』という本を引用して、公職選挙法の改正は憲法改正の範疇だと主張している。

つまり日本は公職選挙法を改正しているから、実質憲法改正を行ったというのである。

 これは、国会決議で日本国憲法を破棄しようという、自主憲法論の布石である。

 もっともギルバート氏は安倍首相の憲法改正案を支持している。

自主憲法が成立しなくてもいいようにリスクヘッジをしているのだが、自衛隊の明記を第3項とする自民党案は憲法内容が矛盾し、改憲運動も護憲の歴史も終わらないのを、ギルバート氏は見抜いている。

なお、自主憲法が制定された場合、日本国憲法を押し付けたアメリカは、大澤真幸が『不可能性の時代』で述べた、「第三者の審及」の立場を失い、天皇制が「第三者の審及」となる。この場合、日米安保の維持は不可能とは言わないが、非常に困難になる。

 

集団的自衛権行使容認の行き着く先は、天皇主権の「自主憲法」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、それはオバマ政権の話で、世界秩序の構築を必ずしも模索しないトランプ政権は、むしろ歓迎するだろう。

責任放棄によってアメリカ追従が強まる日本人の性格をトランプ政権は見抜いている。

 一方、改憲党のはずの希望の党が、いつの護憲の党になってしまったwww。

 民進党解体の時は踏み絵をして入党し、その後小池下ろしをして護憲の党へ。 お前ら火星で進化したゴキブリかよwww。

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希望の党玉木雄一郎代表は安倍首相の「改憲しても現行と変わらない」という発言を受けて、「ならば改憲も必要ない」と述べているが、いいのかね。

法曹界が尻軽すぎる - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で、自衛隊はやはり違憲だと述べたが、その後もう1つの解釈があるのに気づいた。

 それは個別的自衛権自衛隊を合憲とした場合、9条が国際法によってほぼ死文化されるという解釈である。

 砂川判決が岸政権の時代の判決なのを思い起こすべきだろう。

 自衛隊違憲とされるのか、憲法が死文化するのか、、砂川判決からは読み取れない。

 しかし憲法が死文化されると、国際法違反の条文を日本は作れないことになる。だから憲法は改正した方がいいのである。

 

 玉木氏は、憲法が死文化しているのを認めるのだろうか? 

もっとも日弁連集団的自衛権違憲だと言っているが、まーアレはコベツテキジエイケーンつーてりゃ詐欺横領し放題の犯罪組織なんでwww。


現在、リベラルの勢力が弱まり、その勢力が護憲に流れている。

 護憲とリベラルが70年の護憲の歴史の責任に耐えきれなくなった時、彼らは自主憲法に流れる。 

自主憲法が今後どれほどの脅威になるかと言えば、この国の方向を決めるほどの力は持たないと思っている。しかしそれでも警戒は怠るべきではないのである。 


70年の護憲の歴史は、間違いだとして切り捨てるしかない。 

そうなると、日本が歴史の連続性を感じて継続できるのは、一億総中流と言われた時代である。 現状のまま貧富の格差が広がれば、日本人は歴史的なアイデンティティを失うだろう。

第二次世界大戦とチャーチル - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

はポジティブな歴史の必要性を伝えたいためだけに書いた記事である。


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弁護士が無能すぐるww④

山口紗世子弁護士を懲戒請求した後、 

(こりゃ他の弁護士もなんかへましそうだなぁ) 

と思って3月に山形県弁護士会を通して弁護士を紹介してもらったところ、諸橋哲郎という弁護士に相談してもらうことになった。

 「どういった話でしょうか」 

「印税に関する情報を全く教えないということで…」

 「契約書は?」 と諸橋弁護士。 (来たな) 自分のペースで話を進めようって魂胆だ。 

実は鞄の中はぐちゃぐちゃで、契約書がどこにあるかわからないwww 本当は順序立てて話す気なんか全くなかった。この相談で聞きたいことはひとつだけだった。 


10分くらい探して、やっと契約書が見つかって諸橋弁護士に見せると、 

「相手が嘘を言っているなんて証拠なんかないじゃないですか」 と諸橋。 

「『嘘を言っている証拠がある』なんて言ってないじゃないですか!疑わしいという証拠があると言ったんですよ」 と、

弁護士が無能すぐるww① - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた、2016年3月のデータと一緒に2014年3月の手紙が入っていたことを伝えた。すると、 

「こんなの何の証拠にもならない」

 と諸橋弁護士、調べる気がないのがバレバレwww 

「及川弁護士は裁判をやっていく中で相手方から有利な情報を引き出していくしかないと言ってましたけどねぇ」 というと、 

「私は及川さんと同じ会社でもなんでもないんでね」 と諸橋。 

もちろん、及川弁護士の言うように、裁判で相手の情報を引き出せるなんて期待はしていない。 


「じゃ、国税通則法74条の2はどうですか?」 

「知りません」

 「ーー知らない?」 

呆れた。弁護士が国税通則法の条文について知らないと言ったのである。 

「関係ありません」 諸橋は言った。 

(言い直したって無駄だよ)

「これは、税務署が税金をとるための法律です」 と諸橋が言うので、私は条文を読み上げた。

第七十四条の二 国税庁国税局若しくは税務署(以下「国税庁等」という。)又は税関の当該職員(税関の当該職員にあつては、消費税に関する調査を行う場合に限る。)は、所得税法人税、地方法人税又は消費税に関する調査について必要があるときは、次の各号に掲げる調査の区分に応じ、当該各号に定める者に質問し、その者の事業に関する帳簿書類その他の物件(税関の当該職員が行う調査にあつては、課税貨物(消費税法第二条第一項第十一号(定義)に規定する課税貨物をいう。第四号イにおいて同じ。)又はその帳簿書類その他の物件とする。)を検査し、又は当該物件(その写しを含む。次条から第七十四条の六まで(当該職員の質問検査権)において同じ。)の提示若しくは提出を求めることができる。

一 所得税に関する調査 次に掲げる者

イ 所得税法の規定による所得税の納税義務がある者若しくは納税義務があると認められる者又は同法第百二十三条第一項(確定損失申告)、第百二十五条第三項(年の中途で死亡した場合の確定申告)若しくは第百二十七条第三項(年の中途で出国をする場合の確定申告)(これらの規定を同法第百六十六条(非居住者に対する準用)において準用する場合を含む。)の規定による申告書を提出した者

ロ 所得税法第二百二十五条第一項(支払調書)に規定する調書、同法第二百二十六条第一項から第三項まで(源泉徴収票)に規定する源泉徴収票又は同法第二百二十七条から第二百二十八条の三の二まで(信託の計算書等)に規定する計算書若しくは調書を提出する義務がある者

ハ イに掲げる者に金銭若しくは物品の給付をする義務があつたと認められる者若しくは当該義務があると認められる者又はイに掲げる者から金銭若しくは物品の給付を受ける権利があつたと認められる者若しくは当該権利があると認められる者

 

すると、 「私は税務署ではありません」諸橋は言いきった!! 

「これは我々が不正に収入を横領されないための法律じゃ…」 

「違うでしょ。税務署が税金をとるための法律でしょ」

 いや目的はそうなのだ。しかしそれが我々が不正の調査のために税務署に話せない理由にはならない。 

「じゃあ我々は聞けないんですか?」 

「聞いてみたらいいじゃないですか。聞いて下さい」 

「ーーもういいです」

 私は退出した。


 最後の「聞いてみたらいいじゃないですか」という諸橋の言葉には、もう1つ問題がある。

 国税通則法第77条

 不服申立て(第七十五条第三項及び第四項(再調査の請求後にする審査請求)の規定による審査請求を除く。第三項において同じ。)は、処分があつたことを知つた日(処分に係る通知を受けた場合には、その受けた日)の翌日から起算して三月を経過したときは、することができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない。

 

とあるように、処分から3ヶ月経つと不服申し立てができないのである。


 懲戒請求とは別に苦情相談もできるので、弁護士会から休日に電話を貰うようにした。 

昼頃に外食をしようと車を運転していると電話がかかってきた。

 電話に出れないので、昼食後にかけようと思ったが、 (向こうから電話がかかってくるだろう) と思って、そのまま寝てしまったwww。

 夕方、電話がきて目を覚ました。

 「県弁護士会副会長の羽生田と申します」 と電話の向こうから。

 私は一部始終を話して、 「実は私、2016年の8月に税務署に行って話をしておりまして、その際にもし不正があっても、秘密に関することは教えられないと言われております」 と言った。

 はーい、これで出版業界、役人、弁護士のトライアングルせーりーつ♪

 あ、もちろん録音も録ってますよ。諸橋弁護士との会話もね。 

まあ税務署が処分を理由に不服申し立てをはねつけた証拠を掴んだわけじゃないけど、刑法35条の正当行為でこの情報は教えられるし、公務員試験で六法も勉強する公務員が職務に関係する刑法35条を知らないはずないしねwww。 


諸橋が「聞いてみたらいいじゃないですか」と言ったのは、この77条を教えずに不服申し立ての権利を失効させる作為である。 

「弁護士はみんなぐるになってます。被害者の立場にたつ弁護士なんか一人もいないでしょ?」 

「いやぁ、結構いますよ」

 「名前あげられないでしょ?」 私が聞くと羽生田さんはやはり答えない。

最後に、

 「お電話ありがとうございました」 と羽生田さん。

 「いえいえ、電話を頂いたのは私の方なので」 

「……」 

電話もらったのにお礼言われちゃったよwww 


今の時代、法律の情報はネットですぐに手に入る。 

その程度の情報で嘘を言うようなレベルにあぐらをかいて弁護士が不正を続けていられるのは、日本の親の訓育が良くないからだろう。


 今月12日付で諸橋弁護士の懲戒請求を行った。 古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。