坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

「水瓶座の女」の著者坂本晶が、書評をはじめ、書きたいことを書きたいように書いていきます。サブブログ「人の言うことを聞くべからず」+では古代史、神話中心にやってます。 NOTEでもブログやってます。「坂本晶の『後悔するべからず』 https://note.com/sakamotoakiraxyz他にyoutubeで「坂本晶のチャンネル」やってます。

対立を解消するための「保守本流」

日本学術会議の任命拒否についても、安倍政権とは対応が全く違う。安倍政権はもっと横暴だった。

 

そもそも安倍政権なら、日本学術会議などというマイナーな組織を狙いはしないのである。

 

菅政権は本当に安倍政権の継承政権なのか? - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で書いたが真っ赤な嘘である。安倍政権でも現状では日本学術会議の任命拒否以上の横暴などできはしない。
安倍政権と菅政権の性質の違いが問題なのではない。現状が問題なのである。
今、民心は疲れきっている。

護憲と改憲の対立構造を破壊すれば、建前と本音で問題の本質をごまかす議論が払拭された自由な議論ができるとずっと思い、私はずっとこの構造、特に建前である護憲を攻撃してきた。
今年になって、この構造は破壊された。破壊されたと私は思っているが、それで本質的な議論ができるようになったのではなかった。少なくとも目下起こったのはそういうことではなかった。
対立の図式がある間、対立する集団への攻撃は度を過ぎたものも多くあり、今年の集団同士の対立が今までより先鋭的だったとは必ずしも言い切れない。
今年の集団同士の対立の特徴は、厳しい対立の中でも所属する集団への安心感が無くなったことである。安心感の無さが更なる次の標的の攻撃となり、次々と標的を変えたり泥沼の応酬を続けることになったりして終わることがない。誰もこの対立と攻撃の連続を止められないことに疲れきっているのである。

日本の知識人はどれだけスタイリッシュに表面を飾り立てても、本質は同質なのである。その同質性をごまかすためにスタイリッシュなことを言い続ける。

 

自らをスタイリッシュに飾る知識人にベーシックインカムは実現できない - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたが、私が言わなくても、そんなことはみんなわかっているのである。ただみんな言わないだけである。
リベラルだろうが自由経済主義者だろうが、みんなその裏にある暗さを見抜いている。だから自分達を正しいと信じるためには、神輿を担ぐのではなく他者を攻撃するしかない。それを続けることでしか自分を信じられないのである。
10月になると、他者を攻撃する風潮が衰えてきているのが、肌感覚で感じられるようになってきた。だから菅政権も、日本学術会議以上の組織に対し横暴を振るう演技ができなかった。

news.yahoo.co.jp

ここまでで、大阪都構想の賛成と反対の差がずいぶんと縮まってきている。最近ではまた賛成派がリードするようになって、嘘か真かその理由を山本太郎氏のせいにされているが、維新が挽回するような行動をとっている様子もないので、賛成派のリードが持続するかどうかは不透明である。
しかし都構想の賛成派が減少するのは、ある程度想定できていたのである。なぜなら現状、住民投票に熱を感じられない。どこか冷めた目で見ている。その画期性に心が躍らない。

ここで言う「保守本流」とは私が学術用語を借りて私が勝手に意味を付け替えたもので、本来の保守本流とは、平たく言えば吉田ドクトリンを継承する系譜である。保守本流の反対の用語が保守傍流で、戦後民主主義に批判的な思想の系譜であり、その分反動の要素を持ちやすい面がある。現在保守本流の系譜に属するのは麻生財相であり、保守傍流に属するのが安倍前首相である。
他の言葉が思いつかなかったのでこのように呼ぶのだが、私が言う「保守本流」とは、ひとつには「血脈」による要素がある。
断っておくが、私は世襲議員に対しては否定的である。
だからこの「血脈」にはもうひとつの要素があって、それは国家の興隆期、つまり明治維新と戦後の高度成長期に政権を担った者の「熱気」を受け継いだ者達でなければならない。つまり大久保利通の玄孫で吉田茂の孫の麻生財相と、岸信介の孫の安倍前首相である。「血脈」は「熱気」を受け継ぐために必要で、この「熱気」は高度成長期のような、脇目を振らずに上を向いて進む時期でないと形成されないもののようである。安定成長期に入った時点で既に迷いが生じているようで、だから私は田中眞紀子氏が政界の潮流を生み出さなかったのは女性だからとは限らないと思っているし、小泉進次郎氏が父親から精神的な何かを受け継いだとも思っていない。
そして「保守本流」の3つ目の要素であり最大の特徴と言えるものは、保守でありながら伝統や慣習を現実と向き合わせた場合、伝統や慣習を放棄せざるを得ないという保守精神の溶解を経験しながらも、「熱気」と本人の資質で自己と政治思想を再構築したことである。「保守本流」の二人の自己再構築の仕方は、『東京喰種』の石田スイに感じた私なりの石田の人物像に非常によく似ている。
こうして二人が形成した政治思想は、護憲をはじめ新興の国政政党を見ても、この二人以上の政治思想は持っていないだろうというのが私の実感である。
この「保守本流」の二人の真意を知りうる者が二人を支持していけば社会の復興は継続が可能である。またこの二人が政権の中枢にいなくても、菅政権のように安倍政権の路線の継承を唱えれば、同様に社会復興は継続可能である。

最後に私の小説の印税が横領されている件についてだが、水面下で相当の反響があるのは気づいている。
そこで私はみんなに対して投げ掛けたこの問題を私の手に戻し、一人でこの問題を社会的に取り上げられるように道付けする努力をしようと思う。
権利を放棄したのではもちろんないし、この件についてマウンティングしてくる者はこれからも潰していくが、それで私に見下されていると思う必要はない。人が対等に接する限り、私も対等に接していく。
記事に星を入れてくれた者に私が星を返さなかったのは、この問題を拡散しない者に星を返すべきではないと思っていたからだが、これからは星をくれた人にはちゃんと返していく。
この件についてコメントをしてくれてもこちらから協力を求めることはないし、この件に触れずにコメントしてくれても咎め立てはしない。もちろんこの件について知らないふりをする必要はない。
このような次第なので、私を知る政治家や社会的指導者その他有志の方々は、私に気兼ねすることなく、民心の安定と対立の解消に尽力して頂きたい。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

自らをスタイリッシュに飾る知識人にベーシックインカムは実現できない

www.asahi.com

出ました吉村総理。5月から6月にかけてあちこちで記事が出てたけど、そもそも橋下さんが普通に政界復帰すると思っていたから何でこんな記事があちこちから出てくるのか未だに全くわからないんだけどwww。
ツィッターを見ると、吉村氏のフォロワー数は109万と、4ヶ月ほどの間全く増えていない。
一方松井一郎大阪市長の方は、こちらは常に見ていた訳ではないので記憶はあやふやだが、現在フォロワー数は39万で、3、4ヶ月ほどで10万から20万くらい増えている。
吉村知事は、維新のイメージ戦略で全面的に押し出している政治家である。その吉村氏のフォロワー数が全く伸びておらず、松井市長のフォロワー数が伸びる。有権者の屈折した感情が読み取れる。
これが改革というものだと言えばその通りである。今都構想の住民投票が進行中だが、その改革の努力は単なるフォロワー数や人気とは違うもので報われるし、そうあるべきである。ただし後ろ暗いところがなければね。

www.moneypost.jp

だが、1億2000万人に月7万円支給するためには、年間ざっと100兆円の財源が必要になる。問題は、そのカネをどこから持ってくるかである。全部消費税で賄おうとすれば、消費税率を50%に引き上げる大増税が必要な金額なのだ。そこで竹中氏が提案しているのが「社会保障財源」をあてる方法だ。現在、年金、医療、介護、失業保険、生活保護などの社会保障支給額は年間約120兆円(2019年度)。それを国民が支払う年金や健康保険などの保険料(約71.5兆円)と国庫負担(約34.1兆円)、地方税(約14.7兆円)、年金積立金の運用益などで賄っている。その財源をベーシックインカムの支払いに回せば足りるという。

 

っていうかベーシックインカムって元々そういう話なんだけど。
ベーシックインカムには複雑化した社会保障を一元化することで社会保障の効率性を高めるという側面があるが、結果的には社会保障の支出は増大する。
もっとも健康保険をベーシックインカムに組み入れるべきかどうかについては意見が分かれていて、私は目が飛び出るような難病もあるのに、その医療費を支出すべき健康保険をベーシックインカムに組み入れるのは反対である。

ベーシックインカム」(BI。最低限所得保障)の導入をテコに従来の日本の社会保障制度を根本的に変えてしまおうという狙いだ。改革のメインターゲットは年金制度の廃止。高齢者は社会保険という“共助”も、国の支援という“公助”もなく、「自助」だけで生きて行けという近未来が待ち受けている。

 

そもそも現在の社会保障ベーシックインカムをそのまま上乗せしようというぶっ飛んだ論者はいない。なんか最近変な議論が多いな。
このベーシックインカムを菅政権が押し進めようとしているとのことだが、はたしてそうか?

安全保障に関して、アメリカが極東から後退して孤立主義に向かう懸念がある中で、私の安全保障に対する考えは正直に言えば行き詰まりを見せていた。しかしここにきて、光明というべき意見が散見されるようになった。
それは、日米安保を維持しながらも、外交面では必ずしもアメリカ寄りではなく、特に経済的な結びつきを中国と深めることで中国に利益になる国だと思わせ、中国の海洋進出を思い止まらせてシーレーンを維持しようというものである。
なるほどと思ったが、すぐに次の障害にぶつかった。国際関係において、経済的利益が常にナショナリズムに優先されるという保証はない。現在トランプ大統領アメリカは中国を敵視しているが、経済的には不利だと常に指摘されている。中国もまた、海洋進出という野望を捨ててまで、経済的利益に飛び付く保証はない。
日本は全体での労働生産性は高くとも、ひとりあたりの労働生産性は先進国中最低ランクである。
中国と向き合う国の数が少ない極東で中国に対抗するには、外交力に加え、かつてのヴェネチアか、現代のシンガポールほどとは言わなくても、それに準ずる国際競争力、労働生産性を得なければならない。

ちきりん氏はかつてlT技術者を増やす教育を行うべきだと主張したが、これはベーシックインカムの社会モデルと比較して二段階下のモデルと言える。
別にちきりん氏の主張を否定したのではなく、ベーシックインカム現代日本にとって手の届かない高レベルの社会モデルだと私は言いたいのである。
ではベーシックインカムより一段低い社会モデルは何かというと、それは教育を不要とする社会である。
私が学生の頃から言われてきたことだが、海外では高校までは自由に過ごせるようにして、大学からは専門的な教育を徹底的に叩き込まれる教育システムになっている。
速読術も学ばなければならないし、その大学で成績が追い付かないと、ランクの低い大学への転入を進められたりする。
日本の教育制度も私が若い頃と違って色々改善されてきたが、根本的なところで変わっていない。その理由は日本の教育制度が没個性を目指すもので、教育改革はこの教育制度を問題視して解決しようとするふりをして小幅な修正に留め、現状を維持することを真の目的としているからである。
教育改革を目指す限り、現状は今後何十年と変わらない。この泥沼を一気に解決するのが教育不要論である。
海外の教育制度は、教育不要論の一歩手前にある。人間の個性が専門性を要求するようになるまでは自由にさせ、専門性を求めるようになったところで教育の進捗を管理する。
教育不要論は、必要な人材の確保という点で難があるが、それを社会の全AI化によって補い、ベーシックインカムにより人が働かずに自由に動けるようにすれば、日本の国際競争力は他の先進国を越え、中国の野心を思い止まらせるに十分な経済的利益を提供できるようになる。
今ここまで理解している人がどれだけいるだろうか?ここまで理解していないなら、単にコロナ禍により先進国でベーシックインカムの実験が始まったことに便乗した人気取りに過ぎず、ベーシックインカムさえ実現せずにうやむやに終わらせるだろう。

ベーシックインカムにどれだけ本気で取り組んでいるかは、その人の行動を見ればわかる。

news.yahoo.co.jp

答えは簡単です。シラク3原則をそのまま導入する、つまりフランスのマネをすればいいのです。 そして育児休業は男性にも3ヵ月ぐらい強制的にとらせる。もちろん根元にある男女差別をなくさなければならない。 男女差別をなくす一番簡単な方法は、性分業にメリットを与える配偶者控除と年金制度の第3号被保険者制度はなくし、女性のロールモデルを創出するクオータ制を導入することだと思います。 ヨーロッパの先進国が実施して、多少なりともうまくいっている取り組みを日本でもそのとおりやればいいだけの話ですよね。

 

結婚できないような低所得者層を完全に除外して「答えは簡単です」と言ってしまっている。
私のような氷河期世代熟年結婚以外の選択肢はほとんどないが、それで人口が増えないとでも思っているのだろうか?結婚や出産についての価値観の多様化は少子化問題を考える上での前提で、フランスも価値観の違いを取り入れて出生率を増やしてきたはずである。
出口氏が低所得者層が結婚できないのを完全に問題外にして「答えは簡単です」と言うのは、自分に少子化問題を解決できないのがわかっているからである。

news.yahoo.co.jp

日本には定年という慣習がありますが、僕にいわせれば「実に愚かな仕組み」です。「何歳まで働くか」はよくある問いかけですが、年齢に意味はありません。

 

派遣社員を直接雇用して終身雇用制を打破するまで、定年はあった方がいい。

business.nikkei.com

言っていることは正しい。問題はこういうことを派遣の問題を絶対に語らない者が言うことである。派遣の問題を日本ほぼ全てが語らないことで完全犯罪が成立している日本人の同質性はどれくらいかということに全く考えが及んでいない。この同質性の高さで、既存知の距離の遠いダイバーシティがどれだけ実現できるというのか?
日本の知識人はどれだけスタイリッシュに表面を飾り立てても、本質は同質なのである。その同質性をごまかすためにスタイリッシュなことを言い続ける。
「せめてG7で真ん中あたり、アジアでもトップ5には入ってほしい」と言うが大間違いで、先進国のトップクラスに日本はならなければならない。そうでなければ、中国を封じる経済力とはならない。
出口氏は中国の圧迫を受けている日本を「正しく現状認識して」いない。なぜなら根本が他者と同質だからである。
そしてイノベーションを起こすことができず、結局合理化を唱えるようになる。その繰り返しが起こるだけである。
都構想は画期的だが、都構想を含めて知識人の主張を全て取り入れて改革を行ったところで、日本の国際競争力はその順位をひとつかふたつ上げるのが関の山である。
そして表向きスタイリッシュに飾り立てて合理化を唄いながら、個人を自由にして多様性を生み出す政策は人気取りとして一時的に取り入れながらも必ず潰す。

多くの知識人の経営についての話を見てきたが、正直私にはほとんどわからなかった。
それは自分に経営の才能がないのではないかと思わせるほどだったが、鴨頭嘉人氏の動画を見てその理由がわかった。誰も現場のマネジメントを語っていないのである。鴨頭氏だけが現場のマネジメントを語っている。
知識人が現場のマネジメントを語らないのは、現場の不正は放置したいからである。私はマネジメントとリベラリズムは一致すると思っているが、知識人達はそれぞれを別のものとしておきたいのである。知識人、または経営者にとっても、現場は抑圧の場でしかないのである。
そしてデータの改竄などの問題も放置され、何年か経ってそのしっぺ返しを食らうことになる。
こんなことで国際競争力を向上できる訳ないだろう。

だからベーシックインカムを本気で実行する気があるか否かは、今日本の問題が最も集約されている派遣の問題を語るか否かである。派遣の問題を語らないならば、ベーシックインカムもまた闇に葬られるだろう。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

菅政権は本当に安倍政権の継承政権なのか?

「敵の敵は味方」「昨日の敵は今日の友」 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

を書いてから4ヶ月経つが、未だに「敵の敵は味方」「昨日の敵は今日の友」の行動原理で動く者を見ない。
むしろ、同調性が強化されて没個性になっている。今の時代信念に生きることに意味なんかないのにwww。それこそ長年の盟友関係を切り捨てて菅首相についた誰かさんとか、昔の大河ドラマ太平記』の 陣内隆則演ずる佐々木道誉のように「ワッハッハ!!」と大笑いしてさっきと真逆のことをいうくらいふてぶてしい人間が今の時代に必要なんだけど。
そこで変わりたいと思っている人に一言アドバイス。自分の属している組織やグループに腐敗や衰退の匂いを嗅ぎとったら一目散にそこから抜け出すこと。
逃げる時にみんなで逃げても同調圧力に抵抗する個性は作れない。勝負すれば勝負勘がつくように、衰退するところからいち早く逃げれば嗅覚が身に付くのである。

news.yahoo.co.jp

10月になったというのに、この時点で「菅首相」と呼んでいる記事を見たことがほとんどないことに気づいた。
もっとも先月の16日に首相に就任した菅氏が「菅新首相」「菅新総理」と呼ばれるのは許容範囲である。しかしこの記事が異様なのは主語を抜いて文章が続いていることで、最後の方で「菅総理」とかかれるまでセリフの中でしか名前が呼ばれない。単に菅首相の欠点を指摘したのではなく、菅首相を認めないという底意を感じる記事である。

総理大臣は「首相」と呼ぶのが7、8割で、「総理」と呼ぶことは少ない。
その理由は、メディアにとって政権は対立勢力だからである。だから「政権」と呼ぶことが多くても、「内閣」と呼ぶことが少ない。「内閣」というのは内輪の感覚なのである。しかし記者は会見の際は「総理」と呼ぶので、たまに内輪感覚がでる。しかし記者会見で「総理」と呼ぶのは、正式名称に近い方が正しく、マナーに則っているということである。それが記事で「総理」と呼ぶと、「首相」より軽んじている印象となる。その理由は、我々は普段こういう言葉の起源を忘れているからである。
内閣総理大臣」は正式名称だが、文章の冒頭でならともかく、一度「~首相」と書いてから「~内閣総理大臣」と書くと、その人を人間と思っていないくらい不敬な印象を与えてしまうから日本語って不思議。

ところで菅内閣総理大臣だが、中小企業の統合再編、地銀の再編などを唱えているが、それのどこが安倍政権の路線継承なのだろう?
今の菅政権には、「継承政権らしさ」がないのである。

…とこう書けば、正式名称で首相を呼ぶことの不敬さがわかるでしょ?www。
こうなるのも、メディアの対立する姿勢というのが建前に過ぎず、本音では権力にすり寄っているからである。いわば

日本の二元論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

の二元論、そして護憲と改憲の構造と同じだが、我々は公正な社会を望んでいるように見せながら、本音では時の総理に「死ね」と言われたらその場で首を吊ってしまわなければならないほどの隷属を他者に要求しているのである。

菅政権の安倍政権の路線の「継承政権らしさ」に戻そう。
地銀の再編などは安倍政権がやろうとしていたことなのかもしれないが、安倍政権が続いていれば今地銀の再編をやっていたはずだという必然性が感じられないのである。
デジタル庁についても、公文書の公開を渋っていた安倍政権のやりたいことだったとは思えない。
デジタル庁の意味は、コロナ禍でのマイナンバーカードによるネット投票での衆院選実施にある。ならば衆院解散を実施する努力をするべきなのだが、菅政権はむしろ衆院選を回避しようとしているように見える。そもそも8月28日の安倍前首相の辞任記者会見までに調整は進んでいたはずだから、臨時国会も9月末から今ぐらいには開催できたはずである。今月の26日開催などあり得ない。
デジタル庁にはもうひとつ意味があって、安倍政権が対コロナ政策として、貧困層向けに一人当たり30万円の定額給付金を配ろうとして、時間がかかり過ぎて断念し、国民一人当たり10万円の定額給付金に切り替えられたという経緯があった。所得の把握には行政のデジタル化が必要だったのである。そういえば10万円の定額給付金に切り替えて岸田前政調会長の案を潰したのは菅さんだっけ?ありがとう菅さん!!おかげで俺も定額給付金をもらったよ!
さらに言えば、新型コロナを指定感染症2類から4類か5類に引き下げると安倍さんの辞任記者会見で述べたが、未だに引き下げがされていない。
新型コロナはインフルエンザに比べて危険度の低いウイルスなのがわかってきており、これから冬を迎えるに当たり、新型コロナによって植え付けられた恐怖心を払拭する必要がある。ぐずぐずしてると引き下げても場当たり感がが出て、国民の信頼を失ってしまう。

日本学術会議の任命拒否についても、安倍政権とは対応が全く違う。安倍政権はもっと横暴だった。
全盛期の安倍政権の特徴は、権力は横暴でありながら、社会全体にはリベラルな政策を取り入れ、しかも保守派も同意できるラインにうまく着地させていくことだった。また安倍政権で格差が進んだという指摘もあるが、最低賃金を少しずつ上げてきたことと、失業率が低かったことで、総合的にどの層の人々も一定の満足のいく政策がなされてきた。
しかしそのためには、国民をヒヤリとさせるようなこともしばしば行ってきた。教育勅語の話云々などで、安倍さんはやはり反動家なのかと何度も思ったし、高度プロフェッショナル制度の可決では、遺影を手にした過労死遺族の前で可決成立させるなど、安倍政権のヒール(悪役)ぶりを指摘するに留めたが、本当は胸が痛かった。
そもそも安倍政権なら、日本学術会議などというマイナーな組織を狙いはしないのである。

今のままでは冬のコロナ禍で国民を疲弊させ、来年の総裁選では菅首相は惨敗、運良く再選されても衆院選で自民が惨敗するという結果に陥るのが目に見えている。
菅政権は、もう一度安倍政権の路線を継承した政権であることを大々的にアピールし、いつやってもよさそうな再編事業などではなく、ポスト安倍政権らしい骨太の政策を実行すべきである。

news.yahoo.co.jp

f:id:sakamotoakirax:20201006231215p:plain

 

なぜか魚拓が取れなかったのでスクショを貼るが、都構想賛成が反対に5ポイントも差をつけているのにこんな発言は不要。もっとも万一否決されてもまたやるけどねwww。都構想は道州制起爆剤なので外せないのである。都構想をやめるなら、維新は解党しなければならない。そんなことより

diamond.jp

簡単にいえば、ダーウィンの進化論と一緒で、APUが日本初の学長国際公募を実施したとき、推薦されて選ばれてしまったので、あきらめて頑張るしかないというのが根本です。人間の人生はいろいろな人との出会いなどの偶然で決まるので、僕は自分で人生は選べないと思っています。

 

都構想のイメージダウン。こういうのをなんとかしろ。

今月は全部メインブログ更新でいくよー!!
多分来月もそうするよー!!
場合によっては再来月もそうするよー!!
みんなついてこいよー!!

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

ベーシックインカムとMMTは全く似て非なるもの

派遣の問題は、派遣社員も含めて歴史的に抹殺すべき対象となったようである。

「合法的な請負」のほとんどは労働者供給事業 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

ウィキペディア偽装請負の法解釈の捏造を指摘したが、改める様子は全くない。
沖縄米軍基地問題と比べても、偽装請負の問題は質が全く違ったものになっている。沖縄米軍基地問題は今は基本議論されていないが、時期がきたら議論する心構えは国民が共有している。
派遣社員は現在、正社員よりはるかに自由である。私も正社員に基本敬語で話すのと、仕事納めに「よいお年を」というくらいしか習慣が残っていない。仕事納めに「よいお年を」と言わない派遣社員がいても全く以外に思わない。それくらい自由である。
現在護憲派のかつてのリベラルはパワハラについて全く語らないが、弁護士や社労士が対応することでパワハラは改善傾向にあり、他のリベラルの諸問題も弁護士を含めて役割を担当する組織が必ずあって、社会のリベラル化はなお前進傾向にある。芸能人で誰かが自殺すれば必ず問題として取り上げられる。それくらいリベラルは定着している。
派遣に対してもパワハラは適用される。ただそれが派遣の違法性に起因するもので、違法性を語る必要がある時だけ完全に法の埒外に置かれるのである。そういう意味でも、派遣は自由であって、ただその自由が実際に奴隷でありながら、正社員と平等に扱われているという擬制と現実忌避感情によって担保されているだけである。

しかし派遣の問題が、歴史的に抹殺が完了したと日本人の間で認識が共有された場合、近代国家から古代国家への歴史の退行現象が起こる。
退行現象なので、今のリベラル前進傾向は全て逆に向かい、パワハラもセクハラも肯定され、LBGT差別を止める者はいなくなる。世界中から奇異の目で見られても気に止めず、それまで無意識に歴史退行に向けた不作為の行為に及んでいただけの者が、意識的に歴史退行に協力するようになる。

日本の二元論 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べた二元論自体を私は評価していないが、日本が国際的に最低限の秩序を保つ機能があることは認めている。しかし歴史退行により、二元論は崩壊する。
二元論の一元化は

定言命法に達しなかった日本人 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたように定言命法またはそれに準ずる何かを作るのに必要だが、日本人の規範意識は無いに等しいので、日本人全てを無謬にする主張ばかりになる。

日本の一元化による総無謬化の総仕上げが終身雇用の固定化であり、それを実現するのがMMTである。
れいわ新選組は現在護憲を標榜しているが、護憲のための政党ではない。護憲でなくなってもいいように準備している政党である。
右翼はケインズ政策による完全雇用を目指している。一方失業者に対しては、「働く努力もしないで」と言う。右翼にとって完全雇用が理想なら、失業者を誹謗中傷する必要はないはずである。
それではコロナ禍で休業要請を受けなかった自営業者や、コロナ陽性で外出して感染を拡大した者に右翼は何をしたか。「自粛警察」となったのである。
実は「自粛警察」が右翼が主体だという点で私は確証を得ていないのだが、「自粛警察」の言動のパターンは右翼と著しく類似している。だから「自粛警察」に右翼がいたはずだという点で、私は確信を持っている。彼らの本音は、自分を正当化できれば何でもいいのである。
二元論から一元論への移行は、左派が右翼的になるということである。
そして今、その条件が整いつつある。立憲民主党の枝野代表は、日米安保を認めて地位協定の改善を主張するようになった。個別的自衛権合憲はどこに行った?
一方国民民主党から立憲に合流して枝野氏と代表選を争った泉健太は消費税廃止を唱えた。
泉は「コロナ禍における消費税凍結」とも言っており、廃止なのか凍結なのかはっきりしないところがあるが、消費税廃止に持っていこうというのが泉の目論見だと私は類推している。そして消費税廃止はMMTの前振りであり、終身雇用制絶対維持が維持が最終到達点だと思っている。

「人が死なないために」と山本太郎は言う。
真逆である。終身雇用制の特徴は、法も含めた公正さの完全無視にある。
終身雇用の中で被害に遭った場合に、努力により生き残る方法は100%ない。被害者の言い訳を終身雇用の中で聞いてもらえることはない。文字通り「言い訳」として完全に否定され、淘汰されるのが関の山である。
この終身雇用の暴力が、多くの自殺者を生んできた。日本はパワハラの防止に取り組み、毎年自殺者を減少させてきた。
れいわが貧困層を救うのに、政権を取る必要は全くない。派遣を含めた低所得者層の労働運動や裁判を政治活動と両立させればいいだけである。
山本は貧困者から寄付を集めているが、それは貧困者を逃げられないようにする共依存行為である。
寄付をした者はれいわに裏切られたと思うより、自分の行為を正当化するために現実から目を背け、一層れいわを支持するようになる。
そんなれいわの山本は、4年間国民一人に10万円を配ってもインフレ率は2%に達しないと主張している。

news.yahoo.co.jp

アホか!!そんなに配って2%に達しないほど日本の労働生産性が低い訳あるか!!

最近ベーシックインカムについて語られることが多いが、ベーシックインカムMMTは似て非なるものである。
MMT完全雇用を目指すが、ベーシックインカムは「人間が働かなくていい社会」を目指す。
「人間が働かなくていい社会」は、人間の精神の怠慢ではない。ベーシックインカム支持者は、労働から開放された人間の爆発的な生産力、競争力を信じている。そして期間の限定がなく、失業保険も年金も不要な額のベーシックインカム社会に到達するには、日本の国際競争力を極限まで高めなければならない。MMTは非効率を増やすだけである。

闘争は人間を強くする。
リベラルは人間をヒューマンにする。
炎上商法を含め、戦う人間をその人に信念があると認めれば私は支持してきたし、リベラルな人は将来私に協力するかどうかを脇に置いてさえ、一定の評価を私はしてきた。
では闘争を、リベラルを突き詰めれば、派遣の問題と向き合える人物は表れるか?今年になって、私は一人も現れないと結論づけた。
職場の人間で、「勝頼病」ならぬ「派遣病」と名付けた人物がいる。彼とは最初意気投合したが、私が派遣の問題を語ると最初は部分的に、そして次第に全否定するようになった。
いくら何でも犯罪要素はめったに語れないので、私はその「派遣病」患者としゃべらないことにした。

日本人に派遣の問題を認め、語らせる方法はひとつ、無理矢理見せつけるしかない。背ければ首を固定し、目を瞑れば指でその目を開かせる。つまり荒療治で、そんなことは戦争で大敗北でもしない限り不可能である。また日本がメキシコやヨハネスブルグ並の犯罪国家になれば可能だが、それではいけない。
日本がそうならないというのではない。今のままでは間違いなく日本はヨハネスブルグになるただそれを回避する方法を考えなければならない。

政界引退後一度も認めたことはないが、多くの人に政界復帰を望まれている橋下徹氏を、私は見解が違うことがあっても一貫して高く評価してきた。時々自らを犠牲にするような切り込みを行う姿勢も、私を魅了した。
しかしその橋下氏も、派遣のハの字も語ったのを見たことがない。
最近、派遣について語らない人物を、「派遣についてのみ信念がない人物」と見るか、「全てにおいて信念がない人物」と見るかを考えて、「全てにおいて信念がない人物」だと考えるようになった。
人口が減少し、高齢化する社会で派遣という中間搾取を放置するのは全くの無駄である。
橋下氏はベーシックインカムに言及したことはあるが、最近はちょっと距離を置いているようである。
もし橋下氏が再びベーシックインカムに言及することがあれば、私は「今」橋下氏がベーシックインカムを実現しようとし、「今」ベーシックインカムは実現できると信じているのを疑わないだろう。
しかし次第にベーシックインカムの実現を信じられなくなり最後に全くベーシックインカムを議論しなくなるだろう。そして日本を競争社会にできなくする。山本太郎が貧困者を救えないように。
それを私は終身雇用とMMTに「飲まれる」ことと考えている。「負ける」のではなく「飲まれる」のである。最後に橋下氏は、自分が終身雇用に憧れているのに気づく。
「死ぬ直前に後悔しない生き方」という意味のことを橋下氏はよく言うが、終身雇用とMMTに「飲まれる」人生は後悔しない人生だろうか。

日本が壊滅するようなことがない限り派遣の問題を解決するのは不可能だが、今年に限り、派遣の問題を解決する材料が揃っている。それも3ヶ月の間だだけ。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

「底抜けの善人」ほど悪い奴はいない

f:id:sakamotoakirax:20200922195242j:plain


ロベスピエールはフランスでも決して評判が良くない。
その理由は恐怖政治により、多くの人がギロチンで処刑されたからだが、アメリカ独立革命と違い、フランス革命ではこの大量処刑は必要なことだった。

f:id:sakamotoakirax:20200922151804j:plain


「代表なくして課税なし」を革命の根拠にできた新天地アメリカと違い、フランスでは王権神授説がすっかり根付いていた。王党派は無視できない勢力であり、地方では王政の復活を求める声も強かった。
加えて、外国からは革命を危険視されていた。
ロベスピエールはそういう状況下で、革命を守らなければならなかった。そのためにルイ16世をギロチンで処刑し、多くの人をの命を奪った。リヨンの町は破壊された上に町の名前を変えられ(ただし、町の破壊そのものはロベスピエールの命令によるものではない)、宗教色を排するために革命暦を施行し、さらに「最高存在の祭典」なるものまで挙行した。「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と語ったロベスピエールは、ルソーの一般意思を重視していた。

一般意志 - Wikipedia

これを発見するまでの過程は自由な討論であり、そこから全ての人にとって自分の問題でもあり全員の問題でもある事項が導き出され、それが一般意志となる。だが、これはあくまで全員に共通する意志であり、個人の事情や利害の総体ではない。全ての人が個人的な特定の事情をこの場限りで捨て去った時こそ共通の意志が明らかとなり、この共通の意志だけを頼りに社会が成立する。

 

多数決でも選挙によるものでもない一般意思を、ロベスピエールは恐怖政治により実現しようとした。そのためロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」と呼ばれる。
ロベスピエールは1793年に公安委員会に選出され翌年に死ぬが、生きていれば選挙は停止されていただろう。
しかし王権神授説のフランスを人民の手によるフランスに変えるには、ロベスピエールの存在は必要だった。ナポレオンによる帝政でさえ一般意思とポピュリズムの融合と考えることもできると思えば、ロベスピエールの行為は時代に適合したもので、間違いなく後の共和政に繋がっているといえる。
日本では冷戦崩壊以後、恐怖政治をもってフランス革命評価に価するものではないとする向きがあったが、そのような保守性行の主張は、当時のフランスの状況を無視したものであると思っていた。

ロシア遠征からナポレオンを見る - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

は、そのような思いも込めて書いたものである。

ロベスピエールのような、未だに評判が悪くとも歴史の方向性を決めるのに成功した人物もいれば、方向性を完全に誤った独裁者もいる。その代表といえるのがカンボジアポル・ポトである。
私のポル・ポトの評価は「底抜けの善人」である。
学校、病院、工場を閉鎖し、自由恋愛や結婚を禁止、子供を親から引き離し集団生活をさせ、文字を読もうとする者、時計が読める者、さらには眼鏡をかけている者まで殺害した。
現代社会は家父長制度から個人を中心とした社会に移行しようとしており、また教育についても、教育を根本的に不要、有害とする意見も出てきている。教育不要論は、暗黙にベーシックインカムと、社会の全AI化による「人間が働かなくていい社会」を想定している。だからポル・ポトの目指したところは、あながち間違っていたとはいえない。
間違っていたのは、それを徹底した反知性主義により実行しようとしたことである。子供が親から受ける影響には負の側面があり、それをなくそうしたという動機は理解できても、それを子供を無理矢理親から引き離して、子供がどのように育つのかについて全く考えていない。
児童虐待を見ても、子供を親から引き離すには慎重さが求められ、特に子供自身が虐待を否定した場合、虐待の事実があっても子供を親から引き離すことはできない。子供が親を肯定している以上、親から引き離しても子供にとってプラスにはならないのである。またおそらく現代もだろうが、当時のカンボジアの伝統的な農村社会を考えれば、ポル・ポトの行為は無謀そのものである。
ポル・ポトにより、カンボジアの人口は3分の2に減少したという。ベトナムに避難していたカンボジア難民がベトナムの援助を受けてカンボジアに侵攻すると、軍隊の指揮系統が粛清により崩壊していたカンボジア軍は溶けるように消えた。

マオイズムはしばしばポル・ポトのような反知性主義に陥る。
ポル・ポトの行為は、根は善意が動機となっている。
後先考えずに善意で行動するが、成果が得られないとそれを他人のせいにする。その悪循環を反知性主義が後押しするのだが、反知性主義に陥らずとも、「底抜けの善人」は大抵反知性的である。

同じ大量粛清で非難されるスターリンは、ウクライナの小麦で飢餓輸出を行ったことで有名だが、飢餓輸出で得た外貨で工業化を達成したという功績も指摘されている。
帝政ロシアにできなくてソビエト連邦以降のロシアにできたことは、農奴を国民に変えることである。農奴の存在がロシアの近代化を妨げたため、帝政末期には農奴解放という、一見ロシアらしくないことまで行っている。もっともこれはあまり効果がなかった。
スターリン独ソ戦ではヒトラーが独ソ開戦をしないという希望的観測にかけたためにモスクワ近郊まで攻め込まれるという失態を犯したが、ロシアでは焦土戦術は伝統的な戦略である。皇帝の権力が強すぎたロシアでは粛清等により人材が払底しがちで、しばしば近隣の強国に攻め込まれた。同様の問題は中国も抱えており、そのため中国は異民族に征服されがちだったが、ロシアは中国より広大な領土と厳寒な気候を最大限に利用し、焦土戦術により他国の侵略を乗りきってきた。
そしてスターリングラードの戦いを転換点として反攻した結果、スターリンは東欧を手に入れた。
第二次大戦を含めて、スターリンの事績は死者数から見れば陰惨そのもので、人口60万を超えたスターリングラード市は攻防戦により
9796人に減少した。スターリンの成果も結果からしか見れないものが多いが、それでもスターリングラードの戦いをロシアの偉大な事績としたい気持ちは理解できる。

知性も結果もない歴史ほど唾棄すべきものはない。
ポル・ポトのような人物は、独裁者でなくとも、権力の地位につけるべきではない。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

不合理な工場はとっとと移転させたい

r.nikkei.com

賛成。ということ今日は、次期総理最有力候補の菅官房長官が言ってくれなければお蔵入りにしようと思っていたネタをひとつ。

私は派遣社員として製造業で働いているが、工場というのはいくつかの棟が組み合わさってできているところが多い。
戦前の軽工業中心の経済から重化学工業に移行するにあたり、資本も限られている中で、用地を確保した上で一棟か二棟でスタートし、日本経済が発展するにつれて工場も事業を拡大して棟の数を増やしていくというやり方をしてきたからだと思う。
その後デフレの時代に入り、工場事業の見直しをするようになったが、見直しをしてもどうしても不合理な面が残ることがある。
私の工場での経験から言えば、工場勤務は肉体労働のため、ホワイトカラーに比べて場所を広くとる必要がある。
その分工場自体が広い立地をとらなければならないが、事業発展に伴って棟を増やすやり方は、あくまでその時期の事業展開に合ったやり方でしかない。事業を縮小して合理化する必要に迫られると、新たな不合理が発生しやすいのである。
例えば私が派遣された会社のひとつなどは、合理化して出荷先ごとに分かれていた出荷場をひとつにまとめたが、製造工程を移動させることができなかったため、最終工程から出荷場まで、往復約5分は時間をロスするようになってしまった。出荷の人は一日に10回以上往復するので、一日に一時間以上ロスしていることになる。
こういう不合理が発生した場合、根本的に解決するには工場を移転するしかない。移転しないで工場を改修しようとすると、何かの作業を止めなければならなくなる。事業に支障をきたすから移転するしかないのである。
移転してどのような工場を建てればいいかを素人ながら述べれば、できるだけ正方形に近い形にして、将来の事業の見直しの可能性を考慮して内部の仕切りを少なめにするのがいいと思う。しかしもちろん工場移転などができるのは、高い収益を上げている企業だけである。

製造業が日本経済の2割程度でしかないのはわかってますよ。
工業団地を作って企業を誘致したりするのが時代遅れだというのもわかってます。
私は今自動車産業に派遣されているが、現在都会ではカーシェアリングが進んでおり、自動車の販売は大幅に落ち込むとも言われている。カルロス・ゴーン後進国で自動車が売れるからそれほど落ち込まないとも言っているが、一方でEV車が実用化されてきている。EV車は自動車と根本的に構造が違うので自動車産業より家電業界の方が近いところがあり、自動車産業の苦境はまだ続く。製造業で工場を移転できるほどの収益を上げるのは難しいのである。一日一時間のロスをする社員が一人か二人いても、、工場移転による合理化を図るほど収益に影響することではない。
工業団地の工場は、大体合理化の必要に迫られた場合にそれが可能な方形の敷地がある。
しかし工業団地にない工場の中には、崖っぷちに立地している工場などもあるのである。崖っぷちだから当然敷地が細長くなっている。土地の有効活用なんかしなくていいから、こういう立地は止めてほしい。

こうして製造業は、日本においてその役目を終えるまで小さなロスを積み重ねていくことになる。
しかし中小企業を統合してくれるというなら話は別。それに合わせて工場も可能なものは統合し、新しいカッコいい工場を新設して徹底的に合理化を図ればいい。そんなことを考える今日この頃でした。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。

日本型ファンタジーの誕生(35)『進撃』:8自己犠牲、そして「宿命」の否定

かつて、自己犠牲の物語は日本にたくさんあったと思う。
「思う」というのは、『ドラゴンボール』のピッコロが俉飯を庇う場面の他一作品でしか、自己犠牲の話を思い出せないからである。自己犠牲の話は大抵感動の物語として語られるが、私は長い間、自己犠牲の物語に釈然としなかった。

ロシア遠征からナポレオンを見る - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

は、私の長年のこの想い、そして『進撃の巨人』22巻の衝撃を受けて書いた側面がある。

ウォール・マリア奪還計画を実行した調査兵団は、シガンシナ区で一転窮地に陥る。
ウォール・マリアの外から獣の巨人が岩を砕いた散弾で攻撃を仕掛け、シガンシナ区内では鎧の巨人により退路を塞がれ、何とか鎧を倒すも今度は超大型巨人が来襲する。
獣の攻撃で一面は更地になり、調査兵団は風前の灯となる。しかしエルヴィンは打開策を見出だしていた。
打開策を見出だしているが、エルヴィンはすぐにそれを語らない。
エルヴィンは、エレンの家の地下室に行きたかった。壁の外の人類が滅んでいないと主張する父親を犠牲にした「答え会わせ」がしたかったのである。しかし打開策を実行すれば、エルヴィンは死んでしまう。地下室に行くことなく。
エルヴィンは生への執着を見せるが、あと一押しで地獄に堕ちる。

f:id:sakamotoakirax:20200829184721j:plain


そしてリヴァイは「俺は選ぶぞ」と言い、作戦が決行される。エルヴィンは自分で決断できず、リヴァイが決断する。

マルコもその決死隊の中にいる。マルコは今まで自己犠牲の精神を説いてきたが、死ぬ瞬間に迷う。

f:id:sakamotoakirax:20200829220311j:plain


自己犠牲の精神は称賛されるべきではない。

特攻する調査兵団に、獣の巨人ジークは「哀れだ…歴史の過ちを学んでいないとは」と言う。
この「歴史の過ち」とは、『進撃』の世界観の中の歴史ではない。日本の歴史のことである。
熱くなって岩を粉々にしたジークは、「何本気になってんだよ?お前は父親とは違うだろ?」と自嘲する。

f:id:sakamotoakirax:20200829221012j:plain


この時のジークは若干アメリカを気取っている。
しかしジークが引き連れた巨人は皆倒れている。ジークが決死隊に集中している間に、リヴァイが巨人を倒しながらジークに近づいていたのである。そしてリヴァイはジークを滅多斬りにする。
この場合、ジークにとって父親とは「何も考えずに特攻する者」である。
しかしエルヴィンの作戦は特攻に見せかけた奇襲であり、何も考えていない訳ではなかった。こうしてジークもアメリカも、ジークの言う「父親」も否定される。これもまた父殺しである。

自己犠牲の否定は近年のマンガで様々に語られるが、『進撃』以外で印象に残るのは『コッペリオン』である。
お台場原発再臨界を止めるために行動する成瀬荊の前に、伊丹刹那が現れる。
刹那はコッペリオンを生み出したDr.コッペリウスの死んだ実の娘のクローンで、空間の置換の能力を持つコッペリオンである。
Dr.コッペリウスは刹那に娘としての刹那の記憶を蘇らせるのに成功する。
Dr.コッペリウスがそこまでしたのも、娘の刹那にろくにかまってやらず、傷心の刹那は交通事故に合い左足を失う。
後悔したDr.コッペリウスは、再生医療で刹那の足を元に戻そうとするが、倫理的な問題で医学界に反対される。それでも手術を強行しようとする父親を見て、刹那はビルから飛び降りて自殺する。
Dr.コッペリウスの娘として復活した刹那は、空間の置換により原子炉内の核燃料の配置を変えることで再臨界を阻止する。そして刹那は原子炉の中へ。
Dr.コッペリウスの望みは、彼の望まない形で終わる。自己犠牲は、自己否定された者のみが行うのである。

エルヴィンとアルミンの瀕死の二人のどちらに巨人化の薬を射つかでエレンとリヴァイが揉め、アルミンが生かされる。
なぜアルミンなのかと言えば、それが誤った選択だからである。人類には、エルヴィンの力が必要だった。それでも誤った選択を行うのは、「宿命」を否定するためである。
「宿命」は人間の選択の幅を狭め、社会を固定化する。その固定化された社会を壊すために、誤った選択でも受け入れるべきだというのが『進撃』のメッセージである。まさに

日本型ファンタジーゲームの誕生①~『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』 - 坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」

で述べたことと同じである。

古代史、神話中心のブログ「人の言うことを聞くべからず」+もよろしくお願いします。